「生活保護」はスティグマだ

カテゴリー │社会

 有名人の家族や親族が生活保護を受けているといろんなところで議論になっています。
 これは、異様な光景です。
 まるで、ナチスのユダヤ人狩りを連想させます。
 別のところでも書きましたが、今の日本は1930年代のドイツにそっくりです。

 私の親の世代は、生活保護を受給するということは、それだけで人間失格の烙印を押されるのと同等の意味がありました。
 つまりは、あの家は貧乏で、失業者で、恥ずかしいことだ、というスティグマ(悪いレッテル)です。
 身内のことで誠に恥ずかしいのですが、これはれっきとした差別です。
 そして、お金のことで「被差別者」の身になったこともあります。
 私が大学時代に奨学金を借りようとしたとき、父を説得するのに相当に骨が折れました。これは恥ずかしいことじゃなく、奨学生に選ばれるのは名誉なことで、当時のクリントン大統領だって奨学金を得ていたと説明しても、なかなか納得してもらえませんでした。
 父は昼間からブラブラしている人を指して「あの人は年金生活者だな」と嘲笑していました。不労所得で生活している、ということです。汗水流して働かない(働けない)ことはよくないという意識があったのでしょう。その父も定年退職後に再就職がままならなくなったとき、自嘲的に「おれは年金生活者だからな」と話していました。

 奨学金の返済もままならない人や、将来年金をもらえる保証もない若者からしたら信じられないかもしれませんが、これが戦前・戦中派の考えです。
 奨学金や年金ですらこうですから、生活保護受給者へのまなざしはもっとひどいでしょうし、自分が生活保護を受ける立場になったら、精神的に相当辛いことになるでしょう。

 ところが、実はこれは大きな誤りです。
 生活保護は憲法25条で保障された権利だから、正当な理由があれば堂々と受給すればいい、という法律の話だけではありません。
 約15年前の大学時代に受講した「社会福祉論」のノートには、意外なことが書いてありました。

 このデータ自体がいつのものか、私の手違いで未記入なのですが、生活保護予算のかなりの部分が、医療扶助で占められているのです。
 生活保護利用者で、医療扶助の現物給付(医療費用でなく、治療など)を受けている人が、当時のデータで82.5%。複数の扶助を受けている人もいますが、それを考えてもかなりの数字です。
 さらには、全体の予算の中で、医療扶助費が58.0%を占めているそうです。
 つまりは、貧しいからとか、働く意欲がないからだけではなく、重い病気を患っており、その医療費がまかなえないために、生活保護を利用しているという現実があります。
 講義ノートには、教授の意見として、
医療保障の欠陥を生活保護の医療扶助がカバーしている
 とメモ書きがありました。
 つまり、普通の、財産も家族もある社会人でも、高額の医療費が必要になる大病や難病にかかったら、生活保護を受給しなくてはいけなくなります。
 恥ずかしいことでも、差別されることでもなく、誰にとっても必要とされうる制度が、生活保護です。

 それが約15年前。
 現状がどうなっているか、厚生労働白書(H23年版・資料編)を見ますと、医療扶助受給者が年々増加しており、全体としての受給者率はあまり変化がありません(p.203)。
 人数が増えて割合が横ばいなのはなぜかというと、新聞などで報道されているとおり、生活保護受給者が増加し、予算が膨れ上がっていることが原因です。
 十分に働けるけど長期化する不況で雇用の場がない人が受給せざるを得ないというのが現状です。

 この理由ははっきりしています。
 小泉・竹中改革による新自由主義化で、雇用の場を失い、不安定労働に就かざるを得ない人たちが増大したからです。 
 その改革の急先鋒だった「小泉チルドレン」の片山さつき議員と、郵政選挙で小泉自民党を大勝に導いた世耕弘成議員が、最大限尊重されるべきプライバシーを私人の家族の生活保護受給実態を調査させ、マスコミを使って白日のもとにさらしました。

 片山・世耕の両議員は、いったい何をしたかったんでしょう。
 大向こうにドヤ顔で実績を誇示したかっただけなのでしょうか。
 はっきりしていることは、片山・世耕両議員が悪いのではないということです。
 不正受給者や貧困ビジネス業者が悪いのでもないということです。

 この日本に、ユダヤ人狩りをしたい人が大勢いるということです。


 

私的ダイバーシティ・マネジメント論

カテゴリー │社会

 ブログの更新がおろそかになってしまい、どうもすいません。
 体調不良や多忙などいろいろありまして、なかなかたいへんでした。
 まあ、私のネットのことなんかどうだっていいんですが、そうはいかない事情というものもあるのです。

 私のうちが、今年、自治会(町内会)の当番でして。

 あー、ほんとうにどうだっていい話だ……。

 いろんな役があるんですよ。
 寄り合い(会合)やら子どもの見回りとか。

 全部サボってるんです。

 正しく言えば、高齢の母に全部押し付けています。

 親不孝の極致です。

 一応、言い訳はあるんです。
 私はいわゆる9時―5時の週休二日制の勤務の仕事じゃないんですね。夜勤もあれば、日曜日に出勤することもあります。
 そして、自治会のルールなどに合わなくなっています。
 一番わかりやすい例は、ゴミの当番です。朝の6時から9時までゴミ集積所が開いていますが、私の勤務時間には全く合いません。
 不法投棄が増えるのもわかります(言っときますが、奨励も黙認もしているわけではありません。不法投棄を見ると刺し殺したくなるほど怒ります)。

 今の社会制度は、標準世帯(つまり、サラリーマンの父親+主婦+複数の子どもという家庭)に合わせて作られています。
 グルリと見回してみて、そんな幸せな家族がどれだけいますか?
 労働者の3分の1が非正規雇用で、夫婦共働きをせざるを得ず、収入の不安から子どもを作れず、でもそうすると保育所が足りずに子どもを預けられないというのが今の若年層の家庭です。
 標準世帯なんて、ごく一部の特権階層であり、しかも幸い正社員になっても過労死寸前まで働かされるのが今の日本です。

 今年の正月にNHKのEテレ(教育テレビ)で放送された「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」という番組が話題になりました。若手論客による討論番組で、いろいろな新聞のコラムにも出演者の発言が紹介されていました。
 私は見逃した(というか録画機がない)ので、書籍になったものを読んだのですが、ある若手評論家が、日本のOS(基本ソフト)は60年代に作られたまま更新されておらず、バブル崩壊でぶっ壊れてしまったと発言していました。
 私はこの評論家はあまり評価していませんし、内容そのものも目新しいものではありません。
 ただ、言い方は上手いと思います。
 標準世帯をモデルとする社会設計は、もはや完全に行き詰ってしまっています。

 私が購読している地元紙の投書欄に、最近自治会(町内会)制度への異議申し立てがいくつか載るようになりました。
 田舎なので、昔ならばわがままだと一言で片づけられるか、村八分にされるようなことです。
 既存の地域活動に異を唱えている人たちは、活動に参加したくないわけではないと思います。
 私がそうです。特に、東日本大震災以後、地域社会の紐帯や社会的包摂の重要さを多くの人が体感しています。
 ですが、現実問題として、昔のOSのままのために、新しいソフトやアプリが機能しないということになっています。

 私はニッポンを語れるほど器が大きくないので、ごく身近な自治会の話題を例に出しましたが、いろいろなところでこのことが当てはまります。
 最近ならば、お笑いタレントの家族が生活保護を不正受給していたとの問題がありました。これだって、家族・親族がまず養うという日本型福祉(家族主義)の限界を示しています。
 人気タレントならばともかく、普通の人、特に非正規雇用に就いている人が貧困に陥った親族の面倒を見ろと言うほうがおかしいと素朴に思います。

 最近よく聞く言葉「ダイバーシティ(・マネジメント)」は、ただ社会(特に企業)で多様性を認めろというだけのように聞こえます。
 それは生産性を上げる労務管理の言葉として用いられるようです。
 そうではなく、いろいろな個人や家族がいるという前提をもとに、企業社会や地域社会や国家を建て直そう、いわば新しいOSを組み込もうということではないかと理解しています。

 そんなことを思っていたりします。これ以上は今の私には手に余る問題なので、他の頭のいい人にお任せしようと思います。



 

「連続クイズ ホールドオン!」の予選に行ってみた

カテゴリー │放送

 以前「アタック25」の予選に行ったという話を書いたら「アタック25」「予選会」で検索して来てくれた人が大勢いたのですが、今回もそうなるかな?
 はい、表題通りです。NHK総合テレビで放送されている「連続クイズ ホールドオン!」の名古屋予選に行ってきました。

 ……って、この番組、知ってますか?
 今年の4月から始まったばかりの視聴者参加クイズ番組で、非常に地味です。
 もともとフランスの人気番組だったのをNHKが買い付けた(?)のがこの番組です。
 ネットでは「古風」とか「昭和の匂いがする」と書かれていましたが、たしかに現在のテレビで純粋な視聴者参加クイズは成立しにくいです。
 これが民放だったらお笑いタレントやおバカキャラや一流大学を出た頭脳派芸能人を並べてドンチャン騒ぎをするところでしょうが、竹内陶子アナウンサーと山口智充さんが淡々と進めていくという、素人出演者を主役に据えた、NHKでなければできない番組です。
 しかも裏番組が「ライオンのごきげんよう」「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」「ヒルナンデス」という強豪ぞろいですからね。
 私だって、昨年夏の特別番組をちらっと見ただけで、レギュラー化するとは思ってもいませんでしたから。


 ダメ元でネットで申し込んで、当選メールが来たのが4日前。
 あわててクイズの基本問題集(今は「ベタ問」と言うらしい。簡単に言うと「試験に出る英単語」のようなものです)を引き出して、当日の朝までやってました。
 そして行きの電車の中で「日経エンタテインメント」をメモを取りながら読みふけりました。まわりの人はきっと怖かったでしょうね。

 NHK名古屋放送局のスタジオに集まった人は約50人。「ここで『中学生日記』が撮影されていたのかな~」なんて想像するとちょっと感慨が深かったです。
 名古屋は知る人ぞ知るクイズ処なので、濃いクイズマニアばかりだと思っていましたが、上品な白髪の紳士やエリートビジネスマン風の方、近所にいそうなおばさん、高校生かと間違えそうな若い女性など、全然予想と違っていました。
 最初にペーパークイズがありましたが、正直言ってかなり難しく、7割できていればいいかな、という体たらくでした。

 続いて6~7人で集団面接。これがすごかった。
 もう、みんな個性が強すぎ。
 しかも、引いてしまうようなあくの強い個性ではなく、人を惹きつける魅力を持つ人ばかりです。
 プライバシーの問題で詳しくは書けませんが、旅行で世界中を飛び回っている人、向学心あふれる人、趣味を福祉関係のボランティアで活かしている人、オタクだけど明るく友達が多くて楽しい人などたくさんいました。
 しかも自己PRというかプレゼンテーションが上手です。練習したというよりも、元々社交的で、こういう人たちの周りには自然に人が集まってくるんだろうと思わせる方ばかりでした。
 私なんか、例によって痛いアイドルや政治の話をしてしまってプロデューサーさんが呆れていましたからね。

 実は、ここがこの番組のミソなのです。
 公式サイトでもほのめかされていますが、この番組は、クイズの皮をかぶった「NHKのど自慢」なのです。
 母に付き合って毎週「のど自慢」を観ていますが、出場者は必ずしも歌が上手い人ばかりではありません。
 でも、人間味あふれる人ばかりです。しかも、会場や視聴者を嫌な気分にさせない魅力を持った人ばかりです。
 司会のアナウンサーも、そんな素人参加者を引き立てたり盛り上げたり、失敗した人をやさしくフォローしたりしています。
 これが民放の番組だったら目も当てられないでしょう。タレントが自分だけ目立とうとしたり、参加者を意地悪くいじったり、余計な演出を加えたり。
 「ホールドオン!」の放送も、ぐっさんや竹内アナの司会は安心して観ていられます。「昭和の匂い」って書きましたけど、平成のテレビは騒々しくてイヤな刺激が多すぎるのです。

 というわけで、「ホールドオン!」も末永く盛り上がってもらいたいと思っています。
 スタッフの方によると、視聴率も少しずつ上がってきているようです。
 我こそはという方は、番組サイトから申し込めますので、チャレンジしてみてください(「NHKネットクラブ」というウェブ会員のプレミアム会員になる必要があります。ちなみに無料)。

 え?予選の結果?

 「次回作にご期待ください」かなぁ……。