おのぼりさん紀行②駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人

カテゴリー │現場を歩く旅行

 某アイドルグループの総監督が贔屓にしているトンカツ店で、カツ丼を食べてきました。

 カツ丼が大好物であることを事あるごとに公言している人で、じゃんけん大会の前日にゲンを担ぐために若手メンバーを引き連れて行ったときの写真が実に美味そうだったので、フトコロ具合を気にしつつも、銀座の名店に足を踏み入れました。

 ちょうどタイミング悪くお昼時でしたが、「そんなに待ちませんよ」との穏やかで気品の高そうな番頭さんのお顔を信頼して、しばし列に並ぶことに。予想よりも早くカウンターに案内されて、アイドルも食べたカツ丼、980円。銀座という土地を考えても、かなりの割安でした。

 味はもちろん絶品。鉛の舌の私ですら、肉も油もかなりいい物を使っているのがわかりました。肉はやわらかく、卵の熱の入れ方もいい塩梅です。ひと口ずつ味わうよりも食欲が勝り、丼を離さず、一気に食べました。

 お客さんは年配の気品ただようロマンスグレーの方が目立ちました。高価そうなスーツにオシャレなネクタイを締めたたたずまいは、一流の企業で勤め上げ、相当な役職に登り詰めたような自身があふれていました。もちろん、比較的若いサラリーマンも多かったのですが、下品な振る舞いはありませんでした。

 そんな店内の空気を作っているのは、銀座という土地柄や、明治から続く伝統ということもありますが、調理場・テーブル・カウンター席を統括している番頭さんの役割が大だと感じました。

 昼の忙しい時間でも、慌てることなく、にこやかに、上品に応対していました。ホール全体を見渡して配膳する女性スタッフに目配せをしながらお客さんを応対する姿は、ベテランホテルマンを連想させながらも、慇懃すぎる対応はありませんでした。その姿が店内の上質の雰囲気を作っているのでしょう。

 考えてみれば、番頭さんの役割は重要で、世界的大企業になった企業経営者には、必ず補佐役・ナンバー2が控えていました。経営の神様・松下幸之助の大番頭・高橋荒太郎、本田宗一郎が初対面で実印を預けた副社長・藤沢武夫らが有名です。米アップルにもスティーブ・ジョブズと共同でパーソナルコンピュータを開発した仲間がいたそうです。

 来年は大河ドラマで「軍師」黒田官兵衛がテーマですが、軍師、すなわち番頭さんの役割は企業規模に関わらずかくまで重要です。

 会計のときに、名店の誇りを目元に蓄えたまま、上品かつきさくに「ありがとうございます」と挨拶されました。某アイドルグループの別のメンバーにも、やさしく声を掛けたそうです(注・このブログでは「ご主人」とありますので、もしかしたらこの方は店主なのかもしれません)。

 マスコミやガイドブックなどでは料理人だけが注目されますが、裏方や補佐役も、「また来たい」と思わせる店を演出する重要なマンパワーです。


 次の日は東京スカイツリーに行ってきました。墨田区という東京の下町にあり、浅草とセットで観光する人も多い場所だったのですが、商業施設「東京ソラマチ」を含め、最先端の科学技術の粋を集めた、近代的できれいな場所でした。

 反面、ちょっとがっかりしたのが、豪華過ぎて下町らしさがまったく見られないのですね。東京の下町というと、寅さん、こち亀、落語の数々の舞台、最近では阿部寛が主演した東野圭吾の小説『新参者』シリーズなどを連想します。人情深く、人とのふれあいがあって、ちょっと猥雑さが残っているのかと思ったら、何もなかったのが寂しく思いました。

 でも、並んでいた時にヒマを持て余して、整理している女性やチケット窓口の女性を見ていたのですが、安心しました。化粧にしろ、髪型にしろ、ナマの人間らしさを満面にたたえた顔立ちの方ばかりでした。

 ……、言ってる意味、わかりますか?わからなければいいです。私も地雷を避けながらこわごわ書いていますから。

 悪口じゃないんですよ。普通の企業だったら、派遣会社を通じて集めた若くきれいな女性に目鼻立ちを整えるメイクを施し、無理に口角を上げた画一的な笑みを絶やさない女性を窓口に並ばせます。これは人間の能力を超えた生理的作業です。同じ接客業としては「これならロボットを置いといた方が安上がりじゃないか?」と憤りさえも覚えます。

 スカイツリーでは、「生身の人間」が応対していました。下町の、というか、人間くささが出たスタッフでした。文豪に愛された山の上ホテルで、マニュアル化されてないサービスが大事にされ、客も垢抜けない従業員を楽しみにしていたというエピソードを連想させました。

 テレビやビジネス雑誌では、社長や名物社員がカリスマとして持ち上げられることもよくあります。でも、その会社を支えているのは、目立たなくともトップの代わりに全体に目を光らせる「軍師」や、最前線で敵兵(この場合は客)と対峙する「歩兵」です。もちろん「兵站」も重要です。

 これを確認できただけでも、今回の「研修旅行」、有意義なものだったと思っています。これで風邪さえ引かなければもっとよかったのに。


 

おのぼりさん紀行①東京で文化格差を考える

カテゴリー │旅行

 仕事が暇になりまして、東京に遊びに行ってきました。今回の上京は観光に重点を置いた、完全におのぼりさんです。

 まずは新装オープンした歌舞伎座へ。私には芝居見物を楽しむ教養などかけらもないのですが、一度は観ておかなければならないと思っていたのと、歌舞伎の演目や役者はわからなくとも小屋の雰囲気や客層には興味があったので、事前の勉強など全くせずに銀座へ向かいました。

 私が観たのは年末恒例の人気演目「仮名手本忠臣蔵」。ただし通しでなく、「一幕見席」と呼ばれる、一幕だけの切り売りの席です。安値で(1000円~2000円)、時間がない人やひいきの役者だけを見たい人、私のような観光客向けなのですが、芝居好きが通いつめて掛け声を出したりするような通好みの席でもあります。元NHKアナウンサーの山川静夫さんがそのあたりを本に書いていましたので、読んでみてください。

 繰り返しますが私は歌舞伎を理解・論評するだけの素養もまったくありませんが、そんな私でも、楽しくて、華やかだということくらいはよくわかりました。大向こうから飛ぶ掛け声「萬屋!」「高砂屋!」もいいものでした。

 初心者にとっては、それでいいのだと私は思います。古典芸能だから肩ひじ張らなくてはならないということは全くないのです。楽しいとか面白いとか、客に受ける要素がなければ何百年も舞台芸術は続きません。

 だからこそやはり残念だったのは、もっと勉強しておけば、さらに理解が深まったのに、と悔しかったことです。専門書を何冊も読めということではなく、今回のような安い席でいいから若いころからもっと出入りしておけば、山川さんほどの通にならなくとも楽しめたのにというとこです。



 文化格差、というものは明らかに存在します。正式な学術用語ではありませんが確かにあります。それは地域格差と密接に絡んでいます。ただし、「都市―田舎」という簡単に語れるものではありません。NHKのドラマ「あまちゃん」で、田舎を忌避して東京に憧れる北三陸の少女が登場しますが、かなりアナクロな描写でした。実際はもっと複雑です。

 東京に行くにあたって、いろんな演劇などを観ようと思って検索したのですが、よほどの人気演目でない限り、当日でもチケットが取れるんですね。他にも落語の特別興行やカルト的人気のミニシアター映画や若手お笑い芸人のライブなど、東京では大小さまざまな催しが毎日行われており、気が向いたときにふらりと劇場などに足を運べます。

 猪瀬都知事が、コンサートや演劇を観た後にゆっくり楽しめるように地下鉄の終日運転を提案しています。ネットでは「残業がもっと伸びる」と不服な意見もあったのですが、地方都市在住の人はそれどころでなく、まったく蚊帳の外なのです。だって、その催しのために時間とお金を工面して深夜バスに乗りこむのですから。いつでも思いついたときにふらりと劇場に行ける都市部とはまったく事情が違います。

 この文化格差、一部ではさかんに議論されていますが、専門の学者はあまり話題にしません。著名な方ならば同志社大学教授の橘木俊詔先生が格差問題についてさかんに論じています。近著『「機会不平等」論』(PHP研究所)では地域間格差に一章割いています。福祉分野などにも言及されている、研究者以外の人にとってもいい本なのですが、文化の地方・地域間格差についてはやはり触れられていません。

 「文化資本」という言葉は社会学の概念で、これまでは階級や人種で分析されてきました。日本ではもっぱら父親の職業を指数として研究されています。差別的なイメージを持たれますが、統計的手法で分析すると、はっきりと相関関係が現われます。

 そこから格差の「再生産」の議論につながるのですが、「都市―田舎」ではなく、「都市―地方都市(郊外)―田舎(山村・離島)」の文化格差、(「あまちゃん」的に言えば東京―盛岡〈ジモト〉―北三陸〈地元〉)についてはほとんど議論が見当たらないのです。

 これって結構深刻な問題のはずなんですね。今回の上京で強く感じたのですが、文化的に東京ひとり勝ちの様相です。たしかに地方都市には大規模ショッピングモールもありますが、たとえばそこで上映される映画はテレビ局が大々的に宣伝するものばかり、大型書店は人気作家や話題作、映画原作ばかりになります。私が好きなサブカル関係は当地の大型書店では貧弱です。

 このままでは、生まれた場所によって、文化資本の享受が全く異なり、教養芸術・大衆文化に関わらず一部の都市生活者だけのものになり、次の世代に再生産され、格差が拡大します。早急に専門家の研究が望まれるところです。




 

みちのく「福幸(復興)」の旅(考察編)

カテゴリー │政治旅行

 仙台を中心とする宮城県から、ちょっと足を延ばして岩手県を訪れました。
 電車の車窓から見える稲刈り後の広大な田んぼは、貧乏旅行をした学生時代と変わらず、東北が日本の穀倉であることを意識させられます。
 静かにうねりながら美しい風景を見せる北上川に心を取られましたが、流域には重機やがれきが置かれており、津波が川を逆流しながら一帯を飲み込んだことを思い出させてくれます。

 東北の旅から帰ってきました。
 言葉にならないほどの辛苦を経てのドタバタ旅行で、「もう絶対に夜行バスには乗らない」と決意しましたが、その話はまたいつか。
 ブログのリポートではいまだ爪痕がひどく残る悲惨な現状を報告しましたが、ネガティブに書き過ぎたかと反省しています。
 本当は、東北はこんなに元気になりました、とか、被災した人たちは困難に立ち向かっています、とか、前向きなことを載せたかったのですが、表面的な被害ばかりに目がいってしまいました。
 現地では、ゆっくりとではありますが、確実に復興に向かっています。

 ただ、ちょっと思うことはありました。
 訪れた沿岸部は、もともと過疎化・高齢化が進展していた町だったのです。
 電車は1時間に1本しか来ないところもあります。市内を走るバスも、1時間に1~2本で、バス停の時刻表に書かれた予定時刻はスカスカでした。車内の広告も自社のPR以外はほとんどありません。
 昼間に電車やバスに乗る人は、ほとんどがお年寄りでした。路線バスでは客席におばあさんとお孫さんが一組だけ、というところもありました。朝晩は学生が加わりますが、いずれにしろ、車を運転できない人たちです。
 東北といえば米どころで知られていますし、被害が甚大だった沿岸部は漁港や海産物加工業者がひしめいていたところです。東北の農作物・魚介類が抜群に美味いことはたっぷり堪能、いや、体験できましたが、第一次産業に従事している人たちは、高齢者が多く、若者は地域の外に流出していきます。
 壊滅的被害を受けた市街地の商店街が「復興商店街」を立ち上げましたが、もともと「シャッター通り」だった商店です。観光客や視察に来る人たちが多く、地元の人の利用は比較的少ないという話です。地元新聞によると、再建されたスーパーやショッピングセンターに客足が流れ、商店主たちも「復興特需」だと割り切っているそうです。

 ぜひとも行きたくて行けなかったところに、宮城県の女川町というところがありました。
 牡鹿半島の先端に近いところにあり、ここも大きな被害を受けました。
 自分の目でその状況をぜひ見たいと思っていましたが、断念しました。とにかく交通の便が悪すぎるのです。
 震災以前は電車が2時間に1本です。被害が甚大だったので代替バスも走っていますが、最悪、1本逃したら3時間も待たなくてはなりません。これでは日常の足にはなりません。
 ここまで交通不便な田舎なので、水産業・水産加工業以外には目立った産業はありません。
 どれだけ美味くとも産業転換や高齢化などで先細りとなると、「禁断の果実」に飛び付かざるを得ません。
 そうです。女川町には東北電力女川原子力発電所があり、電源三法による潤沢な交付金を受けています。

 震災や原発事故は、もともと静かに進展していた問題を、一挙に表面化させました。
 これまでなんとなく問題になっていた地方の問題―過疎、高齢化、商業の衰退、雇用の場の減少と若者の流出、など―を浮上させました。
 これは、被災地だけでなく、東北全体に言えることです。
 昔から東北は中央から見捨てられた地方でした。
 「白川以北一山百文」と侮蔑された東北は、近代以降は中央政府の周縁部として、軽んじられてきました。
 豊かな農作物や魚介類も、自然によって不作・不漁だと飢饉となり、餓死する人も出て、娘を売ったりすることも珍しくもありません。今でも農閑期に出稼ぎに出る人もいます。
 国の政策で第一次産業から重工業への転換が行われ、農家は切り捨てられました。第二次兼業農家が辛うじて補助金漬けで生活できている状態です。
 他の産業が育つこともなく、交付金と抱き合わせで原発や核燃料再処理工場などを誘致することになります。

 そんな日本の地方が抱える問題を、東日本大震災は顕在化しました。
 日本は災害大国です。過疎の課題を抱える山陰や四国や山間部、島しょ部などでも同じことが起こっても不思議はありません。
 東北の問題は日本全土の問題であり、東北の復興を考えるときには、この国のあり方そのものを議論しなくてはなりません。
 復興は、時計の針を3.11以前に戻すことではないはずです。

 そんなことを、今の選挙で訴えている政党がまったく見当たらないのが不思議です。
 東北のこの政治家は何も言わないのかなあ……。



 

みちのく「福幸(復興)」の旅(後編)

カテゴリー │旅行

 宮城県石巻市を訪問した前回の続きです。

 甚大な被害を被った家屋、商店などはどこへ行ったかというと……。



 「がれき」として処理されています。
 元々は暖かい家だったり、美味しい食べ物を出してくれるお店だったんです。
 ですから「がれき」ではなく「被災財」と呼ぶ人もいます。


 奥に見えるのは学校の校舎です。「被災財」は学校のグラウンドに置かれています。


 仏像やお地蔵さんまでが「被災財」として重機で処理されます。



 本来ならば勉強や部活や恋の舞台になるはずの学校です。
 こちらの生徒も別の学校に間借りした仮設校舎で勉強しています。


 私にとっては憧れの女子高校舎です。時計が止まったままです。
 この学校でも生徒が何名も亡くなりました。





 窓の貼り紙は、なでしこジャパンの選手がサッカー部の応援に来たことによるものです。


 ボランティアの学生によるものでしょうか。バス停のベンチに書かれていたエールです。

 帰路、同じように被害が大きかった東松島市の駅に寄りました。




 この区間は全面不通で、代行バスが走っています。



 奥松島の名勝と、ホームだった場所です。

 と、私の想像をはるかに超えた被害を目の当たりにして仙台に戻ってきました。

 ここまで書いてきて自己批判というか反省ですが……、

・建物(ハード)ばかりに目がとられて、そこに生活している人たち(ソフト)を軽視している。一旅行者としては物見遊山で被災者に気軽に尋ねる気にはならなかったのですが。
・悪い部分ばかり取り上げて、元気に復興している現地の人たちの取り組みを紹介していない。仮設商店街もできていますし、全壊したけど再開したお店もあります。

 現地の人や関係者からしたら、悪く書き過ぎだと怒られるかもしれません。
 いいところも間違いなくありました。道に迷ったときには親切に教えてくれましたし、石巻焼きそばもものすごく美味かったですし。

 ということで、ぜひあなたも東北にいらしてください。現地の方はいろんな工夫をこらして温かいおもてなしをしてくれます。


 

みちのく「福幸(復興)」の旅(中編)

カテゴリー │旅行


 宮城県石巻市に来ました。甚大な被害が発生したところです。






 震災から1年10か月が経ったのに、こんな民家や商店が当たり前のようにあります。


 ここはガソリンスタンドです。新装開店の店舗も並行して建てられていました。


 自宅の近所にもある、おなじみの店構えです。


 渡波小学校の校舎です。7名の児童が犠牲になりました。今は別の学校を借りて元気に授業を行っているそうです




 「がんばろう渡波」の文字と、止まったままの時計。




 1階には児童や卒業生が書いた壁画が。






 元・宅地や店舗です。
 建物はどこに行ったかというと……。

 (後編に続く


 

みちのく「福幸(復興)」の旅(前編)

カテゴリー │旅行

 現在、仙台の安宿にいます。
 朝一番で夜行バスで到着し、肩や腰の痛さを引きずりながら、まだ薄暗い杜の都をさまよい歩きました。

 仙台に来たのなら、まずは独眼竜こと伊達政宗公に拝謁します。


 仙台市街地をにらむ政宗公。ギラリと鈍い輝きを放つ隻眼で、東北の「福幸」を見守りたまえ。

 政宗公が睥睨する、紅葉で色づく杜の都。


 内陸部にある青葉城ですが、そこにも震災の爪痕が残っていました。
 崩落した石垣の修理です。

 護国神社の戦没者を祀る石碑。

 観光ガイドさんの話では、修理しなくてはいけないのですが、仙台市民の生活の復旧を優先させるために後回しにしているのだそうです。


 続いて日本三景のひとつ、松島へ。

 遊覧船でたわむれる幸せな一家。こういうのを見ると、私も家族がほしいと思います。


 待合室には震災時の松島の写真が。

 掲示板の脇にある表示には「津波はこの高さまで来ました」
 だいたい私の頭くらいです(約150~160cmくらい)。


 さらに芭蕉も訪れた国宝・瑞巌寺に。ここにもこんな表示が。


 中は荘厳そのもの。伊達家先祖代々が祀られており、凛とした心地よい空気が張り詰めています。
 位牌の中には「東日本大震災犠牲者」と書かれたものも。深く深く合掌礼拝しました。
 境内はこのような紅葉が。野点をしたら雰囲気が出るでしょうね。


 そしてご住職自ら筆を執られた力強い言葉が!
 「絆」なんて陳腐な言葉よりもはるかに奮い立たせます。


 報道などでご存じの方も多いとは思いますが、松島はそれでも人的被害が少ない方だったのですね。大小の島々が防波堤の役割をしてくれました。
 それでもヘドロや漂着物が押し寄せて、どこから手を付けていいかわからなかったそうです。
 また、名物のカキの養殖も全滅に近い被害を受けたそうです。
 今では平日の今日でも観光客が多く来るまでに立ち直りました。
 しかしながら、まだ店を閉めているところもあり、名勝の「雄島」へ渡る橋が流されて行けなかったりと、まだまだ完全復興とまではいかないようです。

 私も松島や他の三陸の港で陸揚げされた魚介類をたっぷり食べて応援してきました。
 罰が当たるんじゃないかというくらい応援してきました。

 明日もまた被災地に足を運んできます。


 

東京電力なうなう

カテゴリー │旅行

この一枚を撮るのにどれだけ緊張したか!



 

東京電力本店なう

カテゴリー │旅行

警備が物々しくてすげー怖かったです。



 

おのぼりさんなう

カテゴリー │旅行

気温が冷え込み、冷たい雨にずぶ濡れになり、それでも撮った雲に霞む東京スカイツリー。
冷静に考えると、ただのバカだな。



 

ジャイアンなう

カテゴリー │旅行

川崎市の藤子F不二雄ミュージアムです。
ものすごく凝っている作りで、美術館というよりテーマパークのようです。
その分、研究家肌の私にとってはやや展示が物足りなくもあるのですが……。



 

解散なう

カテゴリー │旅行

鴻上さんの劇団「第三舞台」解散公演の後。語りたいことは山ほどあるが、ひとつが終わった実感がある。



 

粉飾なう

カテゴリー │旅行

休暇で東京に来ています。現在、オリンパスの本社にいます。



 

鉄は国家なり

カテゴリー │旅行

名古屋に来ています。要件の合間に「リニア・鉄道館」に無理して足を運びました。立ち寄ってよかった〜。ここは天国か、それとも極楽か。300系の車両の椅子に座ってメール打ってます。目の前はドクターイエローです。



 

また名古屋!

カテゴリー │旅行

今週も名古屋に来ています。昼食&晩飯は「世界の山ちゃん」です。ビールが進むよ〜。おかわり!



 

春節祭

カテゴリー │旅行

中国の正月にあたる春節祭のイベントをやっていました。
ステージ奥にはチベット旗を降る右翼あり。場を考えろよ〜…。
















(追記・1月31日)
 もうすこし写真を貼っておきます。
 クリックすると拡大します。

 こんな感じの華やかなイベントでした。




 拡大するとこんなの。




 旗振っているお兄さんたち。
 右翼のパロディをしている鳥肌実さんという芸人がいますが、そっくりでした。
 でもモノホンは初めてでした。恐いよ~。


 水樹奈々さんの記事目当てで来られた方、こんな内容でごめんなさいね。


 

オレ流お盆の過ごし方

カテゴリー │旅行

奈良公園にて。故人を静かに偲ぶ。これでいいのだ。



 

柿食えば鐘が鳴るなり興福寺

カテゴリー │旅行

夜間拝観やっているそうです。ダメ元で来てよかった〜。



 

酔っぱらって何が悪い!

カテゴリー │旅行

大阪・新世界にて。なんで串カツ屋に長蛇の列ができているんだよ!

(追記・14日)次の日、二日酔いでベッドでうなっていました。



 

目的地はここ

カテゴリー │旅行

JR奈良駅で「せんとくん」の撮影会をしてました。蒸し暑い中、たいへんだ〜。



 

おっぱい、ボヨヨ〜ン

カテゴリー │旅行

三重県亀山市で電車待ち。
「富永一朗漫画館」があるそうです。