今日の日刊スポーツ一面

カテゴリー │プロレス

今さら私が貧困な言葉で語ることはない。新聞の一面で堂々と送るにふさわしい人物だった。さらば鬼軍曹よ、永遠なれ。



 

XX歳からの死生学・宗教と偶像(3)

カテゴリー │社会

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 急勾配の参道を登ることは、すでに「オジサン」と呼ばれる歳になった者にとってはあまりにも苦行だった。汗が噴き出て、足がよろける。ただ、それだけが原因でないことも、十分すぎるくらいわかっていた。そうである。自業自得である。二日酔いで頭が鈍い痛みを上げているときに、山登りをすることがどれだけ無謀か、一応はわかっていた。
 前日、大阪の小さな飲み屋で、嫌というほど痛飲した。その店は二度目で、一本奥の路地に入ったところにある。大阪人は気さくで、一見の客同士で話が盛り上がる。肴はいらない。会話が抜群のつまみになる。ついつい酒が進んでしまった。
 そして、話さなくてもいいことまで口にしてしまった。初盆のやり方で家族と対立して逃げてきたこと、一応、寺院めぐりで私なりの供養をしていること。など。
 やっぱり怒られた。「深く考えすぎだよ」
 ああ、もうその言葉は聞き飽きました。そう思いながら、ビールを口に運ぶ手は止まらなかった。

 足を滑らせそうな急な石段を踏みしめながら思索したことは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて生まれた仏教の新潮流だ。これまで仏教は貴族・皇族ら金持ちの仏教だった。だから、贅を尽くして豪華な寺社を建立し、仏師に仏像を作らせた。ただし、本当に救済されるべき貧しい人々は蚊帳の外に置かれていた。また、仏教界の堕落もまたひどいものだった。
 その後、武士の世の中になり、特権階級以外の人々にも門戸が開かれた。法然は、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀様に帰依します)と唱えるだけで極楽浄土に行けるとの教義を確立した。弟子筋である親鸞は、その宗論をさらに深化させ、「絶対他力」「悪人正機」の教えを広めた。その他にもいくつもの鎌倉仏教が産声を上げた。
 それは、ローマ・カソリックの腐敗に対するルターの宗教改革と基本的に同一のものだろう。

 昨年末に刊行されベストセラーとなった五木寛之『親鸞』(講談社)は、そのあたりを非常によく書いてある。もちろん、史実ではなく小説であるから、そのままを受け入れることはできない。ただ、特に五木ファンにとっては五木文学の集大成ともいえる優れた小説である。ある書評で同書を、「青春の門 親鸞篇」と評した人がおり、秀逸な表現だと感心した思いがある。
 同書では、賤民階級の人々と、高貴の生まれである幼少期から青年期の親鸞との交流をひとつの軸としている。「河原者」と蔑まれた人々や、卑しい身分とされている女性のなかに親鸞青年は積極的に飛び込み、自らの心身と思想を鍛えていく。本当にそうであったかはわからないが、ひとつのメタファーとして興味深い。
 戦場での殺し合いを生業とする武士は、平安時代以前の仏教では救われることはなかった。ましてや被差別階級の人たちにとっては、救済など無縁であった。
 親鸞は、そういう民衆も、阿弥陀仏の御心によって極楽浄土に行けると説いた。これが、私なりの理解である。

 その親鸞を開祖とする浄土真宗を含めた多くの宗派で、長年、被差別民に差別戒名を付けていた。被差別階層の死者に、一目でそれとわかる戒名(法名)を付けていた事件が明るみにでて、差別解放団体を中心に激しい批判にさらされた。
 戒名は仏門に入るときに付けられる名前だが、日本では一般的にあの世での名前とされる(実際はやや異なる)。現世でひどい差別を受けてきた者が、あの世で救済されるどころか、来世でも差別的な名前を付けられそれを背負わされるという、とてつもない悪質な事件だ。さすがに仏教界は謝罪し反省しているが、当然である。だが、本質は変わらないと思う。
 現世で蔑まれてきた人たちに、さらに焼印を押すような仕打ちをする一方で、多額の布施をする人には長くて立派な戒名を授けるのが、現在の日本の仏教である。
 今年に入り宗教学者による葬儀や戒名についての本が話題になった。私の知る仏教関係者はネットで「葬式がどうした、戒名がどうしたという本が売れているが、本質を問題にしていない」と言い放った。
 いかに日本の仏教関係者が庶民感覚と乖離しているかがうかがわれる。庶民にとって、葬儀のありかたや予算は大問題なのであり、だからこそ書籍や雑誌でよく取り上げられるのだ。

 信仰はあくまでも心の問題であり形はどうでもいい、との私の仮説と願望は奈良訪問で木っ端微塵に砕かれた。
 空っぽの気分で室生寺の釈迦如来像はじめ国宝・重文の仏像を拝みながら、つくづく思った。
 室生寺でも仏像を拝むのに拝観料が必要だった。それを惜しむ人は、金堂に張られたロープの外から遠巻きに眺めていた。金のあるなしで、お釈迦様のお顔を観ることができない。女性でも入山できた寺でも、ここまで露骨な差別が行われているのだ。
 現代日本の仏教は、心ではない。あくまでも、形を大事にする宗教だ。もちろん、形には金銭も入る。金があるかないかで、救済も大きく変わる。
 型から入るのが好きな日本に合っていたからこのように発展してきたのだろうと思いながらも、型から入ることが死ぬほど嫌いな私にはやっぱり相容れないと、強く思った次第であった。

 なお、ここまで仏教が堕落したのは、信徒の責任もまた大きい。宗教を「消費」の対象としかとらえない人々もまた、仏教を貶めたひとりである。
 昨年、興福寺の阿修羅像の展示に140万人が行列をなした。他にも各地の仏像をめぐる人たちも多い。さながら「仏像ブーム」で、「仏像ガール」を自称する女性もいる。
 この人たちの多くが仏教の信仰心があるとは思えないし、美術品を観賞する態度でのぞむわけでもなく、ただ話のネタ、消費の対象でしかない。それは、「パワースポット」と称して神社の井戸をケータイで撮影したり、ただの鉱物を念珠としてではなく「パワーストーン」としてブレスレットとしたりするのと大同小異だ。
 仏教の僧侶はそのような風潮を一喝してもよさそうなものだが、そのような話は一度も聞いたことはない。

 同じ偶像崇拝をするのなら、八部衆像のひとつである阿修羅像を拝むよりも、秋葉原で崇められている48体のアイドル(idol=偶像)を観賞し、CDだのグッズだの写真集だのと引き換えにたっぷり寄進をしたほうがまだましだと思った真夏のある日のことであった。

 (終わり)


 

XX歳からの死生学・宗教と偶像(2)

カテゴリー │社会

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 西日本から台風が近づいている。車窓から眺める風景は、灰色の空と黒色のアスファルトに変貌していた。外の湿度を想像して憂鬱な気分になりながら、駅で購入した雑誌を開く。表紙にはでっかく「釈迦入門」とある。初学者にはこれくらいが予習のテキストとして十分だ。

 そもそも、お釈迦様はユダヤ教における神(ヤハウェ)のような存在ではないらしい。難しい教えを悟った人間で、その意味ではキリスト教を広めたイエスと同じようなものかもしれない。それが弟子により神格化され、現在伝えられるエピソードになっている。有名なものでは、生後すぐに7歩あるいて「天上天下唯我独尊」と唱えた、身長は1丈6尺(4m80cm)、などなど。
 入滅(死去)後、弟子たちは嘆き悲しみ、尊敬するお釈迦様の遺骨を分け合い、それがアジアの各地に分散した。遺骨を「仏舎利」といい、これは戦後貴重だった米飯を表す「銀シャリ」に残っている。
 仏舎利を納める大きな建物「仏塔」が各地で造られ、日本では木造の五重の塔が主な建築物となった。仏塔のことをサンスクリット語で「ストゥーパ」という。それが日本では「卒塔婆」と呼ばれ、お墓の脇に置かれるようになる。
 すなわち、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教での偶像崇拝禁止に対し、仏教では少なくとも釈迦の入滅後、偶像ありきの宗教であったことがわかる。
 雨脚とともに、私の嫌な予感は強くなっていった。

 投宿まで、まだ時間がある。読んだ雑誌には、いろいろなお釈迦様の像が紹介されていた。一つの寺院だけを見学しても、よくはわからないだろう。よし、ここはひとつ、お寺の「はしご」をしよう。そう決意して、法隆寺駅で下車した。
 コインロッカーに荷物を放り込んで寺に向かう。もう雨は止んでいたが、湿度が高く、歩いていると体に水滴がまとわりつくようだ。体力を消耗しながら歩き、世界最古の木造建築物にたどりついたときに見えたものが、やっぱり、という思いが体をさらに重くさせた。

 拝観料・1000円。

 私には寺院の価値も仏像のありがたさもわからない。1400年も前からそこにあることが、単純にすごいという教養水準だ。
 もちろん、それを支えてきた仏師や宮大工の技術は当然、尊敬に値することは百も承知だ。中に奉納されている国宝級の品物のいくつかについてのエピソードも知っている(「玉虫厨子」の話は教科書にも出ていた)。
 それでも、私は強い異議を唱えなければならなかった。

 「貧乏人は仏さまのお顔すら拝むことができないのか」

 たぶんそうなのだろう。今も格差社会・貧困・ワーキングプアが問題となっている。かつてはもっとひどかったのだろう。今の感覚からすると、そういう人にこそ、救済が必要なはずだ。
 しかし、本当に救済されるべき人に、世界遺産は門扉を閉ざしていた。仏教はかつては貴族・皇族たち一部の特権階級のものだった。なにせ、建立した聖徳太子からして皇族なのだから。
 だからこそ、貴族は金にあかせて偶像を作らせた。東大寺の大仏などはその典型だ。もし、信仰は形ではなく心の問題だというのであれば、あんな巨大な仏像は必要とはしないはずだ。
 そこに、偶像崇拝どころではない、「形」(=偶像)こそが仏教の姿であることがよく現れている。
 私は財布からなけなしの1000円札を取り出し、南大門脇から境内に入った。金堂に安置されている「釈迦三尊像」に手を合わせ、「息子に似て無教養な父をよろしくお願いします」と深々と頭を下げた。気持ちはまったく釈然としないままであったが。

 安土桃山時代から江戸時代、キリスト教が禁止され、「隠れキリシタン」をあぶりだすために、「踏み絵」が行われた。遠藤周作の小説『沈黙』のクライマックスが、迫力ある踏み絵の場面だったことを覚えている人も多いだろう。
 そんなものに別に意味はない、という「暴論」をどこかで目にした。キリスト教は偶像崇拝を禁止しているのだから、イエスの絵などは邪教のものだ、堂々と踏めばよかった、というものだ。そんなむちゃくちゃな、と思う一方、常識外れを以て任じる私は、この意見に賛成である。
 しかし、これが仏教だったらそうはいかない。そもそも釈迦の骨という偶像そのものが信仰の対象だったのだから。もし「般若心経」を踏もうものだったら、とんでもないことになる。
 イエスや聖母マリアの聖画像はキリスト教の「舞台装置」でしかない。仏像・仏画とは成り立ちも機能も全く異なるものである。

 (つづく


 

XX歳からの死生学・宗教と偶像(1)

カテゴリー │社会

 険しい山道の石段を一歩、一歩、足元を確かめながら登っていく。気を抜くとふらりとなって、足を滑らせそうだ。すでにシャツやジーンズは雑巾のように汗を吸いこんで重くなっている。今朝のテレビで気象予報士が、熱中症に十分注意するようにと何度も呼びかけていたことを思い出す。なるべく日陰に入るように。水分補給をするように。たしかに、聞いた。なのに、なぜ私はこんな暑い日に、シャワーを浴びたような汗をかきながら、こんな辺鄙な場所を歩いているのだろう。滑落しても、熱中症で倒れても、救急車が来るまでにどれだけかかるかわからない、ましてドクターヘリなんか役に立たない場所で、私はいったい何をしているのだろう。

 思えば、この短気な性格がすべての災いのもとだった。初盆で利害関係者との折衝に疲れ、それでもなんとか目処が立ち、さて本番まで3週間というところで、思わぬところから横やりが入った。
 当地の初盆は、周囲の地域に比べて、かなりの大行事で、名古屋の結婚式とも引けを取らないという人もいる。面倒くさがりの私としては、それでも精いっぱいの努力をして、長男として家の面目を保ったつもりだった。
 それが、去年から半年以上にわたり計画し、障害をすべて取り払った努力が、たった一人の強情さで、すべてひっくり返った。

 「信仰は心の問題だ。形じゃない!そんなに形にこだわりたいのならば、俺は手を引く。おまえがやれ!」

 捨て台詞を残して、家族・親戚・葬儀屋・近隣とのしがらみから逃げた。行き先は決めていた。奈良と三重の県境に近い山奥にある、室生寺という寺だ。

 室生寺は別名「女人高野」と呼ばれる。高野山などが女人禁制を貫く中、室生寺は女性を受け入れたことからその呼び名が付いたそうだ。そんな知識は皆無であったが、絶対に赴かなくてはならない理由があった。
 その理由は、職場に貼ってあった、静岡銀行のカレンダーにある。
 室生寺の国宝・釈迦如来立像である。おそらく銀行は、仏像がブームということだけで、このような写真を使ったのだろう。だが、私には大きな意味があった。

 昨年、他界した父の葬儀の際、菩提寺の住職が、父はあの世でお釈迦様のお弟子さんになると語った。バカもほどほどいい加減にしろよ、と思った。父がそんな立派な方の弟子になれるわけがない。学問でも芸術でも芸能でも、弟子になるにはそれ相応の教養が必要とされる。大学院の試験がそうであるし、有名な芸能人の弟子になるために何度も足を運んだり、著名な方に仲介を頼んだりという話は数知れない。弟子入り志願者が師を選ぶのと同時に、師も弟子を選ぶのだ。
 まして父には教養のかけらもない。戦中派で中学しか出てない父にはまともに本など読めないし、読んだとしても私のお古の『美味しんぼ』くらいである。寅さん映画と水戸黄門が好きで、教養っぽいテレビは政談番組だけを観るといういう有様だ。そんな無教養な者を、お釈迦様が弟子になどしてくれるわけがない。

 欺瞞だ。そうに違いない。だが困ったことに、私はへそが二重に曲がっている。嘘だとわかっている話でも、一応は確かめなくてはならない。とりあえず現場に行かなくては。事務所のカレンダーを見ながらそう考えていた。
 ネットや「るるぶ」などで調べると、室生寺にはカレンダーにある釈迦立像のほかにも、坐像もあり、こちらも国宝という。その他にも多数の国宝や重文を保有しているとのことだ。
 また、奈良の寺院には、他にも釈迦如来像他、価値のある仏像・仏画が多くあり、遷都千三百年の記念行事に合わせてタイミング良く観光客相手に拝観をしているものもあるそうだ。
 現場主義をモットーとする芸能問題総合研究所である。形だけの初盆などクソくらえ。お釈迦様に直接会って、本当のところを聞いてやる。待っていろ、お釈迦様よ!

 こうして奈良行きを思い立ったことが、海の底よりも深い後悔を生むことになるとは、その時はまだ知る由もなかった。

 (続く


 

オレ流お盆の過ごし方

カテゴリー │旅行

奈良公園にて。故人を静かに偲ぶ。これでいいのだ。



 

柿食えば鐘が鳴るなり興福寺

カテゴリー │旅行

夜間拝観やっているそうです。ダメ元で来てよかった〜。



 

酔っぱらって何が悪い!

カテゴリー │旅行

大阪・新世界にて。なんで串カツ屋に長蛇の列ができているんだよ!

(追記・14日)次の日、二日酔いでベッドでうなっていました。



 

目的地はここ

カテゴリー │旅行

JR奈良駅で「せんとくん」の撮影会をしてました。蒸し暑い中、たいへんだ〜。



 

おっぱい、ボヨヨ〜ン

カテゴリー │旅行

三重県亀山市で電車待ち。
「富永一朗漫画館」があるそうです。



 

エスケープ

カテゴリー │いろいろ

 お盆です。

 当地・静岡県西部のお盆は、なんでも名古屋の結婚式と並ぶ豪華なものだそうです。

 うちも初盆です。

 今からたっぷり篭盛(篭の中に缶詰やら何やらたっぷり詰めたもの)が親戚すべてから届いています。

 寝る場所もありません。

 うちは分相応に質素にやろうって、昨年から打ち合わせしていたにもかかわらず。

 お寺とも、葬儀屋とも、おもな親戚(本家筋)とも緊密に連携して、どこからも文句が出ないようにしていたのに。

 あえて名は出さないが、どこかの誰かが土壇場でひっくり返して、豪勢にやることになってしまいました。

 長男で、祭祀権者である私を差し置いて。

 だから、ブチ切れました。

 私は逃げます。

 一切手を引きました。

 どうなるかはわかりません。知ったことではありません。

 というわけで、今からお盆が終わるまで、パソコンも開かずに旅に出ます。

 では、ごきげんよう。


 

子どもを踏み台にした連中について

カテゴリー │書籍・雑誌

 用事を済ませて帰宅しました。暑さは厳しいものの、盛りは過ぎたようで、これから残暑、それから初秋へと向かっていくのでしょう。季節の移ろいを感じ、なんだか寂しさもまたあります。
 そんな、風雅な書き出しとは正反対の本を紹介します。
 阿比留瑠比『決定版 民主党と日教組』(産経新聞出版)です。著者は産経新聞の名物政治記者で、ブロガーとしても人気の方です。
 この本は以前にもちょっとこのブログでも紹介したことがあります。先の参議院議員選挙で、山梨県での菅首相の演説会場で、この本を持ってうろうろしていた人がSPにマークされていました。
 それでというわけではありませんが、ちょっと関心がありまして、行きつけの書店で平積みされていたので買ってみました。これが、二つの意味でイタイ本です。
 まず一つ目のイタさとして、ジャーナリストの文章として、あまりにもひどい。「地元紙や地元テレビでは一切報じない」(p.16)との教員の声を掲載したすぐ後で、山梨県紙・山梨日日新聞に掲載された投書40通(しかも8割が山梨県教組への批判)があったと紹介・引用する(p.23-24)など支離滅裂です。
 また、主観がたっぷりこもっている上に、書き方がいちいちオーバーでシニカルです。ついでに言えば、議会の議事録や新聞記事の引用でページ数を大幅に稼いでいて、かなり水っぽくなっています。セコいです。
 別に個人名で出している本で何をどんなふうに書いても一向に構わないし、そこがネットで人気なのかもしれませんが、これでは新聞記者ではなくて、政党や政治家の広報やゴーストライターです(まあ、本当にゴーストをやってる記者もいるのですが)。
 せめて新聞記者の肩書きで本を出すのだったら、

 別訪問

 の誤字くらい直しとけよってため息つきたくなります(編集者も気付かなかったのか?)。

 もうひとつのイタいところですが、内容そのものです。
 嘘かと思われるかもしれませんが、私は日教組が大嫌いなのです。



 

大学に行こう!

カテゴリー │静岡の話題

 ブログの更新なんかやってられるか!って暑さなので、軽い話題を。
 ちょうど今頃ですが、高校3年生のとき、大学の見学に行きました。
 偶然、東京駅の新幹線ホームでクラスメイトに会い、彼も同じく大学見学に行くところでした。
 「ところで、三田ってどう行けばいいの?」
 ゲッ、こいつ、慶応かよ、こっちはN大なのに、とビビってしまい、おいおいちゃんと調べて来いよと毒づくのが精いっぱいでした。

 まあ、彼は第一志望の慶応、私は第二志望の某大学に入学したのですが、夏休みに大学のキャンパス見学なんて、当時の受験生は好き勝手にやっていました。
 第一志望のN大は、そうそうたる人材を輩出しただけあって歴史のあるところで、言いかえれば校舎は相当ボロいものでした。でも、学校までの電車の中で演劇の台本を読んでいる人がいたり、校門の真ん前でフィルムを回している人たちがいたり、なんかいい雰囲気で、未来の自分を重ねていました。
 入口付近の守衛さんに「今は夏休みだから誰もいないよ」と呆れられながらも、無視して校内に入り、サークル棟やグラウンドなど、見られるところだけ見て帰った記憶があります。

 なんでそんなことを思い出したかというと、今日、静岡大学のオープンキャンパスがあって、浜松駅のバスターミナルに長蛇の列ができていたんです。
 ……素直というか、バカ正直というか。これが国立大学を受験しようというエリートのタマゴか?

 大学主催のオープンキャンパスといえど、行かないよりは行ったほうが絶対にいいのです。でもさ、並ぶほどか?
 浜松市内の学校の生徒もいたのですが、もうちょっと知恵を絞れないのか?たとえば、レンタサイクル借りるとか、近くの学生を誘ってタクシー相乗りするとか。
 第一、揃いもそろって、今日行くことないと思うけど。どうせオープンキャンパスなんて「よそ行き」の面しか見せてくれないのだから。平日に行って、講義に潜りこんで、学校内をこそこそ歩いて、学食でカレーでも食べたほうがその学校の雰囲気がよくわかるはずです。
 オープンキャンパスだけの特典もあります。たとえば、教授や学生・院生に直接話を聞けるとか。でもね、そんなの、直接大学に行けばいいのよ。事前に手紙を出して、話を聞きたいと言えば、やる気のある学生は歓迎してくれます。静大はわかりませんが、他の大学では例外なく受け入れてくれました。
 あるいは、高校の卒業生名簿を頼りに連絡するとか。そういうのが苦手な人だったら、高校の先生に紹介してもらうとか、手はいくらでもあります。
 事実、私のところにも、見ず知らずの後輩から連絡がありました。結局その人とは会えず仕舞いだったのですが、それだけのたくましさがあれば、きっとどこでも元気にやっているだろうと思っています。
 Heaven helps those who help themselves.受験生はもちろん意味はわかりますね。 高校3年生にもなれば、まず手を尽くしてみることです。

 かなりの多くの高校生は勘違いしてるでしょうが、大学は、自分で勉強するところです。誰かが何かを教えてくれるところではありません。
 何をやってもいいし、何もしなくてもいい。全くの自己責任で4年間を過ごす。それが大学です。
 だから、大学のお仕着せのオープンキャンパスがあるから行こうなんていう人は、自分で学ぶ大学にはそもそも不適格です。
 パソコンを眺めていても、ときどきそういう人に出会います。大学の卒業生が集うコニュニティサイトには「○○科に行きたいのですが、先生は誰ですか?」「どんなカリキュラムですか?」なんて学外からの質問がよくありました。そんなの電話一本でわかるだろう!っていうか、そんなに行きたいのだったら、直接大学に来て、研究室で聞け!
 こういう人たちが一時期、本当に多かったのです。Googleで検索することが「蛍雪時代」とか「進研スコープ」(今もあるのかな?)で調べることと同じ情報収集だと勘違いしているバカが。高校生ならばまだ微笑ましいけど、編入学試験や大学院入試を受けようという人にもいるのですから、どうしようもありません。

 でも、今の高校生にそこまで要求するのは難しいのかな。私の卒業した高校も、今では「予習の仕方」を一から丁寧に教えたりするらしいのですから。一応、頭のいい学校と言われていたんですけど(私は最下位レベルでした)、手取り足取り教えなくてはいけないのかなあ。
 大学だって、国立大学は独立行政法人化で、学生や受験生は「お客様」になってしまったのですから、「顧客満足度」を高めなくてはいけないのでしょうか。

 それにしてもなあ。

 受験生諸君。偏差値ランキング表とにらめっこするよりも、まずは大学に足を運ぼう。勉強で大変だけども、一日くらい、いいじゃないか。
 そんな私は甘いのかな?否!断じて否!、と思います。