徹平は俺の嫁!

カテゴリー │いろいろ

今日の日刊スポーツより。マジ萌えです。

(追記)こちらにちゃんとした記事のリンクがありましたね。
小池徹平メイドに変身でもえ~!」(「日刊スポーツ」7月29日)
写真も鮮明です。フィギュアとか抱きまくらとか立体マウスパッドとか出たら買っちゃうかもよ。


 

『最後の授業』

カテゴリー │書籍・雑誌

 "Randy Pausch, 47, Dies; His ‘Last Lecture’ Inspired Many to Live With Wonder "("The New York Times"26,July,2008)

 実は、本館の次回更新で用意していた文献が、パウシュ教授のこの本でした。
 PCで目玉焼きが出来るほどのひどい環境のため、なかなか筆が進みませんでしたが、そのせいで、極めて悪いタイミングでアップすることになりそうです。
 べつに追悼文を用意していたのではなく、本当に書くべきことを補完する資料のひとつとしてであったのですが。
 今年読むべき本の一冊になったことは間違いありません。特に読書感想文の宿題で苦しんでいる子どもたち、その親、教師にとっては。






 

「生まれてきてよかった」って本当に思っているのか宮崎翁は?

カテゴリー │映画・演劇・その他

 前回の続き、の前に。
 今日はあまりにも熱くて(暑くて、ではなく)、本当に気が狂いそうで、ようやくビール飲んでなんとか凌いでいるところなので、最初に言っておきます。妄言多謝。

 映画「崖の上のポニョ」ですが、ネットの映画ファンが集まるサイトを見ても、賛否両論です。中には「あれは死後の世界の話だ」なんて深読みする人もいて。ようするに、評価はまちまち、というか、両極端なのです。
 で、私は、全面的に「否」です。
 そりゃ、かわいかったし、きれいだったし、まあ、よかったですよ。でもね、監督がいったい何を言いたいのかがさっぱりわからんかったの。上映後の観客も「いい映画だった」、との感想を持った人は多かったようですが、キャラクターがかわいいとか、展開がよかったとか、ついには「何も考えずに観るのがいいよね」なんて話していた人もいました。観客には監督の意図が何も伝わってきてないのです。

 パンフレットを買うほどのものでもないなと思った私は、張ってあったポスターを眺めました。
 「生まれてきてよかった」
 とのキャッチコピーがありました。
 これがコンセプト?マジで?

 (以下、ネタバレです。)


 

「ポニョ」感想序章

カテゴリー │映画・演劇・その他

 「『この事柄について、他の人はどのように思ってるだろうか』と考えてしまう人は、今の職業が適職か考え直したほうがいい」
 との言葉を、ある新聞記者の本で読んだことがあります。
 現実の取材は逆で、囲み取材が終わると、他社の記者同士が発言の細部や意図を確認しあったりするそうですが、それでも「わが道を行く」という記者もいて、そういう人が新聞の看板名物記者やコラムニストとなったり、フリーで活躍したりしたりもします。
 そこまでいかなくとも、私も、自分の考えのみに基づいて感想や論評を書くようにしています。相応の資料集めや取材はしますが、最終的には自分の意見で、それは多くのマスコミやネットユーザーと全く違った切り口や結論のこともよくあります。
 そしてよく見当違いやピンボケのことを書いたりもします。酷評した作品が、他の人から教えられて、実は皮肉や諧謔に満ちていおり、それは特定の人種問題(ユダヤ系差別など)を鋭く風刺していたものだった、とかがありました。子どものころに純文学や評論、名画を浅薄な見地からしか見られなくて、後から再見して見方が変わることもよくあります。
 逆に、かつては熱中していたサブカルチャーに、大人になってから全く興味を失うこともあります。ファミレスや飲み屋に行って、子どもが、どうしようもなく低俗で視聴率稼ぎとスポンサーへの媚びが露骨に表れたテレビのバラエティー番組が、しきりと話題にしていると、かつての私もそうだったのだろうとも思います。

 村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』だったと思いますが、中学生の女の子が聞いていたヒット曲(MTVの頃?)をボロカスに貶すシーンがあります。女の子に理由を聞かれて、春樹らしくシニカルに「いいものは一部だけで、ほとんどは大量生産の屑だ」とかなんとか話します。そんな主人公にも若いときに聴いた曲は多くあります。それだって、ほとんどが屑同然だったのかもしれません。ちょうど、私を始め80年代アイドルにハマった多くの人が聞いていた曲のほとんどが、低予算で練習もろくにされてなかった歌手と、歌手を商品としてしか見て来なかったギョーカイ人によって粗製濫造されたものを「いい曲だ」「懐かしい」と思うように。

 そういう知識や感性の不足から来る勘違いや間違いは山ほどあります。それでも私は、誰が何と言おうとも、自分だけの感想を書き続けます。圧倒的多数が「おもろない」と言っても「これは傑作だ」と言いたいし、「これは素晴らしい」と万人が手放しで褒めようとも、「駄作だ」と言い切りたいと思っています。たとえそれで全世界に恥をさらすことになろうとも。

 でも、さすがにこの作品の評価は気が引けました。どこがよいのかわからないのです。
 初日からの文句なしの大ヒット映画です。隣の席のカップルや、出口での女性グループは、みんなが褒めているのです。私がよく見るインターネットの信頼できる辛口映画関連サイトのレビューでも、辛辣な意見は見当たらず、ほとんどが好意的評価でした。
 私は間違っているのかも?と思えてきます。言うほどアニメについて知らない私が理解できないからかもしれません。
 そもそも、この映画は何を言いたかったのか、そのテーマがまったくわかりませんでした。そりゃ、登場人物は可愛かったし、個々のエピソードではいいところもありました。作品としてのクオリティも高いものでしょう。
 それでも、私は、この映画がまったく理解できないのです。監督の主張はなんなのか?
 この夏いちばんの、いや、今年いちばんの話題作となるのではと予想されているこの映画が、私にとっては駄作としか思えないことは、果たして間違っているのか?自分がおかしいのか?

 確実に言えることがあります。
 この映画は、ジブリ製作でなければ絶対に観に行かなかったであろう、ということです。

 (つづく


 

MajiでDouする5秒前?

カテゴリー │いろいろ

 梅雨明けっ!

 で、熱い!(暑いに非ず)

 ずっと夏バテで、更新はおろか、外出もできませんでした。
 そこで、三連休なので、久しぶりにどこか行こうと思っていたのです。
 母校の高校野球の応援に行こうとか、髪切ろうとか思ってたけど、結局全部キャンセルしました。
 だって、外に出たら死ぬもん、Majiで。

 で、部屋で本を読んだりDVD観たりしてましたが、我が家はECOな生活のため、エアコンは使ってないのです。
 人がひとり部屋にいたら、熱気が充満します。
 冷水とアイスばかり口にしていました。メタボ街道まっしぐら。
 パソコンが異様な音を発してます。

 夕方になって、少しばかり涼しくなってきたので、浜松に映画を観に行きました。
 つま恋で大規模なライブイベントがあったため、電車の中も駅前も人が大勢いました。
 何だか知らないけど、これがムカつく。他人がそばにいるだけでムカつく。

 映画は……、また別の機会に書きましょうか。マトモな判断ができる状態ではありませんので。

 帰りは東海道線としては異例の混雑ぶり。東京や大阪の通勤電車並みでした。
 神経が高ぶりまくっていました。お前らちゃんと並べ!とか、通路開けろ!とか思っちゃったり。
 駅で「暴力行為防止ポスター」を見て、やっと落ち着いたところです。

 いろいろ待たせてしまっている関係各位の皆さん、こんな状態なので、もう少し待っててね。

 熱中症で倒れるのが先か?
 対人暴力か物損で捕まるのが先か?
 この状態が続けば、真剣にヤバイかも。「熱冷まシート」買ってこなくちゃ。


 

「I Loveあのコ・夏のMaki」

カテゴリー │音楽


http://jp.youtube.com/watch?v=f5YB7In3RNw&feature=related

 ネットを徘徊してたら見つけました。
 生きてるうちに見られるとは思っていませんでした。ああ、泣いた。
 今でも3週遅れくらいでトップを走れるんじゃないのかなあ。


 

知人の再就職を祝えない理由

カテゴリー │書籍・雑誌

 知人が再就職したとの報がありました。ひとまず、よかった、よかった。
 その人はIT関連会社に勤めていたのですが訳あってやめ、アルバイトをしていたのですが、医療関連の会社に正社員として雇ってもらえるとのことです。女性の再就職は難しいと言われていますが、能力と努力を知っているだけに、正当な地位と報酬が得られる職に就けたのはよかったと思っています。
 その一方で、ちょっと心配なこともあるのです。いや、彼女個人のことではなくて。

 悪質な企業にとって、「正社員」とは、馬の鼻先にぶら下げたニンジンの役目を果たしています。非正規雇用が多数を占めるようになって、安定した職を求める人を効率よく集めるために、「正社員登用制度あり」と募集に打つのです。これならば昇給や昇進などコストをかけることなく人材を集められます。その内実は体のいい使い捨て労働力だったりします。
 別の事例では、最近問題となった「名ばかり管理職」があります。日本マクドナルドの社員が起こした裁判がきっかけで注目されましたが、業界紙を斜め読みすると、外食産業以外でも山ほどあるようです。しかも、たくさんCMを流している大手量販店が目立ったりします。

 正社員が長時間・低賃金労働に喘いでいる理由は、国策です。旧日経連の「雇用ポートフォリオ」では「①企業でコアな人材となる長期雇用(正社員)、②必ずしも長期雇用を前提としない専門スキルを持つ社員、③職務に応じて柔軟に対応できる有期雇用契約(非正社員)」の三つに分類され、企業は正社員を非正社員化していきました。さらには新自由主義への移行で、規制緩和が進み、派遣業法が改正され、単純労働分野でも派遣社員が増え、違法な労働行為が横行していきます。
 非正規雇用化を進めたシワ寄せは、残された少数の正社員にまわってきます。彼ら彼女らは長時間労働やサービス残業を強いられ、過密労働に耐えられなくなって辞めたり、心を病んだりします。
 就職氷河期に正社員になった「名ばかり正社員」たちを取材した小林美希『ルポ“正社員”の若者たち』(岩波書店)には、そのところが、もうすこし詳しく書かれています。

 この本は、力の入ったものではありますが、ルポルタージュとしてはあまり出来のよいものではありません。「就職氷河期」と「正社員」を組み合わせた最大公約数を集めたインタビューで、深さや筆者独自の視点もあまりありません。
 高卒で運送会社のドライバーになった人も出てくれば、エリート学生からやり手の量販店社員となり、語学を生かして専門商社に転職する人も出てきます。同じ「正社員」といっても、条件が違いすぎて参考になりません。
 また、情報産業の編集職の話も出てきますが、華やかに見えるマスコミでも、放送プロダクションや編集プロダクションの待遇の悪さや過酷な労働条件は昔からの話です。制作費の削減で以前よりさらに厳しくなった面もあるのでしょうが、でも、就職氷河期特有のものではありません。
 中に出てくる言葉もやや気になりました。「ずっと売り子さんのままで、休みも月に一日しかない」「“たんなる修理屋”から抜け出し」……。「売り子さん」や「たんなる修理屋」のどこが悪い!豊かな消費社会を享受できるのも、「売り子さん」がいるからだろう。パンクの修理ひとつできない機械オンチにとって、「たんなる修理屋」の存在がどれだけありがたいか。いずれも著者の言葉ではなく、被取材者の言葉ですが、悲惨な正社員のなかにコッソリ潜む差別意識と選民思想を見せ付けられることで説得力をやや失っていると感じました。

 そんななかでも特筆されるのが、やはり看護職や介護職の劣悪さです。阿部真大『働きすぎる若者たち』(NHK生活人新書)にも詳しくありましたが、低賃金で人材が不足していても目の前に要介護者がいればケアし、体は壊すしバーンアウトしてしまうというひどさが現実にあります。非常にショックだったのは、介護職や看護職の女性に流産経験者が多いとの記述でした。妊娠しても仕事を辞められず、「トイレで子どもが流れてしまった」(原文そのまま)という話は「度々耳にしていた」(これまた原文ママ)とのインタビューもあります。
 妊娠といえば、子どもができたのをきっかけに、退職勧奨されることも載っていました。そちらのほうが一般的には多いでしょう。もちろん労基法・男女雇用機会均等法違法です。企業名は伏せられていましたが、読めばすぐにわかります。これが「夢と魔法の世界」の現実です。

 こういったリポートを見ると、「失われた10年」で、企業性善説は完全に崩壊した感があります。共産党の人気が盛り返していると時折言われますが、もっともな話だと思います。もはや私企業は国有化して、管理・管轄する官僚だけが丸々肥るといった、旧ソ連や北朝鮮のようになるしかないのでしょうか。
 とりあえず、知人のキャリアライフが幸せであることを祈ります。



 

映画「靖国」静岡上映会

カテゴリー │映画・演劇・その他

 溶けるような暑さのなか、映画「靖国 YASUKUNI」の静岡上映会へ行ってきました。
 上映30分前に着きましたが、すでに会場には多くの観客が入っており、上映時には補助椅子も出してようやく全員が座れたという、大入り満員でした。
 私は5月に大阪で先に見てきたのですが(コチラを参照)、かなり不思議に思ったのは、大阪とはまったく客層が違うのです。かなりお年を召した高齢者が先に会場入りしており、私が一番下の世代のようでした。後に若い世代もちらほらと見られたのですが、圧倒的多数が年配者でした。まるで昨年観た石原慎太郎総指揮の「俺は、君のためにこそ死にに行く」の会場のようでした。
 これは「動員」とまでいかなくても、宣伝の方法が偏っていたのでしょうか?市民グループやボランティア団体などに、「今度、話題の映画の上映するから観に来てくださいね」などと声を掛けたのでしょうか?会場内では観客同士が和気あいあいと挨拶してたりしてましたから。

 映画ですが、二度目ということで、そんなに力を入れずに観ました。
 「えっ、こんな映画だったっけ?」というのが二度目の感想です。
 映画では私の場合、時にそういうことがあります。最初に観たときにはどうってことなかったのに、評論家がやたらと褒めていたからビデオ化されて改めて観てみると、いい映画で、自分の見識のなさに失望したりとか。
 逆のケースも、ままあります。
 また、事実だと思い込んでいたシーンや構成が実際と異なっていたなんてこともありました。記憶の捏造って、意外と簡単ですね。
 一言で言うと、「普通にいいドキュメンタリー映画」です。どう「普通にいい」のかはご自身でご覧ください。上映終了後、会場からは拍手が沸きあがりました。それほどの映画でもないので(というより、ロードショーでも名画座でも拍手が自然に起こったことを知らない)、やっぱり主催者の知り合いの方が比較的多かったのでしょう。

 会場を出ると、次回上映を待つ人が、長蛇の列を作っていました。表現の自由を守ろうという人たちが、静岡にも多くいたことを誇りに思いました。
 もちろん、最も賞賛されるのは、上映会を企画した人たちです。結局、私にはできませんでしたから。

 映画「靖国 YASUKUNI」静岡上映は今日と明日、静岡市の「アイセル21」(女性会館)です。
 詳しくは「靖国」を上映する静岡の会ホームページをご覧ください。
 http://www.yasukuni-mv.com/index.html


 

ネットの歩き方

カテゴリー │書籍・雑誌

 荻上チキさんの『12歳からのインターネット』(ミシマ社)という本を取り寄せて読んでみました。「取り寄せて」というのは、地元の書店では注文できなかったからです。その書店のデータベースに「ミシマ社」という出版社はなく、書店員は本人のブログや、果てはamazonのサイトで確認する始末。小さいながらも鳥越俊太郎さんや内田樹先生らの本なども出している良心的出版社なのに、大丈夫かオイ、リアル書店は。

 荻上氏はこのブログでも紹介した『ウェブ炎上』(ちくま新書)で一躍名を上げた、現在最も注目されている気鋭のブロガーです。東大大学院を修了(M)したアカデミシャンでもあり、著名な社会学者との共著もあります。その方が、子ども向けのインターネット読本を書かれました。とはいっても、技術的なことではなく、どうしたら安全に、便利にネットを楽しめるかを指南した、初歩的なネットリテラシーの本です。
 たとえば、メールの作法とか、悪質なネット通販や詐欺の見分け方、自分のサイトや掲示板、プロフなどで悪口を書かれたり個人情報を晒されたらどうすればいいか、といった、ネットのトラブル回避や最小限の被害で済ませるためのコツが書かれています。
 一言でまとめれば、「地球の歩き方・ネット版」といったところです。旅で安全な観光地ばかり回っては、その国や地域の本質的な部分に触れることはできません。ですから、ガイドさん付きのツアーではなく、自分の足で歩いてみましょう、といったのが「地球の歩き方」のコンセプトです。もちろん危険な場所もありますし、多少痛い目に遭うこともありますが、そういった経験も含めて、旅を楽しもうといったものです。そのインターネット版です。
 ちょっと叩かれたり傷ついたりしても、決定的な危険さえ回避する術を知っていれば、致命傷にはなりません。そのための手段を知った上で、ネットを旅してみましょう、という本です。

 この本の隠された意図は、荻上氏なりの、現状への異議申し立てです。
 現在、マスコミなどでネットの子どもへの悪影響がさかんに報じられています。ある調査では、9割もの人がネットの有害情報の規制に賛成しています。ネット業者やケータイ会社にフィルタリング機能を義務付けるとか、果ては子どもにはケータイを持たせるなという意見まであります。先の通常国会では国による規制を外した「有害サイト対策法案」が参議院で圧倒的多数の賛成で可決されました。
 たしかに、ネットの事件やトラブル事例を見ると、そうも思いたくなります。特に「学校裏サイト」などは大人からは見えないだけに、危険なもののように思えます。ネットで書き込まれたことを苦に自殺してしまった子どももいます。多少免疫があると思っていた私でも、いわゆる「炎上」になりかけたときには相応の苦痛がありましたので、慣れてない子どもたちにとっては触れさせないほうがいいとも思えます。
 しかし、それだと「刃物を用いた凶悪犯罪が多発しているから、ナイフを持たせるな」といって、鉛筆も削れなくなってしまうのと同じです。
 荻上氏は、自動車を例に出して、車は速く走れて便利だけど、事故を起こすこともある、ネットも同じだと言います。自動車事故はわき見運転や飲酒運転などある程度のパターンがあります。ネットでの「事故」も、いくつかのパターンに分けられます。それを知ることで、危ない目に遭うことはある程度防げると言います。
 人気サイトを長年続けている荻上氏ならではの慧眼です。


 

『ゆうばり映画祭物語』ほか

カテゴリー │書籍・雑誌

 映画を観てきました。
 そのあと一杯やるつもりでしたが、あまりのひどさに怒り心頭に発して、この憤りをどこかにぶつけなくてはならないと思い、ブログに書いて鬱憤を晴らそうと早く帰ってきました。
 中心となるエピソードは悪くないんです。むしろいいんです。
 原作の小説数年前に放映されたドラマにくらべても遜色なく、映画のほうがクオリティの高いシーンも数多くあったのです。
 でも、余計なインサートが多く、何のためにそんなシーンを入れたのかがわからず意味不明、原作者が力を入れた見せ場も大きく削られたり悪いほうに換骨奪胎されていたりと。監督は舞台となった業界や核の部分がまるでわかってなかったのでしょう。
 そしてラストシーンが尻切れトンボ。原作にもないわけのわからないシーンがあって、そのあと何の余韻もなくプッツリと終わってしまったという。いったい監督はこの映画を通じて何を観客に訴えたかったのか?事故の悲惨さか?組織の非情さか?仕事の尊さか?さっぱりわかりません。
 上映後に「あのシーンで私もスクープ書きたくなった」なんて話していた観客がいて、私も同じような気持ちになっただけに、こりゃねえだろうという気持ちで映画館を後にしました(何の映画かわかっちゃいましたか?)。

 で、口直しに最近読んだ本を。小松澤陽一氏の『ゆうばり映画祭物語 映画を愛した町、映画に愛された町』(平凡社)です。
 小松澤氏は「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のプロデューサーとして尽力された方です。「ゆうばりファンタ」は市民総出でスターやファンを出迎えるホスピタリティあふれる世界屈指の映画祭で、タランティーノ監督など関係者にもファンは多くいましたが、主催の夕張市がご存知の通り昨年、財政再建団体に転落し、映画祭も中止となりました(今後は有志による開催)。
 その「ゆうばりファンタ」の開催秘話から、映画祭を彩る俳優や監督など関係者の裏話、住民のもてなしぶりから、夕張市の歴史、地域の問題、陰で映画祭を支えた地元の名物市民の話まで、盛り沢山のないようです。
 私は残念ながら市主催のときの「ゆうばりファンタ」には足を運べませんでしたが、この本を読むと、この映画祭そのものがひとつのファンタジーでなかったのか、とも思えてきます。夕張を愛する映画人が多いのも当然だと思います。ぜひとも映画ファンは読んでみてください。

 で、ここからは硬い話ですので、読まなくても結構です。この本には大変いい話が多く書かれているのですが、最後まで著者の主張にうなづけなかったところがあります。
 発案者である、元夕張市長・故中田鉄治氏についての評価です。


 

ヤマダ電機問題についてあれこれ

カテゴリー │現場を歩く

 最近仕事がらみのことしか書かなくなって、どうもいけませんね。そろそろ道祖神の招きにあひて漂泊の思いがやまなくなる頃合いです。ああ、旅に出てー。
 で、各紙今日の朝刊で採り上げていたこのこと。

 「成長の陰に過酷11時間労働、ヤマダ電機「ただ働き」問題」(「MSN産経ニュース」)

 このことはかなり有名な話で、というよりも流通業界にいる人にとっては常識といっていい話です。人だけではなく、オープン時やチラシの協賛金名目で小売店がメーカーに金を要求することもたびたびです。
 それが、公取委が排除命令を出してはじめて、しかも全紙そろって批判的記事を掲載することにマスメディアの腐れ具合がわかります。どこでもいいから、一紙でもいいから、独自でキャンペーンをするところはなかったのでしょうか。

 私の関係するところも、ヤマダ電機よりもはるかに規模は小さいものの、メーカーの営業マンがいろいろとやってくれることがあります。それはそれで非常にありがたいのですが、中にはそれを当たり前のように考えて、メーカーの人を顎で使う同僚もいるのです。そのたびごとに同僚を殴り倒したくなるのですが、じっと抑えています。ほんの15年前まではメーカーと小売業の立場が真逆だったことを忘れてしまっているのでしょう。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 ではメーカーの営業マンに何を要求したいのかというと、私の場合、情報です。
 例えば、ビールだったら基礎的知識すら意外と知らない人も多かったりします。発泡酒と第三のビールとの違い、とか、「糖質ゼロ」とは具体的にどういうことなのか、とか。もちろん個々の商品情報も欲しいのですが、基本情報がわかるとひとつの商品だけを売るのではなく、そのカテゴリー全体をアピールすることができます。「メタボが気になる人にはコレを」「給料日には自分へのご褒美にプレミアムビールを」とかね。

 もちろん、こちらからの要望も伝えて商品開発やSPにフィードバックしてもらうこともありがたいです。
 以前、タバコ会社の営業マンと、「あんまりライターなどのオマケで商品を買おうとする人っていないんです。化粧品のサンプルのように、新商品のタバコを一本ずつパッケージされたものがあると、お客様に『これ、今度出た新商品です』ってお薦めすることができるんですが」なんてことを話していたら、「ちょっとそれは……」と遠まわしに断られました。小売店の中には手渡しでなく店頭に置いておくだけで、未成年者が勝手に取っていくことが懸念されるとのことでした。
 けれども次回、その人は当店だけのために、手作りでサンプルを作ってきてくれたりしました。ビニールの小袋の中にタバコ一本と、ちょっとした案内チラシが入っているものでした。もちろん、お客さんにはどんどん勧めました(喫煙者のみですが)。

 つまるところ、熱意、ということになるでしょうか。
 キリンビールのCMのグッさんそっくりの熱い営業マンが担当だったときには、私も力を込めて売りました。売場もいいところに置いたため、おかげさまで好調で、営業の方も喜んでくれました。人が作ったものを、人が使うのですから。そして売るのも人ですから。流通過程に価格や機能以外の要素が入り込んでくるのは当然です。
 というより、モノを通じた人間関係がそこにあるといえるかもしれません。規模の大小や力関係でなく、当たり前としての人を尊重することが、メーカーの営業、小売り、消費者の三者を良き者とすると考えています。そうして互いに成長することで業界が育っていくのです。
 ヤマダ電機だけではなく小売業の人は、メーカーが価格や流通チャネルを握っていた頃をもう一度思い出すことが必要でしょう。

 そういう私は訳あって、仕事の枠を超えた大事なリポートの準備をしています。とてつもなく大きな仕事をする破目になりそうです。ああ、どうして私はいつも誰にも頼まれないのに首を突っ込んじゃうんでしょうね。誰もやらないからだよ、という身も蓋もない答はやめておきましょう。

 もう、ビジネスブログ開設しちゃおうかなー、なんて。