「ポニョ」感想序章

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 「『この事柄について、他の人はどのように思ってるだろうか』と考えてしまう人は、今の職業が適職か考え直したほうがいい」
 との言葉を、ある新聞記者の本で読んだことがあります。
 現実の取材は逆で、囲み取材が終わると、他社の記者同士が発言の細部や意図を確認しあったりするそうですが、それでも「わが道を行く」という記者もいて、そういう人が新聞の看板名物記者やコラムニストとなったり、フリーで活躍したりしたりもします。
 そこまでいかなくとも、私も、自分の考えのみに基づいて感想や論評を書くようにしています。相応の資料集めや取材はしますが、最終的には自分の意見で、それは多くのマスコミやネットユーザーと全く違った切り口や結論のこともよくあります。
 そしてよく見当違いやピンボケのことを書いたりもします。酷評した作品が、他の人から教えられて、実は皮肉や諧謔に満ちていおり、それは特定の人種問題(ユダヤ系差別など)を鋭く風刺していたものだった、とかがありました。子どものころに純文学や評論、名画を浅薄な見地からしか見られなくて、後から再見して見方が変わることもよくあります。
 逆に、かつては熱中していたサブカルチャーに、大人になってから全く興味を失うこともあります。ファミレスや飲み屋に行って、子どもが、どうしようもなく低俗で視聴率稼ぎとスポンサーへの媚びが露骨に表れたテレビのバラエティー番組が、しきりと話題にしていると、かつての私もそうだったのだろうとも思います。

 村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』だったと思いますが、中学生の女の子が聞いていたヒット曲(MTVの頃?)をボロカスに貶すシーンがあります。女の子に理由を聞かれて、春樹らしくシニカルに「いいものは一部だけで、ほとんどは大量生産の屑だ」とかなんとか話します。そんな主人公にも若いときに聴いた曲は多くあります。それだって、ほとんどが屑同然だったのかもしれません。ちょうど、私を始め80年代アイドルにハマった多くの人が聞いていた曲のほとんどが、低予算で練習もろくにされてなかった歌手と、歌手を商品としてしか見て来なかったギョーカイ人によって粗製濫造されたものを「いい曲だ」「懐かしい」と思うように。

 そういう知識や感性の不足から来る勘違いや間違いは山ほどあります。それでも私は、誰が何と言おうとも、自分だけの感想を書き続けます。圧倒的多数が「おもろない」と言っても「これは傑作だ」と言いたいし、「これは素晴らしい」と万人が手放しで褒めようとも、「駄作だ」と言い切りたいと思っています。たとえそれで全世界に恥をさらすことになろうとも。

 でも、さすがにこの作品の評価は気が引けました。どこがよいのかわからないのです。
 初日からの文句なしの大ヒット映画です。隣の席のカップルや、出口での女性グループは、みんなが褒めているのです。私がよく見るインターネットの信頼できる辛口映画関連サイトのレビューでも、辛辣な意見は見当たらず、ほとんどが好意的評価でした。
 私は間違っているのかも?と思えてきます。言うほどアニメについて知らない私が理解できないからかもしれません。
 そもそも、この映画は何を言いたかったのか、そのテーマがまったくわかりませんでした。そりゃ、登場人物は可愛かったし、個々のエピソードではいいところもありました。作品としてのクオリティも高いものでしょう。
 それでも、私は、この映画がまったく理解できないのです。監督の主張はなんなのか?
 この夏いちばんの、いや、今年いちばんの話題作となるのではと予想されているこの映画が、私にとっては駄作としか思えないことは、果たして間違っているのか?自分がおかしいのか?

 確実に言えることがあります。
 この映画は、ジブリ製作でなければ絶対に観に行かなかったであろう、ということです。

 (つづく


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