2020年04月01日06:48
「人間」らしく……≫
カテゴリー │社会
「人間」らしく
やりたいナ
トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ
「人間」なんだからナ
………………
開高健による、1961(昭和36)年のサントリー・トリスウイスキーの広告コピーです。
病院には小さくとも良本がそろった図書室があります。サントリー宣伝部社員だった開高と山口瞳の共著『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)もそこで見つけました。
サントリーの創業者・鳥井信治郎と社員の奮闘ぶりを書いた社史が元です。同社の名物社員で作家の斎藤由香が補筆という、豪華な本です。
斎藤が掉尾で、サントリー宣伝部の社風として紹介しているのが、この名作コピーです。
たった6行の何気ない文章には、裏の意味があります。カギカッコで強調しているように、「人間」扱いされていない人がいたことです。
時代は高度経済成長期。華々しく語られる歴史の陰で、国に棄てられた人々がいました。
閉山された炭鉱労働者、単純労働に酷使された集団就職の学生、ヤクザに脅され上前をはねられた日雇い労働者、先祖が残した田畑を細々と耕しながら出稼ぎする農家……。
戦後の光を照らす映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の底部を作ったのが、こうした歴史に名が残らない人々でした。
時は経て、21世紀。令和。
「私たちはロボットでもAIでもありません。人間として扱ってください」
私は何度も上役に訴えていました。
仕事人間でした。でも、会社人間ではありません。
「お客様のために」その一言を貫くために、上や同僚や、自分を神様だと勘違いした客とよく揉めました。
災害のときは、自分から職場に段ボールを敷いて寝泊まりしました。台風一過の朝番では、給料より高いタクシー代を払って駆け付けました。東日本大震災の翌朝は、自転車を走らせました。なぜか、みんなあきれて笑いました。
昨年、史上最大級の台風19号が近づいてきたときも泊まり込みました。家にひとりでいる母には、電気や水道が止まってもいいように、食べ物や飲料水、薬など万全の備えをしてから出かけました。
台風は猛烈な勢力を衰えずに接近します。自治体が避難所を設けました。母を避難させるか、弟に電話で相談しました。
温厚な弟は珍しくキレました。「すぐに上と代われ」
「兄を帰します」「できません」「体が不自由な母がいます」「こっちだって人がいない」「ならば兄でなくあなたがやればいい」「代わりがいません」「なら閉めればいいでしょう」「それはできません」「だったらひとりでやればいいでしょう」
押し問答は決着が付かず、結局、母はその日だけ弟夫婦の家で預かってもらいました。
4月1日。今日から新社会人という人もいるでしょう。必ず「職業人」と「家庭人」のどちらを取るか、迷う時が来ます。
災害時にライフラインや住民の安全を維持する人たち、物品を供給する人たち、財産や家屋の不安を和らげようと駆け回る人たち。その人も、被災者で家庭があります。
今、この瞬間も、医療や福祉や教育の現場で命と安全・安心のために苦闘している人がいます。
ブラック企業に入ってしまい、良心を削りながらこき使われ、ふと人生を投げ出したいと思ったりするかもしれません。
難しい局面で答えが出せなかったら、一旦立ち止まって、職業人や家庭人である前に、あなたは「人間」なんだ、との大前提を思い出してもらえたら、社会人の先輩として幸いです。
「人間として扱ってください」
私の訴えに、その上役は、最後まで首を縦に振りませんでした。そして私は、意図しない形で突然職場を去りました。
最後には理解とねぎらいの言葉をもらいました。その人も、若い頃に親しい人を病気で亡くしたそうです。
無職になったので、たまには愛飲していた「山崎」18年ものの代わりに(ウソです)、トリスのハイボールにしてみようか。
「人間」なんだからナ。
…………
その前に体を良くしないと。今は酒はご法度だから、同じサントリーのお茶を一杯。
やりたいナ
トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ
「人間」なんだからナ
………………
開高健による、1961(昭和36)年のサントリー・トリスウイスキーの広告コピーです。
病院には小さくとも良本がそろった図書室があります。サントリー宣伝部社員だった開高と山口瞳の共著『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)もそこで見つけました。
サントリーの創業者・鳥井信治郎と社員の奮闘ぶりを書いた社史が元です。同社の名物社員で作家の斎藤由香が補筆という、豪華な本です。
斎藤が掉尾で、サントリー宣伝部の社風として紹介しているのが、この名作コピーです。
たった6行の何気ない文章には、裏の意味があります。カギカッコで強調しているように、「人間」扱いされていない人がいたことです。
時代は高度経済成長期。華々しく語られる歴史の陰で、国に棄てられた人々がいました。
閉山された炭鉱労働者、単純労働に酷使された集団就職の学生、ヤクザに脅され上前をはねられた日雇い労働者、先祖が残した田畑を細々と耕しながら出稼ぎする農家……。
戦後の光を照らす映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の底部を作ったのが、こうした歴史に名が残らない人々でした。
時は経て、21世紀。令和。
「私たちはロボットでもAIでもありません。人間として扱ってください」
私は何度も上役に訴えていました。
仕事人間でした。でも、会社人間ではありません。
「お客様のために」その一言を貫くために、上や同僚や、自分を神様だと勘違いした客とよく揉めました。
災害のときは、自分から職場に段ボールを敷いて寝泊まりしました。台風一過の朝番では、給料より高いタクシー代を払って駆け付けました。東日本大震災の翌朝は、自転車を走らせました。なぜか、みんなあきれて笑いました。
昨年、史上最大級の台風19号が近づいてきたときも泊まり込みました。家にひとりでいる母には、電気や水道が止まってもいいように、食べ物や飲料水、薬など万全の備えをしてから出かけました。
台風は猛烈な勢力を衰えずに接近します。自治体が避難所を設けました。母を避難させるか、弟に電話で相談しました。
温厚な弟は珍しくキレました。「すぐに上と代われ」
「兄を帰します」「できません」「体が不自由な母がいます」「こっちだって人がいない」「ならば兄でなくあなたがやればいい」「代わりがいません」「なら閉めればいいでしょう」「それはできません」「だったらひとりでやればいいでしょう」
押し問答は決着が付かず、結局、母はその日だけ弟夫婦の家で預かってもらいました。
4月1日。今日から新社会人という人もいるでしょう。必ず「職業人」と「家庭人」のどちらを取るか、迷う時が来ます。
災害時にライフラインや住民の安全を維持する人たち、物品を供給する人たち、財産や家屋の不安を和らげようと駆け回る人たち。その人も、被災者で家庭があります。
今、この瞬間も、医療や福祉や教育の現場で命と安全・安心のために苦闘している人がいます。
ブラック企業に入ってしまい、良心を削りながらこき使われ、ふと人生を投げ出したいと思ったりするかもしれません。
難しい局面で答えが出せなかったら、一旦立ち止まって、職業人や家庭人である前に、あなたは「人間」なんだ、との大前提を思い出してもらえたら、社会人の先輩として幸いです。
「人間として扱ってください」
私の訴えに、その上役は、最後まで首を縦に振りませんでした。そして私は、意図しない形で突然職場を去りました。
最後には理解とねぎらいの言葉をもらいました。その人も、若い頃に親しい人を病気で亡くしたそうです。
無職になったので、たまには愛飲していた「山崎」18年ものの代わりに(ウソです)、トリスのハイボールにしてみようか。
「人間」なんだからナ。
…………
その前に体を良くしないと。今は酒はご法度だから、同じサントリーのお茶を一杯。
