「三つ子の魂百まで」

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 うーむ、更新が10日近くも止まってしまった。
 これまでサボっていたことはあったが、こんなにも間が空いたことはなかった。

 一応、本や映画はいくつも読んで(観て)いますが、ツイッターの楽さに慣れてしまうとどうにもいけません。
 ただ、理由はそれだけではありません。
 現在、体が不調なのです。
 どこか病気だというわけではありません。ちょっとした「うつ」状態とでもいいましょうか。精神科医の診断を受けたわけではないのですが、どうにも調子がよくありません。
 急な暑さも関係したのでしょうが、正直、ブログにまとまった文章を書ける状態ではないのです。

 書けない、というわけではありません。与太話や床屋政談などならばいくらでも書けます。
 でも、問題は、その内容です。
 とてもじゃないが、私の名前で出せるものではないのです。

 なに言ってるかわからない人に向かって、いま私がブログに何か書くとどうなるか、実例をお見せしましょう。
 題材は、少し前に読んだ、林壮一『体験ルポ アメリカ問題児再生教育』(光文社新書)です。

 この著者である林氏の本『アメリ下層教育現場』(光文社新書、2008)は、私のブログでも取り上げました
 もともとスポーツのノンフィクションライターだった著者は、劣悪な経済環境にある生徒が集まるチャータースクール(公教育にこだわらないカリキュラムで運営される認可制の学校)に、縁があって講師として赴任します。
 そこは、学ぶ意欲がまったくない高校生が集まる吹き溜まりのようなところでした。
 著者は、なんとか関心を持ってもらおうと、体当たりで日本文化を教えていきます。本人の過去や体験談を交えながらつづられていきますが、著者は結果的に学校を去ります。
 つまり、挫折した「スクール・ウォーズ」です。
 著者は、高校から人格形成を試みるのでは遅すぎると、前著の最後で、学習困難な環境で育った小学校にボランティアで講師を体験します。

 本書『アメリカ問題児再生教室』は、前著の続きにあたる本です。同じネヴァダ州リノにある「Opportunity School」が舞台です。「Opportunity」とは「機会」「チャンス」という意味で、子どもたちに再チャレンジをさせるという意味合いがあります。
 ここに送られる「問題児」は、教師を殺そうとしたり、銃を隠し持ってきたり、家族が薬物の売人だったり、身内から性的虐待を受けていたりする小学生です。公立学校では手に負えない児童がここ「Opportunity School」に送られてきます。
 ここで著者は、前著と同じように奮闘します。アニメが好きな子どもには簡単な日本語を教えたり、ケンカに明け暮れた児童には自らのボクシングの経験を元に基礎を教えます。
 子どもたちは、みるみるうちに好奇心が芽生え、向学心に燃えるようになります。時にさぼったり気が向かないときもありますが、日本の普通の小学校と同じように、教師が叱り、アメとムチでやる気を起こさせようとします。
 著者の描写だけで判断すると、とても問題児とは言えない子どもたちばかりです。

 2冊の本を読み比べると、著者が主張する、人格形成は高校生になると遅すぎるとの考えも納得です。
 前回のチャータースクールで教えた(そして途中で去らざるを得なかった)高校生は、半数が中退したことが明らかになります。
 本作の「問題児」も、家庭が崩壊していたりします。母親が精神的に問題がある児童の服は常に汚れ、寝癖が付いたまま学校に来ます。家庭訪問すると部屋が散乱し不潔で、母親は著者の前ではいいことを言いますが、すぐに前言を翻します(虚言癖ではなく、そういう病気なのでしょう)。
 生徒には、自傷行為が心配される子どもも、ドラッグの売人となった子どももいました。それでも、正規の教員はあきらめずに子どもたちにぶつかっていきます。

 こういう本を読むと、「三つ子の魂百まで」ということわざを思い出します。いかに乳幼児からの親による教育が必要か、非常に重要であるかがわかります。
 「尾木ママ」としてテレビでも人気の教育評論家、尾木直樹氏の『尾木ママの「叱らない」教育論』(主婦と生活社)というふざけた題名と装丁の本が売れています。
 この本に書かれている(というか、尾木氏が真面目な本で主張していた)通りで、親による温かいふれあいが非常に大切なのです。テレビの「ママ」しか知らない人はぜひ手に取ってみてください。
 ということは、親による温もりのある教育を受けられなかった子どもたちは、逆に言えば、救いようがないということになります。

 人生はやり直しができる――。そのようなメッセージが世の中にはあふれています。
 テレビドラマやマンガの「金八先生」「スクール・ウォーズ」「GTO」から、元総理大臣の「再チャレンジ」まで。ヤクザや不良から弁護士や教師などになった人もときどきマスコミに紹介されます。
 それは、ファンタジーだからこそ、人々に受け入れられます。極道弁護士も「オール1からの教師」も、極めてまれだからこそ、マスコミが美談として取り上げるのです。
 そうでない事例がどれだけ多いか。私は立場上、そういう人たちを多く見てきました。
 「三つ子の魂」をしくじって、人生を狂わせた人の方が、圧倒的に多いのです。

 そういうひとはどうするか。
 以前の私だったら、人間だから、矯正可能だと考えていました。
 現在の司法もその考えに則っています。再犯率が多いのは、矯正プログラムが機能してないからと言えます。また、犯罪者やその予備軍になる可能性の高い人は、環境に問題があり、社会を変えることで解決すると思っていました。
 今は違います。
 そいつらはさっさと殺せと思っています。
 小中学生ならばともかく、それ以上は基本的に矯正不可能です。だったら、無駄な社会資本を減らすために、こいつらを永久に監獄にぶち込むか殺せと思っています。
 (だからといって、死刑制度の是非は簡単ではありません。冤罪可能性などが絡み、また別の問題です)

 以前の私だったら絶対にそんなことは言いませんでした。
 「人権派」の弁護士や社会活動家に典型的に見られる、理想的な考えに染まっていました。
 それがここ数年、実感としてかなり変わってきました。私が、ではなく、世の中が、です。理屈で考えられない人が何人も、何十人も発生してきたのです。
 もし私が逸脱論を専門にするプロの社会学者だったら、絶好の研究対象でしょう。でも、私は残念ながら、学問で禄をはんでいるわけではありません。
 そして、本職があります。はっきりいって、そいつらは本業の邪魔です。
 専門のところに相談したりもしましたが、現在の法律や規範などでは限界があります。
 だったら、殺すしかないでしょう。

 この程度のことは、おそらく匿名掲示板やブログ、ツイッターには山ほど書かれているでしょう。取るに足らない戯言です。
 しかし、私は自分の名前や住所、肩書きなどを明記して書いている身です。しかも自称とはいえ「研究員」を名乗っている者です。
 こんな理屈からはるかにかけ離れたこと、書けるはずがないのです。
 でも、今の本音です。

 ね、今の私がブログを更新してはいけない理由がわかったでしょ。今回に限っては、あえて推敲せずにアップします。
 上に紹介した本は、私の文章と関係なくおすすめですので一読を。どれも比較的安価で、手に入りやすいものばかりです。


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