民都・大阪は独立するべきだ

カテゴリー │政治

 「橋下氏、大阪市長に 知事も維新・松井氏」(「大阪日日新聞」11月27日配信)

 初めから結果が明らかだった選挙でした。
 以前の内容と重なりますが、どれだけマスメディアや知識人や既成政党が橋下を批判したところで、有権者の圧倒的多数を占める大衆にはその声は届くわけがありません。
 大学教授や評論家による真っ当な政策批判もありましたし(「大阪都構想」なるものが政策と言えるかはともかく)、候補者同士の討論会も行われたようです。
 一方で、橋下氏の出生や家族についての中傷や差別文書に等しい雑誌記事も騒がせました。
 今から振り返ると、これらすべてが、橋下氏の存在を際立たせてすることになったのです。テレビのトーク番組をもじると、「橋下候補」対「橋下じゃないほう候補」の選挙戦でした。
 橋下氏の周りをぐるぐる回っているだけの他候補や反橋下の論客が、中心に比べて存在感を出せるわけがありません。

 加えて、大阪の独特の風土があります。
 政治学者の原武史氏の著書の題名を借用すると、「「民都」大阪対「帝都」東京」というように、大阪は大衆の町です。侍や公家、皇族の姿はありません。
 そして、大衆はアホです。
 教養もなければ知性もない、おもろければそれでいいというのが大阪人気質です。
 そして、アホのパワーが日本国内でも独特の文化を持つ風土を生みだしてきました。
 だから、政策の内容は全く不明だけどなにやらやらかしてくれそうな人の前では、他候補はもちろん、既成政党も学者も評論家も、大阪人の目には入っていませんでした。

 新聞では、今年2月の名古屋市長選挙とからめて論じているところがあります。
 元大阪府民の私は、まったく違うと断言できます。
 橋下氏やその陣営の最大の勝利の理由は、「大阪だから」。それしかありません。

 橋下氏のいう「大阪都構想」なるものがいかなるものか、私にはまったく理解できません。
 彼の団体「大阪維新の会」が出した「教育基本条例」がいかにトンデモかはよくわかります。
 そして、こんなものを大阪市民・大阪府民は選んでしまいました。

 これはもう、自己責任でやってもらいましょう。
 大阪都なんてちゃちなこと言わずに、もう大阪には国として独立してもらいましょう。
 大阪国初代大統領は橋下氏。どうせ市長なんか踏み台くらいにしか思っていないでしょうから、ぴったりでしょう。
 工業も世界的中小企業が多くありますし、食文化もお笑い文化も豊富ですから、観光資源もたっぷりあります。
 企業でいう分社化みたいにして金稼いでもらえば商都として繁栄するでしょう。
 ただし、日本国からの地方交付税交付金は当然なし。国による庇護も一切なし。アルゼンチンやギリシャのようになるんだったらどうぞご勝手に。
 まあ、好きなようにやってくれってことです。

 私は10年間大阪にいましたから、今でも好きな都市です。
 でも、これ以上関わるのはどうにも勘弁願いたいものです。
 もう日本に迷惑をかけないでもらいたいと心から祈ります。


 

『絶望の国の幸福な若者たち』のその後はどうなるか

カテゴリー │書籍・雑誌

 いやあ、身内の不幸とか風邪を引いたりとかですっかりブログから遠ざかってしまいました。
 いろいろと最近思うことがあったので、まとめてドンと紹介します。

 少し前ですが、市川海老蔵や瑛太が出た映画「一命」を観たんですね。小林正樹監督「切腹」のリメイクで、あまり客の入りはよくなかったという話ですけど、私にとってはそんなに悪くはないものでした。
 話としては、没落した浪人が、大名屋敷に出向き、庭先で切腹を願い出るという話です。
 ある浪人(瑛太)は、貧しいながらも幸せな家庭を築いていました。きれいな嫁ももらい、子宝にも恵まれました。ところがだんだん経済的に窮乏し、家族が病に冒されていきます。財産を売り、内職にあけくれ、それでも首が回らなくなった主人公は、当時流行していた「狂言切腹」に臨みます……。

 という、話にしてはこれだけですが、かなり迫ってくるものがありました。
 それは映画の力だけではなく、ちょっと前にある本を読んでいたからです。
 マクラが長くなりましたが、こちらです。


 古市憲寿さんという若い社会学者が書いた『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)という本です。
 古市さんは慶応SFCで小熊英二に、東大院で上野千鶴子、本田由紀に師事してきた現役の院生です。最近は活きのいい社会学者が多く出てきて頼もしく思えます。
 ……と書くと、私が「物わかりのいい大人」であり、若者を応援するのは「都合のいい協力者」だからだと著者に嫌味を言われそうです。同書はいわゆる「若者論」で、ステレオタイプな若者像や若者に対する言説を斜に構えた独自の文体でメッタクソに斬り捨てていきます。(同書第1章参照)。
 著者の命題は、タイトルにある通りです。ここまでひどく論評されているこの国で、若者はそれほど不幸だと感じていないのではないか?という疑問からスタートします。昨年のワールドカップや尖閣諸島デモなど若者の集う所に出向きインタビューするフィールドワークを重ね(正当な手法かどうかはとりあえず置く)、東日本大震災のときの若者の行動なども論述します。

 「あはは。日本のことはなかなかどうにもできないですけど、僕のまわりの身近な世界を、少しでもよくしていきたいとは思っています。」(巻末の俳優・佐藤健との対談)

 たしかに、戦争中に徴兵されたり戦火や窮乏に追われる時代や、「社畜」になって満員電車で会社で働かされる「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代に比べれば、今の若者はそんなに不満はないのでしょう。
 それと同時に、「自分のまわり」以外の条件が変わったら、どうなるでしょう。
 映画「一命」を観て思ったのがそれでした。どれだけ幸せでも、住居は老朽化し、家族は病気にもなりますし老います。その時に、何のセーフティネットもない浪人は、物乞いか押し売りのような真似をして生き延びるしかありません。
 「自分のまわり」以外が――例えば親が要介護状態になったとか、住居が住めない状態になったとか、事故や病気などで働けなくなったとか――おかしくなったら、「幸福」はすぐに吹っ飛びます。

 社会学で「アノミー」という言葉があります。法学部や経済学部に落ちて社会学部しか入れなかった学生でも半年もすれば覚えてしまう、古典的な概念です。
 簡単にいえば、無秩序や混乱からくる不安や不満の状態です。それが犯罪などの社会不安や自殺などの逸脱の原因のひとつになります。
 今は幸福だと思っていても、やや感じていた不安はいつか巨大なリスクとなって襲いかかります。そのときに若者が抱えていた漠とした不安は目に見える不満に転じ、映画「一命」の海老蔵のように、社会全体がアノミックな状態になるのではないか、と、すっきりしない読後感がありました。

 著者もそのあたりは自覚的だったようで、続編ともいえるこんな本を出版しています。


 師匠格で『おひとりさまの老後』(法研)など介護分野の研究にも精を出している上野千鶴子との対談です。
 本当はこの本にも触れたかったのですが、そろそろスペースがいっぱいです。
 上野先生はあえて突き放した書き方をしていますが、正直、この本では失敗でした。新書ですから、手に取るのは身内が介護が必要になった一般の人が多いでしょう。その読者を対象とした本に「あなた何も知らないのね」という筆致はあまり賛成できません。介護保険制度なんて、必要になってから勉強する人がほとんどなのですから。
 まあ、中身はいいのでセットでご一読を。


 

遠鉄百貨店新館オープン

カテゴリー │静岡の話題

 浜松駅前の遠鉄百貨店が改装を終え、今日新館がオープンしました。



 入口もオシャレになっています。



 人気のスイーツ店には開店と同時に長い列ができていました。



 ところで、ここはとある病院の遠鉄バス停留所です。
 自家用車を持たない人、体が悪い人、お年寄りがいっぱいです。



 本当に困っている人が必要としているバスを減便して、豪華なブランドショップが入る立派なビルを建てるなんて、おかしな会社ですね、遠州鉄道グループって。


 

合唱コンクール

カテゴリー │いろいろ

 今の小中学生は合唱コンクールを楽しみにしているのだそうです。
 少し前の「Yahoo!知恵袋」にもこんなアンケートがありました
 みんながんばってますね。

 私の中学生時代は管理教育のさなかで、教師はとにかく人と違うことを許しませんでした。
 ただでさえ思春期で、人前で歌うことなんか恥ずかしくてできないのに、教師に強制されて、バカバカしくてやってられるかと誰もが思っていました。
 当時の音楽教師A教諭は教養文化を押し付ける教育方針で、庶民家庭の中学生には興味のかけらもない、クソつまらないクラシックとか邦楽(日本の古典音楽)ばかりやらされました。
 一年生の合唱コンクールもそうです。練習も本番も、どんな曲を歌ったかも、何も覚えていません。

 二年生のときの教師、B教諭は、最初の授業で「音楽は『音を楽しむ』と書く。『音を学ぶ』の『音学』ではない」と、生徒に向かって話しました。
 歌の授業もありましたが、とにかく大声を出させるように仕向けるのが上手く、腹から声を出すので、授業の後はお腹がペコペコでした。
 クラシックでも、ベートーベンの有名な交響曲「運命」の冒頭部を、指揮者ごとに聞き分けるということもやってくれました。同じ「ジャジャジャジャーン」でも、まるで違う曲のように聞こえ、新鮮な驚きを覚えました。
 合唱コンクールでは、今でも映画などで使われる「あの素晴らしい愛をもう一度」をやりました。B先生は細かい技術は何も教えてくれませんでした。ただ、大きな声で歌いました。人前で歌うことの恥ずかしさや照れはまったくありませんでした。

 三年になり、再びA教諭が音楽の担当になりました。そしてなぜか私は学級委員をしていました。
 さらになぜか、合唱コンクールで指揮もさせられることになりました。
 そのとき、女子生徒から、有名なポピュラーグループのバラードをやりたいね、という声が上がっていました。
 私も好きな曲だったことと、中学生なりの責任感から、A教諭に、この曲をやらせてくれとかけ合いました。A教諭の答えは、「楽譜がないからダメ」というものでした。
 その日のうちに浜松の鍛治町にあるヤマハ本店に行き、合唱用にアレンジした楽譜を購入してきました。バンドブーム前夜で、楽器をやりたいけどお金がなかったので、いつも楽譜コーナーの背表紙を眺めていた私は、合唱用のスコアがあることも知っていました。
 ドヤ顔で楽譜を差し出されたA教師は、「合唱用に作られた曲でなければダメ」と、いきなり言い出しました。
 怒った私は音楽の時間を2時間つぶして、A教師とクラスの40人全員と団体交渉を行いました。団交といっても、実質的には私の演説でした。
 別の人には、学級崩壊とも見えたでしょう。

 あるとき、机の中に入っていた手紙を見つけました。あまり話したことがなかった女子生徒Cさんからでした。
 この曲をやりたいと言い出したとき、私が絶対に反対すると思っていた。だから、そこまでしてやってくれるのはすごくうれしい。応援するから、といった内容でした。

 最後の望みでキャスティングボードであった担任教師に直訴しました。反応は、にべもないものでした。
 帰りのホームルームで、クラス全員の前で、やんわりと、しかし反対の理由をとうとうとしました。
 生徒のよき理解者と思われていた担任が意向を明らかにしたことで、流れは決まりました。

 「学級委員に一任する」
 担任の裁定で、私が決めることになりました。
 クラスの支持が離れたことを肌で感じた私に選択肢はありませんでした。
 手紙をくれたCさんに、心の中で、ゴメン、ゴメン、力不足でゴメンと何度も謝りながら、「合唱曲は『○○○』にしました」と告げました。
 A教諭おすすめの、しかし、二度と聞きたくない、題名さえも思い出したくない曲です。

 後に大学時代、教育社会学の教授から、思春期の青少年が持て余しているパワーを、非行や校内暴力やいじめからそらすための学校行事として広まったと聞きました。本当かどうかはわかりませんが、そういう機能はあるでしょう。
 卒業式でよく歌われる「旅立ちの日に」も、荒れる学校を建て直すために、校長と音楽教師が作ったものだそうです。
 そうだとしたら、今の管理者は、合唱コンクールに向けてがんばろうとか、みんなで練習して上手く歌えて感動したとネットにつたない文章で書き込みをする中学生を、うまく飼いならしたものだと感心します。

 近所にお住まいの方が、母校の合唱コンクールにPTAとして参加され、その様子をツイッターでリポートしていたのを見て、このことを思い出しました。
 あれから四半世紀近くが経ちました。
 風の噂だと、教養芸術の原理主義者だった音楽教師A教諭は、定年退職して第二の人生を送っているそうです。
 音を楽しむことを教えてくれたB教諭は、数年前に亡くなりました。まだ49歳でした。
 巧妙に生徒の要望をつぶした担任は、出世の階段を着実に上り、中学校で校長をしています。
 こっそりと手紙をくれたCさんは、再会したとき、教師になっていました。「今の子どもは甘やかされすぎてるから、厳しくしつけをしないといけない」と話していました。

 そして、今では人気歌手の曲が合唱コンクールの課題曲となっています。NHKの合唱コンクールでは、今年はflumpool、来年はYUIだそうです。

 いったい私は何をやっていたのか、誰と戦っていたのか、自分でもよくわかりません。