笑福亭さんまの青春

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「明石家さんま S58.中席 今日も客なし 明日は?」

名古屋の大須演芸場に書かれた、明石家さんまさんの落書きです。

昔の大須演芸場は、大須観音の門前町のにぎわいからは想像できない、時代から取り残された建物でした。何せ、毒舌の川柳川柳師匠が、

「まぁ、初めて来ましたけど、聞いてた通り……」

と言い淀んでしまうほどでしたから。

笑福亭松之助に入門したばかりのさんまさんも、大須に出演していました。東京ならばペーペーの前座です。

いつごろ明石家に亭号を変えたか、はっきりと記録がありませんが、この前後に笑福亭として高座に上がっていた資料はあります。

冒頭の落書きは、その頃のものです。

無人の客席に向かってしゃべり続ける杉本高文青年、弱冠二十歳。


そのすぐ後、落語からタレントに転身して、阪神タイガースの小林繁の物まねで注目されます。大阪の人気番組「ヤングおー! おー!」にも抜擢され、桂三枝(現・文枝)の後の司会者にもなります。

そして漫才ブームに「ひょうきん族」「笑っていいとも」……。破竹の勢いは記すまでもないですね。

心境に変化が訪れるのは、ガラガラの大須から10年後のことです。

仕事の都合で、いつも使う航空機とは別の便に搭乗しました。そして、乗るはずだった便は墜落しました。1985(S60)年8月12日、日航機墜落事故です。

さんまさんの有名な座右の銘「生きてるだけで丸儲け」は、この経験から生まれました。

お笑い界を常にトップで走り続けたさんまさんにも、苦悶したときはあったはずです。それは、他の芸人にも。見せるか、見せないかの違いだけで。

若きさんまさんの落書きが今も残る大須演芸場は、数年前に模様替えしました。東京や上方の芸人、地元名古屋の落語家や漫才師らも出演しています。

往時の佇まいを残す、気さくに入れる小屋(演芸場)です。今はコロナ禍で閉館していますが、騒動が一段落したら、足を運んで、笑って、帰りに旨い名古屋めしを味わってください。

こんな話をなぜ記すかというと、劇作家・演出家の平田オリザさんの、文化・芸術の絶望的な話を耳にしましたからです。平田さんによれば4月の演劇の「自粛率」は9割だそうです。

長年政治が文化政策を軽視してきたため、今の新型コロナ禍で真っ先に文化・芸術が襲われているのだそうです(ネット配信「立憲Live」2020.4.9)。

これは、チケットを買って楽しむしかできない一ファンにはどうすることもできません。

今は雌伏の時。クラウドファンディンクやグッズ購入、ネット課金などできる範囲で応援しながら、この国の文化政策について、たっぷり深く考える機会でもあります。

生きてるだけで丸儲け。さんまさんだって、今の私たちと同じように、人知れず悩み苦しい時があって、大スターになったのですから。


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