みちのく「福幸(復興)」の旅(後編)

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 宮城県石巻市を訪問した前回の続きです。

 甚大な被害を被った家屋、商店などはどこへ行ったかというと……。
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 「がれき」として処理されています。
 元々は暖かい家だったり、美味しい食べ物を出してくれるお店だったんです。
 ですから「がれき」ではなく「被災財」と呼ぶ人もいます。

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 奥に見えるのは学校の校舎です。「被災財」は学校のグラウンドに置かれています。

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 仏像やお地蔵さんまでが「被災財」として重機で処理されます。

みちのく「福幸(復興)」の旅(後編)
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 本来ならば勉強や部活や恋の舞台になるはずの学校です。
 こちらの生徒も別の学校に間借りした仮設校舎で勉強しています。

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 私にとっては憧れの女子高校舎です。時計が止まったままです。
 この学校でも生徒が何名も亡くなりました。

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 窓の貼り紙は、なでしこジャパンの選手がサッカー部の応援に来たことによるものです。

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 ボランティアの学生によるものでしょうか。バス停のベンチに書かれていたエールです。

 帰路、同じように被害が大きかった東松島市の駅に寄りました。

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 この区間は全面不通で、代行バスが走っています。

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 奥松島の名勝と、ホームだった場所です。

 と、私の想像をはるかに超えた被害を目の当たりにして仙台に戻ってきました。

 ここまで書いてきて自己批判というか反省ですが……、

・建物(ハード)ばかりに目がとられて、そこに生活している人たち(ソフト)を軽視している。一旅行者としては物見遊山で被災者に気軽に尋ねる気にはならなかったのですが。
・悪い部分ばかり取り上げて、元気に復興している現地の人たちの取り組みを紹介していない。仮設商店街もできていますし、全壊したけど再開したお店もあります。

 現地の人や関係者からしたら、悪く書き過ぎだと怒られるかもしれません。
 いいところも間違いなくありました。道に迷ったときには親切に教えてくれましたし、石巻焼きそばもものすごく美味かったですし。

 ということで、ぜひあなたも東北にいらしてください。現地の方はいろんな工夫をこらして温かいおもてなしをしてくれます。


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