令和元年の非国民

カテゴリー │いろいろがんとともに

 人工透析患者は自業自得、全額実費負担にさせろ、さもなくば殺せとブログに書いたフリーアナウンサーが強く批判されたことは記憶に新しい。

 高齢者の終末期医療を打ち切れと主張した若手学者の対談も今年初めに問題となった。

 いずれも、膨らみ続ける社会保障費の対策を論じたものだ。

 彼らの考えにひそかに賛同する人もいるだろう。言い方には嫌悪するが、内容にはうなずくかもしれない。汗水たらして働いて納めた血税を、自分のわがままのために浪費する人には、非国民だと石を投げつけたいだろう。

 令和元年、私は非国民になった。

 オプジーボ(一般名ニボルマブ)という薬を知っているだろうか。正しくは免疫チェックポイント阻害薬という。昨年ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑・京大特別教授の研究が元になって作られた、がん免疫療法のための薬だ。手術、化学療法(抗がん剤)、放射線療法に次ぐ第4の治療法として脚光を浴びた。

 私は今年の春より、オプジーボでの治療を続けている。

 一昨年の暮れに悪性黒色腫(メラノーマ)が再発し、新年早々に手術をした。大規模なものだったが、主治医の神の手により、日常生活への影響を最小限に抑えることができた。約3週間の入院生活を経て退院後、術後補助療法としてオプジーボによる治療を提案された。

 アナフィラキシー(強いアレルギー反応)や副作用のおそれがあるため、2週間に1回、入院して治療する。採血、採尿、レントゲンなど一通りの検査が終わると医師が点滴の管を注射する。看護師がメインデイッシュを両手で抱えて病室に運び込込む。オプジーボだけでは効果が強すぎるため、生理食塩水で希釈して体内に入れる。

 「針は痛くないですか」「点滴の経路が痛みませんか」「腫れてませんか」緊張感がみなぎる病室で、二人の看護師が、慎重にダブルチェックをしながら、隙のない手際で手早く点滴を投与する。

 間違いは許されない。たびたび声掛けをされるのは、患者の容体ももちろんだが、オプジーボが他の薬剤とは異なる点があるからだ。点滴棒に吊るされた小さな薬品を、投与中、じっとながめながら考えた。

 「あれひとつで、50万円近くするんだな


 そう、オプジーボは、薬価がベラボーに高額なのだ。たった一回分が40~50万円もする。銀座の高級クラブで注文するシャンパンよりはるかに高い。それが24回も続くのだ。【注1】

 それでも、かつてに比べてはるかに安くなった。がんで苦しむ患者には福音で、経済的に裕福でない多くの人が使用できるようになった。しかも国民健康保険加入者は高額療養費制度でまかなえる。私の場合、自己負担額は月額最大約44000円(最初の3か月は約8万円)だけで済むのだ【注2】。

 つまり、高額な薬の代金のほとんどは、健康保険から支払われる。だが国保は慢性的な赤字で、一般財政からかなり補てんされている。冒頭の人工透析や終末期医療と同じく、医療費膨張の原因となり、国民皆保険制度の崩壊や国家財政の破綻まで主張する人もいる。いわゆる「オプジーボ亡国論」だ【注3】。


(これがノーベル賞の産物。1本約40万円のオプジーボです。銀座の高級クラブのピンドンより高い、ネーム入りボトルです)

 できればオプジーボによる治療はしたくなかった。国に貢献できる偉人や天才や、未来ある若者ならばともかく、私のような平凡なオッサンが年1000万円もの公金を使ってまで生きるほど価値のある人間だろうか。何度も自問自答を繰り返した。正直、後ろめたい思いがあった。

 それでも治療に踏み切ったのは、ただ単純に主治医が代わったからだ。前の担当医には延命のための高額な治療は必要ないと明言していたが、新しい医師には伝えていなかった。おまけに、ほかの治療方法が……。

 (筆が進まないのは、想像するだけで痛い治療方法だからだ。殿方ならば、自分の最も愛おしい部位に注射をされることを考えてもらいたい。セクハラで訴えられたくないので、ご婦人は想像しないでください)。

 いくらかかろうが、オプジーボのほうがいいに決まってるだろう!

 (誤解のないように言うが、これは私自身についての問いかけと回答だ。他者に価値観を押し付けるものでは決してない)

 というわけで、今年は2週間に1回、入院生活を送っていた。金の事ばかり書きたくないが、自己負担額も、安い中古車なら買えるくらいの金額が吹っ飛んでいったな~、と、年の瀬に振り返り涙目になる。

 冒頭のフリーアナウンサーや若手学者の語り口から透けるのは、空疎で呑気な選民思想だ。自分は自堕落な生活はしない(ゆえに人工透析も必要ない)。自分はまだ若者だ(だから終末医療は関係ない)。そんな、根拠も想像力もなく、他者への包摂の必要性も希薄な文章が、「私たち」と「あいつら」を分断し、貶める。

 似た話は多い。生活保護者バッシングや、実態のない「在日特権」を理由としたヘイトデモなどがそうだ。今年は台風19号でホームレスが避難所の利用を拒否されたニュースがあった。

 その行きつく先は、ユダヤ人ら600万人をガス室に送ったヒトラーや、重度障害者は不幸しか作れないと安楽死を正当化し、相模原の障害者施設の入所者19人を殺害した犯人であろう。


(写真は病院の中庭に作られたイルミネーション)

 今年も芸能問題総合研究所をご愛顧いだたきましてありがとうございます。今年最後、何を書こうか考えた挙句、オプジーボ治療を決意したときに書いて、そのままフォルダにしまっておいた文章を引っ張り出して大幅に加筆修正しました。

 若い水泳選手や有名なタレントが今年、相次いでがんを告白しました。最近もテレビで人気のアナウンサーが悪性リンパ腫だと公表しました。そのたびごとに、胸が「ドキッ」とします。ただ、その「ドキッ」は、私が病魔に侵される以前のそれとは違うものでした。

 がんに罹患したからこそ、得たものがあるという「キャンサーギフト」という言葉があります。私にとってのギフトは、かつてはボンヤリとしか見えなかった、立場の弱い人の姿が、よりはっきりと認識できるようになったことでしょうか。「いらねえよ、そんなプレゼントは!」とも率直に思いますが。

 有名な芸能人でもスポーツ選手でもない凡人の私ですが、今後も健康保険料と税金で治療をします。

 税金の無駄遣いだと怒れる“愛国者”諸君よ。私だって苦しんだ。甲状腺機能障害によるホルモン分泌異常の副作用でつらい思いもした。未熟な若い医師に5回も点滴の針を刺されて、静脈内を針でいじくりまわされたこともあった。

 ざまあみろだって? そんな自己責任論者と、私は生涯をかけて闘う決意ができました。それも、サンタクロースからもらった「キャンサーギフト」でしょうか。

 メリークリスマス。そして、よいお年を。

【注1】薬価は国により頻繁に改正される。詳しくはネットなどで検索してほしい。
【注2】この金額には病院食や病衣代などの実費、差額ベッド代などは含まれていない。なお、高額療養費制度は年齢や収入などによって異なる。詳しくは医療機関や自治体の相談窓口などで聞いてほしい。
【注3】「オプジーボ亡国論」についての議論は詳しくは下記のリンクなどを参照。
 「國頭英夫氏インタビュー「コストを語らずにきた代償 “絶望”的状況を迎え,われわれはどう振る舞うべきか」」(「週刊医学界新聞」)
 「齋藤公子「高額医療問題についての議論に必要なものとは何か――オプジーボを利用する肺がん患者の声から」」(「SYDONOS」)