「プチ鉄」堪能

カテゴリー │静岡の話題

 地元のローカル線、天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅で開かれている「天浜線フェスティバル」という催しに行ってきました。
 なんでも国鉄二俣線全線開通から今年で開業70周年記念ということで、おめでとうございます。



 ま、こんな感じの催しで、他にも貴重な写真やマニア垂涎の昔の機器(っていうの?)などが展示されていたり、廃車になった旧国鉄の車両に乗れたり(うれしいことに「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンの中吊り広告や昔の路線図まであった)、グッズ販売や出店があったりと、アットホームで和やかで、でもひそかに濃ゆいイベントでした。
 お客さんは、バカでかいレンズを装備したカメラを抱えた鉄分100%の「鉄ちゃん」「鉄子」(鉄道マニア)もいましたが、子ども連れの家族が多かったです。それでもよく見ると、お父さんがかなり性能のいいカメラを持っていたり、子どもよりも楽しんでいる人たちも多かったです。きっとお子さんにとっては、いい英才教育になったでしょう。

 とまあ、そんな感じで「プチ鉄ちゃん」を堪能したわけですが、イベントがあろうとなかろうと、ふだん乗らない電車(車でもバイクでも自転車でも可)で小旅行に出てみるのは、いい気分転換になります。
 今回私は、磐田から掛川までJRに乗って、そこから「天浜線一日フリーきっぷ」(1500円)で終点の新所原へ行き、浜松経由で帰ってきました。このルートは、一度仕事で行き詰ったときに、やけになって反射的に飛び乗ったときに発見したものです。それでかなり気分が楽になりました。
 実は今日、天浜線に乗ったのも、仕事で落ち込むことがあったからです。
 最初はなかなか来ない電車にいら立ったり、車内のおばさんや小学生のうるささに閉口しましたが、やがてはそんなものにも慣れ、ゆっくり流れる時間にひたりました。
 途中、無人駅で降ろされ、夕立ちを避けて駅舎のホームで持ってきた本を開き、雨に打たれる淡い青色の紫陽花をながめながらページをめくると、普段の分単位で動く生活やら、いろんなしがらみやらから解放されていきます。

 貧乏学生のときによく鈍行列車で一人旅をしました。そのときの記憶がよみがえってきます。そういえば、中井貴一主演の「RAILWAYS」という映画が公開されていますが、その舞台になった出雲市の一畑電鉄にも行ったなあ、なんて思い出しました。
 夜行電車で隣り合ったおじさんは、東京から郷里の新潟まで、親の介護のために毎週往復しているそうで、「学生時代には時間は山ほどあると思ったけど、働き始めると、旅行する時間なんて何にもないからな」と教えてくれました。当時は「そんなものなのかな」と思ったくらいでしたが、今は痛切にわかります。
 いろんなものに追われている人たちには、海外旅行もiPadなどのデジタル機器もいいですが、ちょっと近所への小旅行、ぜひおすすめします。

 「天浜線フェスティバル」、明日もやってます。


 

貴族の宴

カテゴリー

こういう人たちは「官製ワーキングプア」なんて言葉とは無縁なんだろうな。まさに組合貴族やないか〜い!ルネッサーンス!(古いね)



 

言葉は鴻毛より軽し

カテゴリー │政治

 またかよ、と思われるかもしれませんが、立派な人物なので何度も紹介を。ドイツの社会学者で、マックス・ウェーバーという人がいます。「社会学」という、よく名前は聞くけど何をやっているのかいまいちわからない、でも学者がマスコミで偉そうにしゃべっている学問をひもとくと、必ず出てくる名前です。
 その方の『職業としての政治』という本があります。薄い講演録で、題名から政治家になるための「なるにはブックス」とか、就職ハウツー本と思われますが、やや(だいぶ)違います。でも、政治家になる(目指す)人にとっては必読の書です。
 そのウェーバー先生が、本の最後で、こんなことを述べています。そんなに難しくはありません。

 「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけではなく、――はなはだ素朴な意味での――英雄でなければならない。そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」(脇圭平訳、岩波文庫、p.105-106。ルビは省略)

 非常に有名な一節です。ただ、ウェーバー先生は、前の部分で「心情倫理」と「責任倫理」について述べています。そこを忘れてはいけません。
 詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、わかりやすく例を出して説明します。

 ある著名な政治家がいます。情熱と判断力と、ついでに莫大な資産も持っています。沖縄に米軍基地が多くあり、事故も事件も多発している危険なところです。住民は怒っていますが、そのたびに札束でほっぺたを引っぱたいてなだめてきました。著名な政治家は、この現状を心苦しく思いました(心情倫理)。そして「沖縄の基地を移転します」と公約を掲げ、当選し、指導者に選ばれました。
 さて、いざ公約を実行しようとすると、いろんな問題が山ほど出てきました。朝鮮半島や台湾海峡に火種を抱えている東アジアの軍事バランスがいびつになります。今はおとなしくしている中国が、いつ牙をむくかもしれません。そのときの牽制の手段がひとつ減ります。
 さて、基地はどこに持っていくのか?現実的な候補地はそんなにありません。あったとしても、住民に反対されるのはわかりきっています。それでも話を持って行きました。最初は話さえ聞いてもらえず、住民は大規模な反対集会を開き、町長もそろって反対の姿勢を崩しません。
 同盟国のアメリカからも心配されます。著名な政治家は、大見えを切って答えました。「トラスト・ミー!」
 国内外へのアピールのため、あるいは自分にハッパをかけるため、5月末までには決着をつけると公言しました。その期限は迫っています。
 そんななか、北朝鮮が韓国の硝戒艇に魚雷をぶっ放したなんていう物騒な話が持ち上がりました。朝鮮半島は一気に危険モードです。最悪、沖縄から米軍の戦闘機がバンバン飛び立つという状況です。
 心配してアメリカの国務長官が中国万博に行くついでにわざわざ寄ってくれて、著名な政治家と会談しました。どうやら米軍基地移転はあきらめざるを得ない状況です(責任倫理)←イマココ。

 こんなように、理想と現実、現在と未来がひとりの指導者の中で戦いながら、将来にわたっての責任を負う決断を下すのが政治家だというのです。
 ウェーバー大先生ならば、この著名な政治家氏をきっと称えるでしょう。でも、凡人の私だったら、こう言います。

 「出来もしないんだったらはじめから口にするんじゃねえよ!」


 

浦和レッズの差別問題と「ジャパニーズスタンダード」

カテゴリー │社会

 たった100通か……。

 「サポの人種差別発言へ100通超の抗議メール…浦和」(「スポーツ報知」5月21日)

 リンク先の記事を読んでの通りです。どんな発言があったかは問題ではありません。
 熱狂的な応援で知られる浦和レッズのサポーターですが、これを「行き過ぎた応援」などの言葉でごまかしてはいけないわけです。
 だって、差別は海外、特にヨーロッパでは犯罪扱いされています。前回W杯決勝でフランス代表のジダンが暴行で一発退場して批判されましたが、ジダンをヒートさせた相手選手の発言もまた同様に厳しく指弾されたことを思い出してください。
 それに、逆のことを想像してみればいいと思います。浦和の選手がヨーロッパなどで活躍していて、現地で差別的言動をされたら日本のファンはどう思うか。
 ですから、浦和レッズはチームとして徹底的に事実の究明と断固とした対応をしなくてはなりません。

 それがたった100通の抗議メール……。
 クラブ代表にこんな恥ずかしい声明を出させておいて、浦和サポーターは情けないと思わないのかな。
 選手からして思っていないんでしょうね。記事によると、選手会長の選手は、こう語ったと言います。

 「複雑ですが、僕らは勝つことだけを考えてやっていくしかない。僕らが考えてどうなるものでもない」(同)

 この選手のことはよく知らないのですが、サッカー選手として以前に、人間としてどうしようもない。よくぞここまで他人事でいられるものです。「生半可なことでは済ませない」とのサッカー協会会長の姿勢とは温度差が天と地ほど違います。
 わがジュビロだったらどうしてただろうな。ブラジルや韓国の選手もいるから、毅然とした対応ができるはず……、だと信じたいのですが。

 さて、ここからはちょっとカタい話。サッカーフリークにとっては半可通の話だと思って話半分に聞いておいてください。


 

おひさしブリーフ

カテゴリー │映画・演劇・その他

 タイトルからわかるように、非常に疲れています。
 仕事やら日常の雑事やらで疲弊しきっています。
 マジでなんもやる気がない。クリーニング屋にも行かなくちゃならないし、ホームセンターでの買い物もあるし。

 そんなダウナーな具合のなか、映画を観てきました。ジョージ・クルーニー主演の「マイレージ・マイライフ」という映画です。「アバター」「ハート・ロッカー」「第9地区」と重い洋画ばかり観たので、こんな軽めの映画もたまにはいいかな、と思いました。
 主人公は日本のドラマにもあったリストラ代行業。全米を航空機に乗って移動する毎日です。
 家族も持たず、家は空港とうそぶく主人公ですが、やがて人生におけるつながりの大切さに気付き……、という、まあ、アメリカ映画のありきたりの結末です。
 映画そのものはそれほど面白くありません。よくあるハリウッド映画の域を出ていません。

 ただし、飛行機マニアの人にとっては、たまらない描写がいっぱいです。
 主人公は出張族なので、マイルがたっぷりたまります。それに応じて、航空機会社からはいろいろなサービスが受けられます。そのゴージャスさが何とも言えないものです。
 ちなみにアメリカン航空が全面協力しているので、考証はばっちりでしょう。
 飛行機マニアでない私も、飛行機というと「都会」「大人」「ビジネスマン」「エグゼクティブ」なんてイメージがありますので、ミーハーで欧米コンプレックス丸出しの田舎者の方(つまり私のこと)でも楽しめます。

 私がこの映画を楽しめないと思った理由は、後半部にあります。
 アメリカ映画らしく、家族のきずななんてものを大事にします。
 私はその部分が大嫌いです。なんでフラフラしていてはいけないの?
 アメリカでは「アメリカン・ニュー・シネマ」というジャンルがかつて一世を風靡しました。専門的なことはわかりませんが、既成の価値観に反抗する若者の思想を表したものとされます。代表作には「俺たちに明日はない」「イージー・ライダー」などがあります。アメリカの保守的思想に反するヒッピー文化などにも通底します。
 日本では「男はつらいよ」が筆頭です。「フーテンの寅さん」に憧れる人も多いですが、彼もまた、完全に大人になりきれないままです。
 実際にそんな人がいたら困ったものですが、フィクションなのだから、別にいいじゃん、と思います。

 で、この映画ですが、主人公は超かっこいいエリートビジネスマンです。そんな人が、前半部では首切り請負人として、バリバリと仕事をこなしていきます。
 ある大企業で容赦ないリストラを果たしたら、次の日には飛行機で別の都市に移動してビジネスマン向けの講演を行います。出張のマイルを貯めることが生きがいの主人公を、嫌悪する人もいるでしょうが、私は非常に憧れました。家も家族もしがらみも捨てて、都市から都市へと飛び回る生き方がかっこいいのです。
 それゆえ、後半部に主人公に心の迷いや周囲の変化が訪れることに、異議を申し立てたいのです。まあ、観客や製作者の価値観の違いなのでしょうが。

 ともあれ、そんな、ヒューマニステウィックな映画です。リストラがテーマですから実際は軽くはないですし、ハッピーエンドでもありません。それでも、飛行機が好きとか、誰にも寄りかからずに生きたいと強がっている人にはおすすめです。DVDが出たらレンタルしてみてください。では。


 

シューカツ戦線異状あり

カテゴリー │書籍・雑誌

 その昔、私も「シューカツ」なんてものをやりました。ひとりだけジーンズにセーターで一次面接に行ってなぜか通過し、人事の方からご丁寧に「次はスーツで来てください」と電話を受けたりしました。結局そこは辞退し、会社は別のところに吸収合併されましたが、今でも好意を持っています。
 別のところでは、9月の残暑が厳しい中、やはりひとりだけ上着を脱ぎ、30分以上待たされたときにはマンガを読んでいました。幾度となく「面接以外のところも採否の参考にします」と言われましたが、マンガを読んではいけないという法律はありませんし、くそ暑いときに上着を着てはいけないというのは非合理です。文句言われたら「御社は外見で判断するのですか?見た目で差別するのですか?」と反論しようと思っていましたが、たった一枚の紙きれで不採用となりました。
 また別のところでは、面接官が非常に態度が悪く、「君が何言ってるのかわからないんだけどー」とか嫌味に話し、けんか腰の討論となった挙句に退場を言い渡されました。プロ野球の監督ならば珍しくはありませんが、学生で退場処分となったのは私だけでしょう。
 ちなみにそこの人とは「○○○○法の第一条を言ってみろ」「言えるわけないでしょう」「ほうらみろ、あんたの勉強不足だ」なんてやり合いました。もしその面接官が車を運転する人だったら、道路交通法の第一条を言えるのでしょうか?言えなくても運転には支障がないのに。
 いずれの企業とも、「あなた方が学生を選ぶのと同じく、こっちも就職先を選んでやるんだ」と思っていました。そんな学生、採りたがるわけありませんよね。でも、今でも決して思い上がりとは思っていません。

 そんな嫌な思い出しかない「シューカツ」ですが、苅谷剛彦・本田由紀編『大卒就職の社会学』(東京大学出版会)という本を読みまして、「今の学生はもっと大変だな~」なんて、のんきな感想を持ちました。
 この本は東京大学の教育社会学者が中心となった「就職研」の共同研究の成果です。学生向け就職ハウツー本ではありませんし、採用の非合理性を声高に主張するフニャフニャした新書とも全く異なる、しっかりした論文集です。複雑な統計手法を用いた数理分析もあれば、学生や企業からの聞き取り調査あり、時代ごとの言説の変遷を見ていく調査もあります。ですから研究者以外には読んでも実益にはなりませんし(一見さんおことわり)、研究者にとっては批判的に読むことを要求される本です(ケチを付けるという意味ではなく)。
 で、一般人と研究者の間のコウモリのような私としては、「現在の学生はホント、大変だな~」という、間抜け以外の何物でもない感想を持ちました。

 別にバブル時代と比べて採用枠が少ないとか、そんな単純な話ではありません。経済環境が厳しくなった今、企業は新卒採用を厳選しています。かつてのように「東大・早慶だから採用」「××大?問題外」というような学校歴による選別や、大学研究室からの推薦なんて通用しません(例外あり)。
 代わって求められるのが、「コミュニケーション能力」だの「リーダーシップ」だの「協調性」だの、そんな可視化できない能力です。本田由紀先生が「ハイパー・メリトクラシー」と呼んでいるものです。こんなもの、簡単にわかるわけありません。かくして採用活動の長期化・厳選化が進みます。
 そんな中にたかだか20歳そこそこの学生がさらされるのだから、たまったものではありません。気力も、体力も、経済力も要求される、消耗戦になります。

 本の中に、「自己分析」についての論文があります。よく使われる「自己分析」の意味するところを子細に追ったものですが、自分のことを振り返ってみると、20歳過ぎたばかりの青い学生が、「私は○○な人間です」なんて、わかるわけないのです。言えたら逆に気持ち悪いです。
 就職ハウツー本『絶対内定』の著者、杉村太郎氏(この人が就職活動で「自己分析」という言葉や手法を広めたと記憶している)は、就職のセミナーのようなものを主宰していたそうですが(今も?)、その内容は学生を精神的に追い詰める自己啓発セミナーそのもので、学生時代にこの人のエッセイを読んで吐き気がした思いがあります。
 その「自己分析」なるものをやってきたのか、ツラツラとよどみなく面接で自己紹介を話す学生がいます。私はそういう学生を見るたびに、気の毒だと思います。この人たちは、人間ではありません。「就活生」という機械になるよう調教されてしまったのでしょう。

 これは多くの企業の採用担当者が思っていることでしょうが、就職活動(新卒も既卒も中途入社も)は、企業が学生などを選ぶ場であり、同時に学生が企業を選ぶ場です。卑屈になる必要などありません。そして、驕ってもいけません。
 私の知っている女性が、静岡県西部の金融機関の入社試験で「女はダメだ」「女は○○だから」とさんざん侮辱されて、それ以来、そこの金融機関は絶対に使わないと言っている人がいます。
 「どんなに急いでいるときも、そこのATMには行かない。たった105円の手数料さえも払いたくない。車を飛ばして遠くの『えんしん』や『いわしん』に走る」
 とプンプン怒っていました。
 私はその方に大恩があるので、私も同じようにその金融機関は使っていません。そんな話は山ほどあります。逆に、試験で落とされたけど、面接官が親切だったからその企業は今でも好きだという人もいます。

 この時代、企業を選り好みできるほどの余裕はありませんし、私自身ノイローゼになったくらいで思い出したくないことだらけなので偉そうなことは何も言えませんが、最低限の矜持くらいはあってもいいと思います。
 少なくとも、「エントリーシート」なんて、学生をレースカーや競走馬扱いするものを出させることに疑問を持ってほしいとも思うのです。企業もそういう骨のある学生を雇ってみてもいいのでは?大化けするかもしれませんよ。




 

ロシナンテとの旅はこれからも続く

カテゴリー │快適自転車ライフ

 わが愛車・GIANTの「ESCAPE R3」が修理から帰ってきました。

 事を話せば先週末。絵に描いたような五月晴れに恵まれ、「よーし、久しぶりにサイクリングで遠出するか!」と気負ったものの、以前からちょっと自転車の調子が悪くて、修理してもらってから気持ちよく走ろうと、いつもの自転車屋さんに馳せ参じたわけです。

 私「ちょっとギアがうまく入らないんですが」
 自転車屋さん「ああ、これ、ちょっと歪んでますね。これならすぐ直りますよ」
 私「あ、じゃあスプロケット(ギアの歯車が組み合わさっている部品)を交換しなくてもいいんですね」
 自転車屋さん「ええ、でも、シフトワイヤーがかなり傷んでますね。それからブレーキワイヤもさびが目立ちますし」
 私「え!?ワイヤーの傷みって、危険じゃないですか」
 自転車屋さん「もう取り換えたほうがいいですね。どうしますか?」
 私「もう、全部取り換えてください。それからメンテナンスサボってたから、ブレーキシュー(タイヤホイールと接触して速度を落とすゴムの部分)もかなり摩耗してるんで、これも交換してください。あ、それからタイヤにもヒビが入ってるんです」
 自転車屋さん「ああ、これ、通勤に使ってますね。自転車通勤の人は、かなり傷むんですよ」
 私「すいません。よく雨ざらしにしてます」

 そんな具合で自転車をお店に預けて、時間が空いた私は電車で静岡市に映画を観に行きました(「第9地区」。今年は外国映画の豊作です)。ついでに由比まで足を延ばして桜エビを食してきました。かま揚げ、かき揚げ、そしてビール。おいしゅうございます。
 そこに電話が。

 自転車屋さん「えーとですね、よく調べてみましたら、やっぱりスプロケットが相当に傷んでいまして、前のほうも歯が欠けそうなんです」
 私「やっぱりそうなんですか」
 自転車屋さん「それでですね、チェーンもかなり酷使されてまして、最悪、走行中に切れる恐れもありまして」
 私「えー!」
 自転車屋さん「ですので、全部交換されたほうがよろしいと思いますが」
 私「ええ、命には代えられません。全部とっ換えてください」

 で、取りに行ってきました。オーバーホールされ、ワイヤー・ギア・足回りのパーツ代、その他、工賃含めてしめて3万円なり。少しお金足せば、新品が買えるじゃないか!
 いや、ほんと、私の自転車はいい自転車なんですが、スポーツバイクの中では一番の廉価版なんです。ブリジストンの通学用自転車「アルベルト」のほうが高いのですよ。
 実際に、これまでの部品代・メンテナンス費用を合わせると同じ自転車が丸々購入できるくらいです。

 でもね、冷静に考えると、そっちのほうが当たり前だったんです。
 家電なんかがそうですが、昔はちょっと調子が悪くても、近くの電気屋さんがすぐ来てくれて直してくれました。今はすぐ家電量販店で新品を買っちゃいますからね。もったいないし、環境にもよくありません。
 メンテナンスが終わった私の自転車も、新品同様とまではいきませんが、かなり快走できました。これからの初夏のシーズンが楽しみです。

 かくして、細かな修理や部品交換を繰り返しながら、ドン・キホーテと愛馬・ロシナンテのごとく、わが愛車「ESCAPE R3」号との旅はどこまでも続くのでありました。

 とはいえ自転車屋さんで見たチェレステカラーの「Bianch CIELO」が非常に気になって仕方がない……、いや、そんなことはない!(武士は食わねど高楊枝)


 

右見て、左見て、もう一度右を見て陰謀論にハマりましょう

カテゴリー │書籍・雑誌

 ジャーナリスト堤未果氏の好評を博している著書『アメリカから〈自由〉が消える』(扶桑社新書)を読みました。「9.11」以降のアメリカでセキュリティが強化され、国民のプライバシーなど諸権利が政府の思いのままになっているのではないか?と警鐘を鳴らした本です。
 ……堤氏の本にしてはなんかかなり遅れてるな、と感じました。大澤真幸・東浩紀『自由を考える』(NHK出版・2003)より前の議論になってるような。それとも現実がオーウェルの『1984年』にまで退行しているのだろうか?

 ところで、堤氏の本で、変なところを見つけたのですが。
「安全保障の脅威から戦争へ」という項目です。「第二次世界大戦参加のきっかけとなった真珠湾攻撃も有名な例だ。
 一九四一年、当時のルーズベルト大統領は、ハワイにいた太平洋艦隊司令官に日本軍に先制攻撃をさせるよう指示を出し、二隻の空母と新鋭艦十九隻を外海に移動させ、老朽管十六隻を日本の戦闘機が攻撃しやすいよう、真珠湾に直線に配置させた。
 くわえてこの時、ルーズベルトは日本軍の進攻を察知した司令官を更迭、レーダーを不能にしたうえに、日本軍の潜水艦が入港できるよう真珠湾の海門を開いている、
 日本の攻撃が成功するやいなや、全米に流された「日本軍のだまし討ちにより米兵二千四百人死亡」のニュースは、当時戦争反対だったアメリカ世論をひっくり返した。
 怒れる世論の後押しでアメリカは大戦参加を果たし、世界の軍事大国という地位を手に入れた。
 ワシントンがこの攻撃を事前に知っていたという事実が公開文書によって明らかになるのは、ずっと後のことになる。」(p.59-60)
 えっと、たしかこれ、別の人も同じようなことを言って大問題になって、「陰謀論だ」と一蹴されたとおもったのですが……。
「さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
 (中略)真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。」(田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」
 それぞれ左右にクルッと回転して「反米」という同じ方角に向いてしまったのかな。




 

GWとテレビとアニソン三昧

カテゴリー │書籍・雑誌

 ゴールデンウィークすべてに仕事を入れられて全くやる気なくしているオオハシです。浜松まつりに全日参加できないこの辛さを県西部の方ならわかってくれるでしょう。仕方ないからNHK-FM「今日は一日アニソン三昧」を聞きながらブログのレイアウトいじっています。右サイドにツイッターが入ったのが見えますか?

 そんななかで連休らしさを少しでも味わえたのが、長編エンタテインメント小説を読めたことです。今回読んだのが真山仁『虚像(メディア)の砦』(講談社文庫)。書店で一目ぼれしてしまいました。
 真山仁といえば、テレビドラマや映画になった『ハゲタカ』の一連のシリーズですが、これも経済小説で、テレビ局の内幕ものです。現実にテレビ業界を騒がせた事件を元に構成されています。モデルは存在しませんが(というか、いくつかの実在の人物や団体をミックスしている)、ああ、あのことか、と当時の怒りや失望を思い出しながら読みました。インターネットがまだそれほど普及していなかった頃から「マスゴミ」批判の根は深かったのだと振り返りました。
 また、権力がいつでもメディアを利用するものだろうな、と注意しなくてはとも思いました(ちなみに放送局上層部が放送内容を「ご注進」する与党幹事長の名前「橘晋作」に思わず苦笑。若き三世政治家だそうです)。

 これは確かに力作なのですし、主人公の真実に挑み現場に赴くジャーナリストがかっこいいかとか、報道に対するもう一つの軸に「お笑い」(バラエティ番組)を持ってくるとか、緊張感あるなかで工夫されている内容なのですが、悪くはないけどちょっといまひとつでした。
 これは作者の責任や力不足ではありません。世界が変わる前の業界の姿だからです。
 サブプライム問題がはじけて世界同時不況で、世界は変わってしまいました。現実のテレビ業界は小説に書かれているよりもはるかに深刻な事態になっています。小説の中のエピソードなんて、「この状況でそんなことできるわけねーだろ!」とか「そんな悠長なこと言ってる余裕なんかねーよ!」なんて冷や水を浴びせられるのです。
 いや、ホントにね、業界内部から漏れ聞こえてくる内容がもう、辛いのなんの。「テレビは危機感がない」なんて小説にありましたが、とんでもない。悲惨な話しか聞こえてきません。製作会社が○○○とか、CM料金を○○してる、とかね。

 この本が出たのが2005年(経済誌に連載されていて、単行本になったら読もうと思っていた)。文庫版が2007年。それがたった数年でガラリと状況が変わってしまうのですから、怖いものです。
 でも、小説それ自体は面白いです。特にテレ朝やTBSの悪口書きまくっているネット右翼の方はネタ本にどうぞ。

 そんな私はもう少し「アニソン三昧」聞いて寝ます。いまマクロス特集やってます。それにしても、DJの丹下桜の声は魔性だー。昔を思い出してしまった。あなたのハートにときめきLOVEハート




 

藤の花が見頃なり

カテゴリー │静岡の話題

磐田市池田・熊野の長藤です。現在八分咲。花もきれいだけど香りもかぐわしく。



 

今そこにある「鹿川君いじめ事件」

カテゴリー │社会

 「鹿川君いじめ事件」というものがあったことを知らない人もいるようですね。1986年、もう四半世紀も前のことです。生まれてもいないという人も多いかもしれません。
 いじめられていた中学二年生、鹿川裕史くん(13)が、首をつって自殺したという、いたましい事件です。
 そこで大きく取り上げられたのが、クラス全員と教師4人が参加した「葬式ごっこ」です。鹿川君の机を祭壇に見立て、寄せ書きを書いて追悼するというものでした。
 参加した生徒や教師は、冗談でやったものでした。全員が笑っていました。鹿川君も笑っていました。
 でも、鹿川君は、心の中では笑っていませんでした。「このままでは生きジゴクになっちゃうよ」との遺書を残して命を絶ちました。

 東京地裁での一審判決では、いじめの責任どころか、いじめの存在すら認めませんでした。理由は、鹿川くんはいじめグループに積極的にかかわっており、「葬式ごっこ」もそのエピソードのひとつである、というものです。自殺のの原因も、予見性も認められないという、とんでもないとしか言いようもないものでした。
 これがテレビ番組、たとえばたけし軍団とかダチョウ倶楽部だったらまだわかります。俗に言う「いじられる」というものです。それはタレントにとって、いじめではなく「おいしい」と価値が変わります。
 でも、鹿川君は、カメラもなにもないところで、使い走りをさせられたり、殴られたり、服を脱がされたり、そのほかいろいろなことをさせられたのです(私も書くのに乗り気がしないので、詳しく知りたい人は自分で図書館に行くなりネットで調べるなりしてください)。

 なんでこんなことを思いだしたかというと、数日前にこんな記事を読んだからです。興味本位で取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょう。

 「やずや就活動画流出 不採用学生“再挑戦”ネット投稿」(「MSN産経」4月27日)
健康食品の通信販売大手「やずや」(福岡市)が、採用試験に落ちた学生に動画共有サイト「You Tube(ユーチューブ)」に学校名や名前などの個人情報を含む自作の動画を投稿させる“再チャレンジ”試験を行ったところ、うち学生1人の動画がネット上に流出したことが26日、分かった。動画は、投稿時に特定の相手しか見られない設定にできるが、学生が設定方法を知らなかったため、動画が流出。同社は「非公開」設定の案内不足を認め、ホームページで社長名のおわびを掲載した。(後略)
 詳しくは記事のリンクや他の記事を参照にしていただきたいのですが、投稿された動画は、かなり力の入ったものだったそうです。どうやら「やずや」は、学生のミスとして終わらせたいようですが、私の思うところは全く違います。
 この件の構図が、「鹿川君いじめ事件」とかなり似通っていることです。

 現在の超買い手市場で、学生の立場として、企業の命令に逆らえる状況にはなかったでしょう。不採用にされ、しかし、ほんの1本の細い蜘蛛の糸が垂らされていたら、そこに飛びつく以外はありません。
 もちろん、動画サイトに投稿されたパフォーマンスなど、喜んでやる人などいません。学生は健康食品の販売会社に入社したいわけであって、別にEXILEやAKB48のメンバーになろうってわけじゃないわけですから。
 その、本人が恥を忍んで懸命にやっている映像を、採用担当者が面白がって見ているわけです。企業は決して「面白がって」いたわけではないと反論するでしょうが、こんな企画を立てた時点で同じことです。学生の人生を左右する就職活動に「再チャレンジ制度」なんて特権意識を前面に押し出したゲーム感覚の命名をするくらいですから。
 採用されるためなら何でもしなくてはならない学生がおり、その学生に冗談半分で命令する採用担当責任者がいる。そして、面白がって他の社員(観衆)がおり、さらに何もできない、何もしようとしない社員(傍観者)がいる。
 社会学者の森田洋司氏が指摘した「いじめの四層構造」そのものです。

 この件のカギは、システムトラブルでもヒューマンエラーでもありません。おそらく、どの企業や学校でも起こりうる行為です。
 それは時に、セクシャル・ハラスメントやアカデミック・ハラスメント、パワー・ハラスメントと呼ばれるであろう行為です。

 どれだけ不健康になってもいい、死んでもいいので、「やずや」の商品だけは食べるのをやめよう、と強く決意した次第です。

 (参考文献)

 いずれも80年代からのいじめを語る上で必須の古典です。
 保坂氏の本はスタジオジブリのアニメーター・近藤勝也氏の装丁のほうがよかったな。