♪いわたぐん ぐんぐん

カテゴリー │静岡の話題

 某掲示板を逍遥していたら見つけました。
 懐かし~、って、歳がバレてしまう……。

 http://www.youtube.com/watch?v=Q5BihCLNtME

 ほんと、YouTubeってなんでもあるね。
 この歌そのものを知ってる人が少なくなった上に、平成の大合併で旧自治体名が消えているとき、貴重な映像だよね。

 ちなみに作詞は伊達歩(作家・伊集院静)氏、っていうのは静岡県民にとっての常識ですね。


 

なんとかならないものか

カテゴリー │社会

 ちょっと出歩く機会が少ないので、マチで拾ったネタが最近少ないのですが、きょうも独自ネタではなく、新聞からです。

 「ドラえもん「最終話」販売 男性が売上の一部払い謝罪」(共同通信―「NEWS47」)

 マンガ「ドラえもん」に最終回がある、というのは割とポピュラーな都市伝説です。たしか某大学の学生が作った話が口コミやネット、ケータイのメールで広まったと聞いています。それを実際に作者の藤子・Fタッチでマンガにしてしまったのが、今回のニュースです。
 私はこれの一部をネットで読んだことがあります。ものすごくよくできています。泣きそうになりました。藤子・F先生が生前にこっそり遺したものだと言われても信じてしまいます。

 実は私は重度の藤子・F先生のファンで、ドラえもんについてはかなりのこだわりがあります。映画も第2作の「のび太の宇宙開拓記」から全部観ています。現在発刊されていて入手可能な藤子・F先生の著作はすべて書棚にあります(片倉陽二先生の『ドラえもん百科』も持ってました。あの設定を全部本当だと信じて友達に自慢していたのですから、幸せでした)。
 そして周知の通り、何年か前にアニメの声優陣がガラッと交代しました。その後どうなったかと、新キャストでリメイクされた映画「のび太の恐竜」を観に行きました。
 なにもかも変わってしまいました。

 私はアニメには詳しくないので、どこがどう変わったのかはうまく説明できませんが、それまでのドラえもんとはまったく違った作品になってしまっていたのです。換骨奪胎どころではありません。声優だけではなく、なにもかもが、ひどいとかどうとかではなく、全くの別物なのです。
 それがたしか去年か一昨年だったので、ああ、これはもういい加減ドラえもんから離れろということだなと思って、それ以来キッパリとサヨナラしました。

 その私からすると、今回のことは、ちょいとひどいんじゃないの?との思いです。
 もちろん著作権侵害ですし、金を取っていたかどうかの問題でもなく、作者はなんの言い逃れもできないのですが、その著作権管理者が、原作を大幅に改ざんしているのです。
 映画だけではありません。ドラファンの間で「あれは『ドラえもん』と認めるか?」といつも議論になる『ザ・ドラえもんズ』なんて、ひどいものです。あんなものを「公式」としている小学館と関連会社及び藤子プロが「回収と断裁を要請」なんて、よくまあ恥ずかしげもなく言えたものです。仮にもクリエイターだったら、自分たちが作っているものと虚心に見比べてみればいいのです。どっちが優れているか、はっきりするはずです。

 ただ、法的には、パロディ本を作っていた作者がいけないことは間違いありません。裁判でもまず負けます。勝つ要素がまったくありません。でも、著作権侵害とはいえパロディー(オマージュ)の名作をこのまま埋もれさせてしまうのは残念です。
 よし、私が名案を授けましょう。
 「藤子プロ公認」(承諾)として、小学館から改めて出版すればいいのです。両社と改めて契約を交わせばいいのです。作者はコミケの同人作家と同じようにお金が目的ではないでしょうから、著作権管理者にすごく有利な条件でできるはずです。
 これは実は今現在も行われていることです。複数の同人漫画家がひとつの作品を競作するアンソロジーコミックのなかには原作者や版権所有者から許可を受けているものもあります。

 これくらいのことしてくれれば粋だなあって思ったのに。
 なんとも後味が悪い結末です。
 (どうせネットに出回るでしょうから、機会があったらぜひ読んでね。傑作ですよ)

 (追記)
 一部ここにありました(要Flash)。
 http://www.omosiro-flash.com/flash/final_dora.html


 

「残す」ことより「作る」こと

カテゴリー │音楽

 友人、知人、恩人が旅立つとき、実体を持つ彼や彼女といっしょに、同時代を過ごしたときの記憶までもが奪い去られるような辛さがあります。この知らせを聞いて、同様の思いをした人もかなりいるでしょう。

 「ZARD:坂井泉水さん死去 病院のスロープから転落」(毎日新聞)

 ZARDの代表作「負けないで」は谷村新司の「サライ」と同じく「(笑)」付きで扱われ、まともに聞いたり歌ったりするのがどうにも照れくさい曲です。それだけ世間に広まったってことですが。私にとってはよく見ていたドラマの主題歌として馴染みがあった曲です。ヒマと未来はいくらでもあると信じきっていた大学時代のときです。他のいくつもの曲も体に染み込んでいます。

 真正面からZARDに向き合えなかったもうひとつの理由に、この頃から音楽シーンが激変したことがあります。プロデューサーが前面に出て楽曲を製作・送り出す方法が全盛となっていくのです。それが、長戸大幸氏と「ビーイング」で、「おどるポンポコリン」やB’zを大ヒットさせました。その「ビーイング系」の最主戦力がZARDでした。後に小室哲哉やつんく♂に継承されるその手法は、歌手やアーティスト軽視に思えて、まだ若かった私にとっては非常に抵抗がありました。ヒットチャートも大混乱し、一部の世代以外は誰も知らないミリオンセラーが続々と生まれました。タイアップ曲として商品と抱き合わせで認知させる手法にはアンシャン・レジームを引きずっていた私は、「それでいいのか?」と批判的な感情を抱いていましたが、それでも今なお口ずさんでしまうのは、長戸氏とZARDの力、そして音楽の不思議な魔力だとしかいいようがありません。

 彼女は美形で知られていますが、長年、その顔をファンやマスコミにさらすことはありませんでした。一部には「替え玉がいるのでは」なんていう噂も飛んだほどです。
 ただ、これも知っている人は知っているのですが(そして死者にムチ打つようで気が引けるのですが)、彼女は苦労人です。本名でレースクイーンの仕事をしており、セクシーな写真集も出しています。ZARDで有名になったあと、ゴシップ誌が鬼の首を取ったかのように写真集のことを書き立てましたが、私には勲章と思えました。
 思い出すのが、「ブルースの女王」淡谷のり子が絵画のヌードモデルをしながら音楽を学んだエピソードです。当時は戦前ですから、今のAV出演よりもはるかに風当たりが強かったでしょう。でも、そのおかげで数々の名曲が残せたのです。
 虎は死んで皮を残す。歌手は脱いで曲を残す。いまでも「流出画像」だのと騒ぐ低俗マスコミ連中には理解できないであろう、力強い生き様です。

 奇しくも今日はもうひとつ、大きな訃報が入るかもしれません。いい年して責任の取り方もしらないその「偉い人」に何も手向けるつもりはありません。90年代に多くの若い男女に支持され、ずっと歌い継がれる曲をたくさん残した彼女のほうがはるかに偉大です。
 今年は猛暑が予想されています。コンビニでたくさんポカリスエットを買って飲むことになりそうです。青いラベルを見つめるたびに、CMで流れていた「揺れる想い」が頭の中で流れることでしょう。嫌な夏になりそうです。

 それにしても、享年まだまだ40。「ずっと歌い継がれる曲をたくさん残した」なんてことを書かせるなんて。本当に必要なのは、「残す」ことではなく、新たに「作る」ことだったはずなのに。
 冥福なんて祈りたくはない。神だか仏だか知らないが、もしいるのなら、残酷さと理不尽さに怒りしか沸きません。


 

ぎゃぼーっ!!!

カテゴリー │放送

 ぎゃぼー!千秋せんぱい好きですー!むきゃーっ!icon16icon16icon16

 ……昨夜からクラシック音楽をテーマにしたテレビドラマ「のだめカンタービレ」のDVDをずっと観てるんです。やっと半分(第6話まで)観終わりました。
 このドラマ、異様に評価が高いのですね。誰に聞いても悪く言う人がいないという。でもね、私、この作品がいいとはどうしても思えないのです。もしかしたら私の感性が悪いのかと思いDVDで観直しています。ウチの部屋の小さいブラウン管テレビではなく、両親の部屋にある薄型地デジ対応、ステレオ音声のテレビにプレーヤーをつなげて液晶画面を凝視してるんですが……。

 そりゃ、いいところもありますよ。特にキザで自信家の玉木宏くんがのだめに振り回されて二枚目が崩れていくところなんて好演していておもしろいです。テレビ放映時にはどうもなあって思っていた瑛太も悪くはなかったし。でもね。あまりにも「漫画的」です。
 原作が漫画だから、っていうわけではないのです。手塚治虫を嚆矢とする、記号で構成された漫画手法の最悪の面ばかりが出ているのです。詳しくは大塚英志の『教養としての〈マンガ・アニメ〉』『キャラクター小説の作り方』などの論考を参考にしてほしいのですが、ドラマの「のだめ~」は、記号の集積でしかありません。オーケストラの演奏シーンはそうでもなかったけど。

 特にひどいのが上野樹里。大根にもほどがある。記号をなぞるだけでなく、少しは演技しろ。おまえのはりアリティとは言えない(逆に言えば、テレビドラマは彼女程度でも成立するってわけです。舞台やラジオドラマではそうはいきません)。いや失礼、私の間違い。番宣でフジテレビのバラエティ番組に出たとき、あのまんまのしゃべり方をしてたんです。あの変態天才音大生(という記号)は、演技でもなんでもなく、彼女の「素」に近いのです。なんとかしろよ。演技もできないのなら、せめてピアノくらいちゃんと弾け。上手く弾いているように見せてくれ。

 つーわけでこの文章は、今のところ私が知る限り、日本で(もしくは世界で)ただひとつのドラマ版「のだめ~」酷評です。
 「マンガを先に読んでいたからイメージと合わないだけだろ」と反論もされましたが、そういうこともなるべく排除して、さらに連続ドラマのあらゆる制約を考慮しても、私にはどうしてもあれのよさを発見できません。一応最後まで観るつもりですが。
 テレビドラマがよかったっていう人、私は作品は批判するが、あなたの価値観は批判しません。でも、時間的余裕があるのなら、マンガも読んでみてください。笑えて(上野樹里の奇妙なふるまいとは全く別次元で)、楽しく、なおかつ深いマンガですし、芸術家の辛いところも描かれています。いまでも連載が続いていますので、留学したのだめと千秋先輩がその後どうなったかも興味深く読めます。ぜひぜひどうぞ。むきゃicon16


 

青春が終わった夜に

カテゴリー │インターネット

 一ヵ月前にひっそりと本館を更新したのですが……。

 芸能総研論説「才能が終わった夜に(上)」(芸能問題総合研究所

 その続きをアップしました。

 芸能総研レビュー「才能が終わった夜に(下)」(芸能問題総合研究所

 あえて誰のことかは書きませんでしたが、わかる人にはすぐにわかります。固有名詞を避けたのは、名前を出してしまうのはあまりに哀れだからです。ただでさえクリエイターに対して「才能が終わった」と言い切ってるのですから、それだけでいいじゃないですか。言うまでもありませんが、抗議上等です。ここには書けなかったことも含めて数倍にしてお返しするつもりです。
 (っていうか、私ごときのようなアマチュアライターに本気で抗議してくるようではこの人は本当に終わりだと思います)

 今回の表題は、辻仁成のエッセイ『音楽が終わった夜に』(新潮文庫)から拝借しました。ロックバンド「エコーズ」時代を書いたものです。
 辻仁成は芥川賞やフランスの権威ある賞を受賞しているため、純文学畑のように見られていますが、青春エッセイにも傑作が多いのです。『そこに僕はいた』『そこに君がいた』(ともに新潮文庫)なんて、痛快で甘くてちょっと苦い作品集です。前者は中学の教科書にも収められており、後者はベネッセコーポレーションの雑誌(たぶん進研ゼミについてくるような冊子)に連載されていたので、中学生くらいが対象の軽いものですが、いつまでも子どもの人だったら面白く読めますのでおすすめです。

 そういえば、少し前に読書好きの女子大生と話す機会があって、その子は村上春樹や辻仁成が好きだったんですね。村上の「鼠三部作」とか辻の『ピアニシモ』とかの初期作品も読んでいて、その話で結構盛り上がったんです。「ああ、こんな文化的会話なんて久しぶりだー」と喜んでいたのですが、辻仁成の音楽の話を振ると、

 「えー!?辻仁成ってミュージシャンだったんですかー!!!」

 ……その子は小説家の「辻ヒトナリ」しか知らず、「辻ジンセイ」としてバンドを組んでいたことも、ラジオの「オールナイトニッポン」をやっていたことも、武道館を満員にさせたことも何も知らないんですね。
 そういう世代が出てきたのか、って、自分の青春の終わりを改めて思い知らされた夜でした。




 

「政治性」と〈政治性〉

カテゴリー │映画・演劇・その他

 話題の映画「パッチギ! LOVE&PEACE」を観てきました。大好評だった前作の「パッチギ!」から6年後、東京に移り住んだ朝鮮人一家のその後の物語です。
 映画は非常にいいものでした。なまじ前作がよかったので出来が心配していたのですが、そんなことはありませんでした。
 ただ、ちょっとだけ不満が。安倍晋三流に表現すると、狭義の「政治性」が余計だったような気がします。

 狭義の「政治性」とは、たとえば、在日一世が日本に渡った(渡らざるを得なかった)理由、彼ら彼女らが味わった塗炭の苦しみなどです。大文字の「政治」といってもいいでしょう。それはものすごく大事なことで、教科書にも満足に書かれていないことです。ある雑誌のインタビューで、主演俳優の井坂俊哉は1910年の日韓併合を知らなかったと答えていますが、驚くことではないでしょう。私だって、関心がなかったら知らないままだったかもしれませんので。
 また、井筒監督が表現しようとしたテーマにとって重要なエピソードです。単なる「戦争反対」とか「人権尊重」といった手垢が付いたものではありません。監督にとってはどうしても必要なシーンでした。
 しかしなお、私にとっては、狭義の「政治性」を挿入したことに違和感を覚えます。


 

大予言!?

カテゴリー │いろいろ

ゴン擁立で最終調整 自民、参院静岡選挙区で」(「しぞーか新聞」5月16日)

 自民党静岡県連が夏の参院選静岡選挙区の二人目の候補者に、サッカー選手の中山雅史氏(39)を擁立する方向で最終調整していることがわかった。

 中山選手はJリーグのジュビロ磐田所属で、日本代表にも選出されたことがある。ユニークなキャラクターや情熱的なプレーが持ち味で、抜群の知名度と人気があることから、無党派層へのアピールを狙う。

 また、ジュビロの親会社・ヤマハ発動機や、PR大使を務める浜松市の企業の応援も期待できる。父親が元岡部町議の中山儀助氏(75)であることから、県中部の自民系地方議員も積極支持の方向だ。

 静岡県選挙区からはすでに自民、民主、共産、国民新党が支持する候補者が名乗りを挙げているが、二人当選を目指す自民党は新たな候補者擁立を模索していた。県内選出の自民党国会議員は「中山選手の知名度とタレント性があれば二人当選も間違いない。少なくとも大仁田厚(参院議員)や神取忍(同)よりはましだ」と期待を寄せる一方、ある静岡県議は「それよりも今期のジュビロの立て直しのほうが先なのでは」と冷ややかな見方をする。


 

犬コロ映画

カテゴリー │映画・演劇・その他

 石原慎太郎という作家だか知事だかをやっている人(私は「総統」と呼んでいる)が脚本を書き製作・総指揮を執った「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画を観ました。
 (こんな覚えにくいキャッチフレーズを付けることこそ彼がクリエイターとして凡人以下であることを証明している。電通か博報堂のコピーライターに頼めばよかったのに)

 えー、最初に言っておきますが、私、けっこう酒が入っていますので、普段ならばセーブすることまで書いてしまいますので。

 特攻隊が出撃した鹿児島・知覧で飲食店を営む鳥濱トメさん(役は岸恵子)という実在の方の視点から特攻隊を描いた映画です。「特攻の母」と後に呼ばれたトメさんや知覧の特攻平和会館については小泉前首相が訪問し涙したことがニュースになったのを覚えている人も多いでしょう。
 この映画はいろんな雑誌やテレビ、ウェブサイトで好意的に紹介されていますが、全部ウソです。自民党の安倍晋三以下タカ派の議員はこの映画についての一連の提灯報道は捏造だとして取り締まる法案を提出すべきです。

 一言で言うと、特攻隊賛美の映画です。岸恵子さんは「これは反戦映画です」とインタビューで繰り返し答えていますが、まったく違います。もしくは岸さんの思った通りには伝わらなかったのかもしれませんが、だからといって「あなたが下手だからだ」と、あの岸恵子さんに言う勇気はさすがの私にもありません。
 それから、勘違いしないでもらいたいのは、タイトルの「俺は、君のためにこそ~」の「君」とは、一般代名詞の“you”ではなく、「君が代」の「君」です。
 そして、「君」が統帥する陸海軍の無能な上層部の命令によって、若い命が無駄に消えていきました。神風特攻隊だけではありません。戦艦「大和」も、人間魚雷「回天」も、人間爆弾「桜花」もです。どう考えても勝てる見込みの無い戦争で、愚かな作戦によって死んでいったのです。それは犬死にという言葉がぴったりです。赤紙一枚で八紘一宇だの亜細亜の解放だの身の丈知らずの思い上がりの軍部によって、犬コロのように殺されたのです。

 その反省も総括もないままに、犬死にさせられた戦没者を「英霊」呼ばわりして靖国に祀っているのです。最近、日本遺族会がA級戦犯分祀の研究会を発足させたとニュースでありましたが、馬脚を現すとはこのことです。ほんとうに戦没者を英霊と崇め奉るのならば、昭和天皇の意向がどうであろうとも態度を変える必要はないはずです。それを、たった一枚のメモが出てきただけでコロッと方針を変えるのは、先の戦争が天皇のための戦争で、戦没者は天皇のために戦って死んだと明言しているのと同じです。さて、日本遺族会は、そして石原慎太郎総統閣下は、無数の若者を殺した昭和天皇の戦争責任についてどのように言い訳するのでしょうか。

 その、犬死にさせられた若者を英雄視して、美しい青春映画だと石原総統閣下はいやしくも語られていらっしゃいます。登場人物が喜んで死にに行くような、事実の一面しか切り取っていないこの映画のどこが青春映画なんだ?イデオロギーのフィルターを極力取り除いても、駄作としかいいようがありません。
 戦争映画だとしたら、まだ「男たち大和/YAMATO」を勧めます。あちらは戦争の醜い面や惨めな兵士の姿も描かれています。こちらもイデオロギー的にはあまり肌に合いませんでしたが、血の匂いがする力作です(私の感想はこちら)。

 なお、ポスターや映画冒頭には、石原総統閣下による、こんな文章があります。

特攻隊員から母のように慕われた鳥濱トメさん。
彼女に聞かせてもらった隊員たちの真実の声。
過酷な時代を生きた、
美しい日本人の姿を残しておきたい。
製作総指揮 石原慎太郎

 上映後の映画館の座席です。



 ふーん、平気でゴミを捨てていくのが「美しい日本人」ねえ。


 

「クイーン」とエンペラーとプリンスと

カテゴリー │映画・演劇・その他

 ゴールデンウィークという言葉は映画業界の言葉だったそうです。そのわりには映画をほとんど見られませんでした(「バベル」だけで、しかもどうにもピンとこなかった。前評判どおり菊池凛子の演技はよかったけど)。
 で、GW明けにさっそく観に行ったら朝にも関わらずほぼソールドアウト。そんなに「スパイダーマン」や「しんちゃん」や「コナン」がいいのか?

 というわけで、渋めに「クイーン」で決めました。ブレア政権誕生直後に起こったダイアナ元妃死亡事故をめぐっての女王エリザベス2世の心の揺れを描いた作品です。イギリスらしいというか、真面目な映画でした(これでも一応エンタテインメントの範疇には入るんでしょうが)。
 離婚によって王籍を離れたダイアナの葬儀をどうするかで王室内部でも意見が割れます。チャールズは当然、国葬を主張しますが保守的な王族は英国の伝統と慣例を重視し、さらにダイアナへの感情的軋轢もあり無視を決め込みます。そうこうするうちに攻撃的な国民感情が王室に向けられ、改革派ブレアが王室に進言します。半世紀にわたって英連邦に君臨してきた女王はどのような決断を下すのでしょうか……、というストーリーです。ウルトラリベラルのブレアの奥さんがキツくて笑えます。「オイオイ」って。

 よく言われるように日本とは王室のあり方が違うのでしょうが、よくまあここまで描けたなあって思います。王室内の会話もそうですが、女王の乱れる心象や憤りを象徴するように山河をランドローバーで爆走するヘレン・ミレンなんて最高にかっこいいです。もちろんフィクション(だと思う)ですが。
 その反面、辛辣なことを言えば、娯楽映画とはいえ、どこまで本当なのか、との疑問もあります。製作者は関係者にどれだけ取材したのでしょうか?実在の人物や実際に流れた映像や新聞も映されていますが、根底のリアリズムが欠けていたらタブロイド紙の憶測記事と何ら変わりません。

 そして関心は、誰もが抱くところに移るのです。「日本ならばどうなのだろう?」
 香淳皇后と美智子妃、美智子皇后と雅子妃の嫁・姑の確執は多くの人が指摘するところですが、もし雅子妃が離婚したら(できるかどうかわからないけど)、そしてダイアナ元妃と同じことになったら(縁起でもないって怒られそうだけど)、菊のカーテンの内側ではどういう会話が交わされるのでしょうか?

 お妃問題ではありませんが、皇族の苦悩を描いた作品として、イッセー尾形が昭和天皇を好演したアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」があります。「現人神」から「人間宣言」に至るまでの昭和天皇の苦悩を描いたものです。ロシア人監督の映画は始めて観たので作品についてはよくわかりませんでしたが(「バベル」とは違う次元で)、イッセー尾形や皇后役の桃井かおりが絶品で、その姿はまさに「人間」でした。

 しかし、どうして外国人が作るんだろう。検閲制度なんかないのに、日本人の映像作家はこういうものを撮れないのかなあ。しかも娯楽として。皇室(王室)のあり方や国民性の違いだと言ってしまえばそれまでだけど。
 私がどうしても観てみたいのは、何度も引用しますが、やはりこのやりとりについてです。
 それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
 この、いわゆる「人格否定」発言を決意した皇太子の内面、背景にあった雅子妃、快く思わない天皇と秋篠宮、その周囲の葛藤を、高いレベルでエンタテインメントにできるクリエイターはいないんでしょうか。堤幸彦監督とかクドカンとかやってくれないかな。漫画ならかわぐちかいじとか。小説だったら「魔法のiらんど」のケータイ小説とかで。いつまでも大江健三郎でもないでしょうし。



 

藤の簾?

カテゴリー │静岡の話題

 いえいえ、地元の旧豊田町(現・磐田市)池田の「熊野の長藤」です。例によってケータイのカメラですので上手くなくてすんません。
 夜勤明けに愛車の自転車でひとっ走りしてきました。
 早朝だったため、観光客はおらず、犬を連れて散歩している人とか、散策をしている老夫婦とか、藤の長さを測っている関係者とか、ランニングしている中学生とかデジカメかまえているアマチュアカメラマンとかがちらほらいるだけでした。

 今年は暖冬だったため、見頃はすでに終わってしまったという話でした。たしかに枯れつつあって、散った花弁も多くあったのですが、まだ藤の香りが漂っていて、今日限りならば楽しめるのではと地元のおじさんが話していました。

 ただ、イベントを楽しみにしてる人はつまらないんじゃないのでしょうか。地元の観光協会がいろんな催しをやっており新聞などでも取り上げられましたが、もうほとんど昨日で終わってしまいましたから。
 でも、そうではない人、純粋に藤の花を愛でたい人とか、藤の下で思索にふけりたい人とか、一句ひねってみようとか、平家物語や能楽を愛好しているという人は、観光目的の人がいないぶん穴場かもしれません。静寂と籐花は合います。
 それから写真コンテストもやっていますので、もう今年は遅いですが、来年以降にベストショットを撮りたい写真愛好家は早朝が狙い目ですよ。

 そうなんですよね。変にイベントやったり能舞台だとか資料館だとか建てたりしなくとも、いいものはいいんです。ありのままの姿を愛でることこそが美しいのだということを昔の人も言ってました(誰だか忘れましたが)。というわけで、表層的な面白さに惑わされない方、ぜひ今からでも当地にお越しください。藤と熊野御前の墓以外に何にもないけど、何にもないところがまたいいのです。


 

遠州たまねぎカレー

カテゴリー │静岡の話題

 浜松まつりの凧揚げから御殿屋台の引き回しまで、やや時間があるので、そんなときはアクトシティ中庭の縁日がおすすめです。国内外の食べ物屋の屋台や民族衣装などがあるので楽しいです。ときどき掘り出し物があり、数年前にはドイツ人革細工職人による本革製のブックカバーをみつけました。5000円以上しましたが、古い聖書のように威厳がある装丁に変わりました。

 今年も地ビールやらトルコ料理などに舌鼓を打っていたのですが、なかでも気になったのは、「遠州たまねぎカレー」というブースでした。自慢ではありませんが私はかつて相当カレーに凝っており、一時は食べ歩きや20種類以上のスパイスを調合して自作したりしてました。
 で、売り出し中の遠州たまねぎカレーを買ってみました。なんでも通常の2.5倍の量の玉ねぎが入っているそうです。そうお店の人に言われて中を見ると、玉ねぎなんて全然入ってない。詐欺だ!というわけではありません。玉ねぎはみじん切りにして弱火でじっくりと炒めると、アメ色に溶け、甘みとネバネバ感が出て、スパイスのつなぎとなります。ようするに、そこまで手を掛けて煮込んであるということです。なんでも浜松氏の篠原地区というところが玉ねぎの産地で、そこの玉ねぎを使っているので、品質も上等です。

 写真を撮ってこなかったのが残念ですが、ご飯の上に、なぜかキャベツの千切りが乗っており、その上にルーとコロッケが乗っています。浜松中心部の老舗カレー店がたしかキャベツを添えてあったので、それに則ったのでしょうか?それとも当地の伝統的な盛り付けなのでしょうか?最初はエッと思ったのですが、ちょっとびっくり、うまく合うのですね。キャベツと合う味の調合をしてあるのでしょうか?

 いや、これはすばらしい。地元贔屓ではなく、いろんなカレー店を食べ歩いた私に言わせると、かなりの美味さです。ご当地グルメなんて町おこしのためにやるとこが多く、当地でも「浜松餃子」なんてどうってことないものを売り込んでいるのですが、そんなものやるくらいだったら、この「遠州たまねぎカレー」を応援しますよ。

 ところで、なぜ「浜松たまねぎカレー」ではなく「遠州たまねぎカレー」なのでしょう?
 このグループの母体は、浜松ではなく実は我が磐田市にあるNPO法人だったんですね。

 NPO法人INCOME http://www.npo-income.com/
 磐田大好き「まぁまぁ」 http://income001.hamazo.tv/

 子育てをしながら働くための、新たな就労環境の確立を目指すことを目的とする団体だそうです。

 お店の人に聞くと、大道芸ワールドカップ(静岡ではこういうイベントがある)のときにもすぐに売り切れたくらい好評だったそうで、浜松まつりに来られる方、凧を上げ終わってお腹が減った人、ぜひお早めにご賞味ください。


 

クイズの答え

カテゴリー │政治

 きのうの「クイズ日本国憲法」の答えはこの人です。

 当選後のテレビの取材でスキャンダルについて「都議会でちゃんと言ってるから議事録を見てくれ」(だったかな?)とか言ってたので見てみたらこんなんでした。(前者は平成15年予算特別委員会(第5号)本文、後者は平成16年第4回定例会(第16号)本文)

 言いたいことは通じるのですが、もっと言葉に気を配らないと。この人、作家という肩書きを外すべきだろうな。最近のケータイ小説の作者のほうがもっとマトモな表現ができるぞ。


 

祭にきてるぞ

カテゴリー │静岡の話題

早出町にまぎれて出てます。写真はカナダ人住民の初子凧です。コングラチュレイション!中日と毎日が取材に来てたけど、抜いたぜ。ざまーみろ。

(追記)
その後、FM Haro!と静岡新聞が取材に加わりました。
たぶんまつり本部かコンベンションビューローから情報をもらったのでしょう。
世間では一般的にこれを談合と呼びます。


 

クイズ日本国憲法

カテゴリー │政治

 きょうは日本国憲法の60回目の誕生日です。それにちなんだクイズです。
 日本国憲法99条は公務員の憲法尊重擁護義務の規定ですが、次の発言をした公務員はいったい誰でしょう?

 「九十九条違反で結構でございます。私は、あの憲法を認めません

 「私はそのときにどうしますかといったら、私は憲法を無視してやる。(中略)その情報を散布する、公開することで多くの感染を防いで、多くの生命を防ぐために、私は憲法を無視してやる。超法規というのはそういうことなんだ。私はそれを首をかけてやるんだ。命がけでやるんだ。命がけで憲法を破るんだ。当たり前のことじゃないか。だれがつくった憲法なんですか。」

 正解者には抽選で1名様に素晴らしいプレゼントを差し上げます。

 ヒント→こちら


 

トラックバック表示の変更について

カテゴリー │このブログについて

 いつも弊ブログ「芸能問題総合研究所Journal」をご愛顧くださいましてありがとうございます。
 ご覧いただくだけでなく、コメントやトラックバックも多くいただき、管理人として感に堪えません。

 ところが最近寄せられるトラックバックで、内容と無関係のものや宣伝、広告を目的としたもの、アダルトサイトや出会い系サイトなど不適切なものが数多く見られます。

 そこで今後しばらく、トラックバックの表示を、これまでの無制限から、管理人の承認制にします。
 管理人が事前に閲覧し、掲載するに適切だと判断したものだけが弊ブログに表示され、閲覧者の目に触れるようになります。
 弊ブログの開設以来、私に批判的な意見も、一見無価値や無意味と思われるエントリも原則的にすべて受け入れ、あとは閲覧者の判断に任せるつもりでしたが、あまりのひどさゆえの止むを得ない措置であるとご理解ください。

 なお、宣伝トラックバックが多くある一方で、貴重なご意見もいくつも寄せられました。中には深く考えさせられるものや思考が触発されたものもありました。そういった重要なトラックバックを寄せてくださった方々に、私の怠惰からお返事をしておりません。この場を借りて不義理をお詫びいたします。どうもすんません。ペコリm(__)m