XX歳からの死生学・宗教と偶像(1)

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 険しい山道の石段を一歩、一歩、足元を確かめながら登っていく。気を抜くとふらりとなって、足を滑らせそうだ。すでにシャツやジーンズは雑巾のように汗を吸いこんで重くなっている。今朝のテレビで気象予報士が、熱中症に十分注意するようにと何度も呼びかけていたことを思い出す。なるべく日陰に入るように。水分補給をするように。たしかに、聞いた。なのに、なぜ私はこんな暑い日に、シャワーを浴びたような汗をかきながら、こんな辺鄙な場所を歩いているのだろう。滑落しても、熱中症で倒れても、救急車が来るまでにどれだけかかるかわからない、ましてドクターヘリなんか役に立たない場所で、私はいったい何をしているのだろう。

 思えば、この短気な性格がすべての災いのもとだった。初盆で利害関係者との折衝に疲れ、それでもなんとか目処が立ち、さて本番まで3週間というところで、思わぬところから横やりが入った。
 当地の初盆は、周囲の地域に比べて、かなりの大行事で、名古屋の結婚式とも引けを取らないという人もいる。面倒くさがりの私としては、それでも精いっぱいの努力をして、長男として家の面目を保ったつもりだった。
 それが、去年から半年以上にわたり計画し、障害をすべて取り払った努力が、たった一人の強情さで、すべてひっくり返った。

 「信仰は心の問題だ。形じゃない!そんなに形にこだわりたいのならば、俺は手を引く。おまえがやれ!」

 捨て台詞を残して、家族・親戚・葬儀屋・近隣とのしがらみから逃げた。行き先は決めていた。奈良と三重の県境に近い山奥にある、室生寺という寺だ。

 室生寺は別名「女人高野」と呼ばれる。高野山などが女人禁制を貫く中、室生寺は女性を受け入れたことからその呼び名が付いたそうだ。そんな知識は皆無であったが、絶対に赴かなくてはならない理由があった。
 その理由は、職場に貼ってあった、静岡銀行のカレンダーにある。
XX歳からの死生学・宗教と偶像(1) 室生寺の国宝・釈迦如来立像である。おそらく銀行は、仏像がブームということだけで、このような写真を使ったのだろう。だが、私には大きな意味があった。

 昨年、他界した父の葬儀の際、菩提寺の住職が、父はあの世でお釈迦様のお弟子さんになると語った。バカもほどほどいい加減にしろよ、と思った。父がそんな立派な方の弟子になれるわけがない。学問でも芸術でも芸能でも、弟子になるにはそれ相応の教養が必要とされる。大学院の試験がそうであるし、有名な芸能人の弟子になるために何度も足を運んだり、著名な方に仲介を頼んだりという話は数知れない。弟子入り志願者が師を選ぶのと同時に、師も弟子を選ぶのだ。
 まして父には教養のかけらもない。戦中派で中学しか出てない父にはまともに本など読めないし、読んだとしても私のお古の『美味しんぼ』くらいである。寅さん映画と水戸黄門が好きで、教養っぽいテレビは政談番組だけを観るといういう有様だ。そんな無教養な者を、お釈迦様が弟子になどしてくれるわけがない。

 欺瞞だ。そうに違いない。だが困ったことに、私はへそが二重に曲がっている。嘘だとわかっている話でも、一応は確かめなくてはならない。とりあえず現場に行かなくては。事務所のカレンダーを見ながらそう考えていた。
 ネットや「るるぶ」などで調べると、室生寺にはカレンダーにある釈迦立像のほかにも、坐像もあり、こちらも国宝という。その他にも多数の国宝や重文を保有しているとのことだ。
 また、奈良の寺院には、他にも釈迦如来像他、価値のある仏像・仏画が多くあり、遷都千三百年の記念行事に合わせてタイミング良く観光客相手に拝観をしているものもあるそうだ。
 現場主義をモットーとする芸能問題総合研究所である。形だけの初盆などクソくらえ。お釈迦様に直接会って、本当のところを聞いてやる。待っていろ、お釈迦様よ!

 こうして奈良行きを思い立ったことが、海の底よりも深い後悔を生むことになるとは、その時はまだ知る由もなかった。

 (続く


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