揺れる大阪、揺さぶられる日本~大阪都構想の現場から

カテゴリー │政治

 大阪府知事に就任したタレント弁護士の橋下徹氏が大阪市との連携がうまくいかないことにカンシャクを起こしてぶち上げた「大阪都構想」。この奇妙奇天烈な政策をめぐって、大阪市が揺れています。

 冷静に考えれば論ずるにも値しないトンデモ構想がなぜ半数近くの市民に支持されているのか?橋下氏の弁舌の力か?大阪という地域の特殊性からか?

 この謎を解くべく5月13日・14日に大阪市内をかけずりまわって見聞きしたことをお伝えしていきます。

 (画像はクリックすると拡大します)

 大阪市役所を取材するテレビクルー。

 反対派の政党、市民団体、労働組合などからもらったチラシの数々。
 「忘年会の出し物だな」と自嘲していたグダグダの「ラッスンゴレライ」。後ろの車いすの人たちからわかるように、障害者団体によるパフォーマンスです。

 この後「おまえらは権利ばかり主張するが自立せなあかん」と食ってかかる人がいました。大阪人の名誉のために言うと、こんな人ばかりではありません。


 翌日、此花区の公園での維新の会主催のタウンミーティング。聴衆は近所のおっちゃん、おばちゃんたちがほとんど。在阪局以外も取材に訪れるなか、木陰で休みながら聴いていました。

 哲学者の適菜収氏は橋下氏の手法を老人相手の催眠商法だと記していましたが、「近所に有名人が来たから見に行こう」といった牧歌的な雰囲気でした。

 大阪都構想の政策への反論は多くの人がしているので触れませんが、橋下氏の話術は、とにかく上手い。それがいくら詭弁であってもです。

 橋下氏は、企業も人も流出する大阪の地位低下を、自分の子どもさえ東京の大学に行くと言い出したことを例に出して嘆きます。聴衆の笑いを誘う技法でしょうが、当の本人が東京の早稲田大学に進学したことには触れずに、です。

 東京府と東京市が一緒になって東京都が成立したによって栄えたと説明し、大阪もそうなるべきだと主張します。東京都の設置は1943年と意外に遅く、はるか以前から政治、経済、学術などで日本の中心でした。また、立身出世を目指す若者は東京だけでなく旧制三高(今の京大)など関西の学校にも進学し、世界的学者や日本を代表する企業経営者などを多数輩出したことも触れていません。

 橋下氏は敵を作って攻撃する手法でおなじみです。この日も、大阪市議会は信用できないと聴衆に訴えていました。大阪府知事選挙に立候補するか問われて「2万%ない」と断言したのは誰だったでしょうか。どちらを信用しろというのでしょうか。

 パネルを用いて立て板に水の説明を終え、賛成か反対かを選んでくれと聴衆に訴える橋下氏。ここには裏の意味があります。選ぶのは大阪市民です、つまり都構想が失敗してもすべては自己責任、自分には責任はない、ということです。学者や役人でもない庶民に公共政策の責任など取れるはずもなく、しかも自分はしっかりと逃げ道を用意しています。

 嘘と矛盾と言行不一致を重ねる狡猾な橋下氏。ディベートの訓練やクリティカル・シンキング(批判的見方)のトレーニングを受けた人ならばすぐに見破れるレトリックです。でも、普通の庶民であるナニワのおっちゃん・おばちゃんたちは橋下氏の言い分を鵜呑みにしてしまうかもしれません。

 事実、のどかに聴いていた聴衆からも、演説が終わると同時に拍手が沸き起こりました。ただ、大阪らしいのは、質疑応答では大阪弁での気さくな口調だったことです。するどい質問も疑問も飛び出しましたが、吉本新喜劇そのままの庶民的語り口で、インテリ相手では無類の強さを発揮するソフィスト橋下氏もたじたじの場面もありました。

 案外、大阪の庶民の感情は、こんなものかもしれません。橋下氏の手法は、インテリや公務員など既得権益者をバッタバッタとなぎ倒す、例えば力道山のプロレスのようなものです。力道山が近所に来たら、カメラ片手に集まるでしょう。だからといって、その主張まで賛同するかといえば、また別の話でしょう。

 上の写真は同日夕方に桃谷という下町の駅前で行われたタウンミーティングです。下校途中の高校生も多かったのですが、無視するか、立ち止まっても、スマホなどで写真を撮るだけで、「(小さな駅の)桃谷でもやるんだね」と冷ややかに受け止め声もありました。

 大阪都構想は、マスコミやネットでの「空中戦」が目立ちますが、住民に深くは浸透していないのではないか、というのが私の印象です。もちろん、それが危険です。内容がよくわからないまま、「有名な人が賛成しているからそうだろう」「人気のあの人が言うから間違いない」という、何となくの「空気」で重大政策が決定される恐れがあります。

 大阪で行われている「から騒ぎ」は、日本のどこでも起こる可能性があります。大阪同様に財政危機や雇用の悪化や貧困層の拡大など閉塞感が増す自治体は多くあります。外国人排斥の運動も起こっています。そんな雰囲気の中、弁舌巧みな扇動家が登場したら……。そう。今の日本はナチス台頭直前のドイツとそっくりなのです。

 ナチスは民主的手続きによって登場し勢力を拡大しました。ヒトラーは民衆が生んだのです。


 

夢の残骸②「好き」を武器にするために

カテゴリー │書籍・雑誌

 「好きを仕事にする」キャリア教育の怖さについて、前回は声優の大塚明夫さんの身も蓋もない本を紹介しました。

 でも、好きなことにわき目も振らずに突っ走るのも若さです。ならば、好きな道を進んでしまった人はどうすればいいのか?いい本がありましたので紹介します。武蔵野音楽大学の就職課に勤務する大内孝夫さんによる『「音大卒」は武器になる』(ヤマハミュージックメディア)です。

 著者は武蔵野音大で学生の就活に関わる人で、芸術系大学生のキャリアガイドなのですが、興味深いのは著者自身のキャリアで、慶應の経済学部を卒業後に富士銀行(現・みずほ銀行)に入行、証券部次長やいわき支店長などを歴任したエリート銀行マンでした。

 よって本書もただのお手盛り就職本ではなく、銀行の法人担当営業マンが融資先を真剣に審査するように、就活市場での音大生のメリットや不利益を冷静にコンサルティングしていきます。


 著者が記す音大生の能力のひとつは「いくら叱られてもめげない精神力」!うわぁ、パワハラへの耐性なんていやだあ、と思いますが、ブラック企業でなくても社会に出ればいくらでもあります。音大生は練習不足で30分のレッスン中ずっと怒られっぱなしだったという経験を誰もがしているそうです。

 もうひとつは「コミュニケーション能力」。何だかこれも「ハイパー・メリトクラシー」の臭いが漂う言葉ですが、音大ではマンツーマンの講義が当たり前で、30~40も年上の講師とコミュニケーションを取らなくてはなりません。これは大教室での講義が主体の他大学では養えません。また音楽の知識や技術は企業内の音楽同好会などインフォーマルグループでも役に立ちます。

 他にも音楽のトレーニングが人とは違う脳を育てるとか(ニセ科学のようですが……)、「礼儀」「清潔」「時間厳守」(1分でも遅れてきたらガイダンスに入れない)、「強烈なプロフェッショナル集団」であること、など。少々茶化しましたが、いずれも社会で大事な能力です。

 では音大はいいことずくめなのか?いいえ。アナリストでもある著者は、音大生が真面目すぎると指摘します。ストイックに猛練習して、「楽器さえ吹ければ幸せ」と就職のことも金のことも考えず、気づいたらワーキングプア寸前という人が著者の大学の就職課にも多く訪れるようです。

 なんとなく卒業した人、臨時採用や非常勤の講師をしながら正教員への道を探る人(教員免許は取れるが正教員になれるとは限らない)、この道一筋の人、モラトリアム系、ブラック企業に就職した人……。

 著者はそんな音大生に、就職での「コネ」の存在を示しながら、「真面目になるより、魅力的な人間になれ!」とアドバイスを贈ります。

 マンガ『のだめカンタービレ』を読んでも、プロの音楽家として自立するのは実に険しい道です。21~22歳になれば自分の実力は自ずとわかると著者は言います。有名な演奏家は十代の頃から頭角を現していますし、ソリストとして活躍する人も、プロフィールに「音大首席卒業」とあります。「才能の壁」を感じたら企業などに就職する準備をするのは挫折でもなんでもありません。著者の言葉を借りれば、

 「「どのような職業につきたいか」より、「どのような人生を送りたいか」を考えよう!」

 「競う音楽から楽しむ音楽へ」

 です。

 音大から企業に就職した著名人に、ソニー元会長の大賀典雄氏がいますし、他にも成功した人は何人もいます。同書にも武蔵野音大のOB、OGの話が出てきます。ただ、本を読んでいて、最も幸せなのは、著者本人ではないかと思いました。

 前述の通り、慶大から都銀に入行したのですが、履歴書の「趣味・特技」欄に「ピアノ演奏、フルート演奏、クラシック音楽鑑賞、ショパンが好き」と書いた人で、クラシックの趣味を前面に押し出したのは同期入行の150人中で著者ひとりだったそうです。それが武蔵野音大との縁を結び、今の学生就職支援の仕事に結びついています。

 また、仙台勤務のときに、地銀の幹部と音楽の話題で盛り上がり、その地銀の吹奏楽団の定期演奏会に出演したことや、別の取引先の行事で、仙台フィルの指揮もしたとあります。なんとまあうらやましい話です。

 私の友人でも、吹奏楽をやっていた人が、今もアマチュア楽団でジャズを演奏しています。前回紹介した大塚明夫さんの本でも、声優に挫折した人が制作会社を経営しているとも書かれていました。好きを職業にしなくとも、人生を楽しませることは十分にできます。

 後半は具体的な就活のアドバイスです。ここにも元銀行マンらしい、実践的でやや生臭い話が出てきます。音大生とは縁が薄いと思われる、「ホーソン研究」や「PDCAサイクル」などビジネス理論が出てきたり、会計学の講師をしていることもあり、音楽家が知っておくべき税務知識の基礎も掲載されています。

 芸術系大学や専門学校に進もうとする人やすでに在学している人、その保護者には特におすすめです。あ、それから人事担当者も。音大卒というだけで無神経な質問をする人もいるそうですからね。