「生まれてきてよかった」って本当に思っているのか宮崎翁は?

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 前回の続き、の前に。
 今日はあまりにも熱くて(暑くて、ではなく)、本当に気が狂いそうで、ようやくビール飲んでなんとか凌いでいるところなので、最初に言っておきます。妄言多謝。

 映画「崖の上のポニョ」ですが、ネットの映画ファンが集まるサイトを見ても、賛否両論です。中には「あれは死後の世界の話だ」なんて深読みする人もいて。ようするに、評価はまちまち、というか、両極端なのです。
 で、私は、全面的に「否」です。
 そりゃ、かわいかったし、きれいだったし、まあ、よかったですよ。でもね、監督がいったい何を言いたいのかがさっぱりわからんかったの。上映後の観客も「いい映画だった」、との感想を持った人は多かったようですが、キャラクターがかわいいとか、展開がよかったとか、ついには「何も考えずに観るのがいいよね」なんて話していた人もいました。観客には監督の意図が何も伝わってきてないのです。

 パンフレットを買うほどのものでもないなと思った私は、張ってあったポスターを眺めました。
 「生まれてきてよかった」
 とのキャッチコピーがありました。
 これがコンセプト?マジで?

 (以下、ネタバレです。)

 私がポニョだったら、絶対に今の世界には来たくないね。
 山口智子が演じていた宗介の母親がありましたが、これが象徴的でした。

 彼女は人間(半魚人?)になったポニョの身柄を引き受けます。そうしてポニョと宗介は幸せに暮らしました、めでたしめでたし、となりますが、その前に重要なシーンがあります。
 映画の冒頭、ポニョの父親であるフジモトが水を撒いているときに、母親がひどく攻撃的な口調で詰め寄るのです。
 「ここに除草剤を撒かないでください!」
 それは除草剤ではなく水なのですが、母親は謝るどころか、敵意むき出しでフジモトのことを警戒します。
 わかります?
 山口智子の演技が下手くそでなければ、これは他者排除の論理です。
 ポニョは宗介の身内です。だから受け入れられたのです。
 見ず知らずの、ただ環境に何も害のない水を空き地に撒いていた男は、不審人物扱いされたのです。

 そんなところに生まれてきてよかったと、宮崎駿翁は本当に思っているのでしょうか?
 他者を排除し身内を溺愛するムラ社会の日本社会がよいと主張しているのでしょうか?
 それならそれでけっこうです。だったら私が言うことはひとつです。「こんな映画観るな。『ALWAYS 三丁目の夕日』をレンタル屋で借りて来い」

 そう、本質的にはこの映画は「三丁目の夕日」と同じです。宮崎翁は純粋な気持ちを主たる観客の子どもたちに伝えたいようですが、それは、汚らわしい本質が隠されたものです。
 宗介の母親は老人介護施設で働いています。車椅子の老人が多く出てきます。
 実は、介護施設の仕事は大変な重労働で、しかも低賃金です。離職者が多く、残った人は少人数で辞めるに辞められず「燃え尽き症候群」になってしまう人も多いとの話です。
 この映画には、その話、どっこにも出てきません。
 こういった、社会の辛い部分や行政の失態、怠慢を隠蔽しておきながら「生まれてきてよかった」とメッセージを発する宮崎翁の神経が信じられません。
 まるで現地の悲惨な状態を伝えずに「カリブの楽園」との大嘘を流してドミニカに移民を大量に送り込んだ日本政府や、祖国を「地上の楽園」と喧伝して朝鮮人や日本人妻の帰国事業を行った北朝鮮のようです。

 そりゃ、ポニョのようなかわいい家族がひとり増えたらどんなにうれしだろうか、とも考えましたよ。でも、多くの夫婦が第二子を望んでいながらも合計特殊出生率が微増という現実を、老監督は知らないのでしょうか?世の中には子どもがほしくても作れない夫婦も多いのです。その理由の大きなものが、経済的要因です。不安定雇用者が増え、賃金が上がらず、将来の社会福祉への不安も増大するなかで、かつてのように二人も三人も子どもは作れないのが現実です。子どもを作らない、のではなく、作れない、のです。
 じゃあ、現実にポニョのようなかわいい子どもが家族になったらどうなるか?「オバQ」や「ドラえもん」に出てくる家庭ばかりではありません。
 ならば、人間になったポニョはどこへ行くのか?私が親だったら、辛い決断を下し、「こうのとりのゆりかご」に預けます。

 何も好きで重箱の隅を突付いているわけではありません。でも、優れたフィクションは、純然たる虚構ではなく、現実世界とリンクしているものです。投影しているといってもいいでしょう。「ハリー・ポッター」は不遇な子どもに魔法学校の入学証が届きます。オックスブリッジへと通じるパブリックスクールの憧憬もあります。その他のファンタジーでも同じことです。荒唐無稽と思われる夢や魔法の物語は、現実と刷り合わせてきたからこそ、長い歳月に耐えられるのです。
 翻って、この映画のどこに現実があるのでしょうか。

 宮崎駿翁が、もしストレートにコンセプトどおりの映画を製作したのならば、そろそろ潮時ではないでしょうか。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の先人の言葉もあります。後進の指導に徹して、あとは国民栄誉賞をもらえるのを待つというのもまた晩節を汚さない人生です。

 ついでに言えば、船長である宗介の父(長嶋一茂)が、陸にいる妻と子と連絡を取ろうとして、船にライトをたっぷり点けて満艦飾にします。
 緊急でもない連絡に、派手なライトや電球を多く点すことによって、どれだけの二酸化炭素が排出されているのでしょうか?
 環境問題を一貫してテーマとしてきた監督が、何も気付かないのは辛いものがあります。


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