学問の自由はこれを保障しろ!

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 「学問の自由はこれを保障する」

 日本国憲法で一番覚えやすい条文だそうです。なぜなら、五・七・五だから。なるほど、辛口の夏井いつき先生でも添削できない完璧な句ですね。えっ、季語がない? あーあー、聞こえない。

 今の日本は立憲主義という制度です。法の支配ともいいます。これは、権力者を法という鎖でグルグル巻きに縛ることです。

 憲法が権力を制限している人(名宛人)は日本政府です。つまり、主権者である国民が政府に「○○をしろ!」「××はするな!」というのが立憲主義です。私も誤解していて、高校の教師に指摘されて驚きました。

 冒頭の条文を私なりに噛み砕くと、

 「おい日本政府よ、学問の自由を保障しろ!」

 となります。ああ、夏井いつき先生の怒声が聞こえてきます。

 何の話かというと、問題になっている日本学術会議への人事介入です。

 (画像は「しんぶん赤旗」の特ダネ記事。日本共産党の志位和夫委員長のツイッターより無断借用。どうもすいません)

 私なりに整理すると、憲法で保障されている学問の自由に行きつきます。

 「国は学問の自由を保障しろ!」とイキっても、研究にはお金も人も必要です。だから、政府がお金を出します。それは、学者の報酬だけでなく、国立大学や国立研究所の敷地や建物、図書館の蔵書、職員の人件費などもです。私立大学だって、私学助成金などの形でお金が支払われています。

 ならば国は学問に口を挟めないのか? 金だけ出して口は出すなというのか?

 はい、その通りです。

 世の中にはいろんな研究者がいます。霊能力や超能力の研究者、「アインシュタインの相対性理論は間違いだ」とか「ゲームをやり過ぎるとゲーム脳になる」とか、いわゆるニセ科学と呼ばれるものもあります。「親学」なんていう、今の政権と非常に相性がいい研究をしている人もいます。

 そんなオカルトまがいの研究者を、国が排除してもいいのか?いいえ、 いいわけがありません。どんなトンデモ研究でも、それは学問ですから。学者同士の相互批評と議論で真理を追究しなくてはなりません。

 過去に「トンデモ」の扱いを受けて国に迫害された学者も大勢います。日本の近現代では滝川事件の滝川辰幸、天皇機関説事件の美濃部達吉、津田事件の津田左右吉、などなど。今では彼らの学説は正当なものだとされています(もちろん、将来覆る可能性もあります)。

 何が正しくて、何が間違いか。そもそも正しさとは何か。正しさを判断するのは誰か。なぜその資格があるのか。

 そんなことを延々と議論しているのが学術界です。

 何の生産性もありません。金と時間ばかりかかります。たった一つの真理の下には膨大な学者の知恵と教養と学説が積み重なっています。

 学問の自由は、大多数の国民にとっては無用で無駄です。だからといって、なくしていいか? 日本を中国や北朝鮮のようにしたいのならば、どうぞ。金日成総合大学を卒業した人たちがエリート層を成すような国にしていいのならば、どうぞどうぞ。私は嫌です。そして、ひどい戦争を経験した日本人も、同じく嫌でした。

 だから、「学問の自由はこれを保障する」「学問の自由を保障しろ!」)という条文をわざわざ憲法に入れたのです。

 日本学術会議の騒動はこれに尽きると思います。時の権力が、学界から都合の悪い学者を排除して、御用学者を重用するなんて、絶対にあってはなりません。これは学術会議だけでなく、大学の自治(人事)も同じです。学術会議の在り方なんて、枝葉の問題です。

 そして、最大の問題。

 どうして法学部すら出ていない私が、こんな当たり前のことを言わなきゃならないんだ!!

(↓学問がいかに重要かがわかるお薦め資料映像。スマホからは観られないようです。ごめんなさい)