新宗教さん、ぜひ介護業界へ

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 大学時代、PL教団のある市の近くに住んでいました。高校野球で桑田・清原・立浪らを輩出したPL学園が有名ですね。
 ビンボー生活がたたって栄養不足から肺炎になり、とりあえず電話帳で近くの病院を探したら、PL教団の経営する病院が自転車で行けそうだったので、そこで治療してもらいました。
 幸い入院にまでは至りませんでしたが、毎日通って点滴を打ってもらっていました。ベッドに横たわると、教祖様と思われる方のでっかい写真が目に入り、それを拝みながら点滴されてました。あまり経験することがないからシュールだなー、なんてポケーッと考えていました。

 どうしてそんなことを思い出したかというと、山田直樹『新宗教マネー』(宝島社文庫)という本を読んだからです。
 「課税されない「巨大賽銭箱」の秘密」との副題、「宗教特権を斬る!」というオビの文から想像されるようないかつい本ではなく、軽めの新書で、忙しいさなかでも短時間で要点を摑みながら読むことができました。
 著者は「週刊文春」の元記者で現在はフリーライター、創価学会についての著書もあります。主な論点は、宗教法人法で「認証」(「認可」ではない)された法人が、税の減免が認められることの是非で、具体例を挙げながら読者に問いかけるという、なるほど週刊誌の記事のような手法がみられます。
 創価学会に対する批判的記述が多く出ていますが、私はそこはあまり気にはしませんでした(何人もの学会員と話をする機会があって、その人たちの生の話のほうが興味深かったから)。

 むしろ、私が興味を惹かれたのは、宗教団体の巨額の資金の具体例です。
 例えば、昨年、幸福の科学を母体とした政党「幸福実現党」が立候補し、全員落選、供託金だけで11億5800万円を支払いました。著者の試算では、80~100億を選挙資金として使ったとされています。
 それから、真如苑が皇居のすぐ近くのホテル跡地を買収した話など。真如苑は、日産村山工場跡地も買収しており、他にも運慶作の仏像を13億で落札しています。
 創価学会は定期預金を何本かに分けて運用しているそうですが、一本解約されると支店長が左遷されるなんて話も出てきます。金融機関にとっては、この低金利時代に宗教団体は「おいしい融資先」なのだそうです。

 先のPL教団に限らず、多角経営をしているところはかなりあります。学校や美術館を持っているところは多いそうです。ある宗教団体が20億円でダ・ヴィンチの作とされる美術品を購入したところ、実は価値はほとんどなく、詐欺にあったようなものだったともありました。
 他にもレジャー施設や演劇団体、観光業なども営んでいる団体もあります。
 本来ならばこれら「収益事業」は営利目的だから法人税(30%)がかかるはずなのに、宗教団体には「公益性」があるとして減免措置が取られている(22%)わけです。このような「宗教特権」はいかがなものか、と著者は問題提起しているのですが、筆者はこうも書いています。

 「PL教団にしても天理教にしても、(中略)スポーツ施設や学校など、行政と一体となって発展してきた様子が窺える。(中略)それに較べ、行政がいかに貧しかったかを示す証拠でもあるだろう。宗教が俗世に救いの手を差し伸べたと言えるかもしれない」(p.75-76)
 「戦後日本で枯渇していたのは、芸術であり医療でもあった。その“痒いところ”まで手が届かんばかりに、行政に先駆けて“ツール”をそろえたのが、彼らだった」(p.76)

 だから正当化されるということではありませんが、そういう面があったのは事実です。「貧」「病」「争」からの克服が新宗教の発展のインセンティブだとすれば、確かに必要だったかもしれません。

 さて、そこからが本題。
 是非とも新宗教・新興宗教には、介護事業をはじめとする福祉分野の事業を手掛けてもらいたいのです。
 現代でも福祉行政はお寒いばかりですし、「こころの“”しさ」「心が“”んでいる」「誰もが巻き込まれる終わりなき競“”社会」と、新宗教が勢力を伸ばした高度成長期以前と負けず劣らずの荒涼とした社会に我々は生きています。
 そこで手を差し伸べるのが、真の聖職者だと思うのです。

 2000年より公的介護保険制度がスタートし、「国民皆介護」制度ができましたが、それでもなお、介護をめぐる悲惨なニュースが報じられています。最近でも著名なタレントが介護疲れで自殺したり、介護に専念していたミュージシャンが精神安定剤を大量摂取したのではないかという報道がありました。
 また、民間が参入できて競争原理が働いているように見えますが、不正請求事件のコムスン(グッドウィルグループ)のようにひどい業者もあり、また、マスコミにもたびたび登場する有名な社長の事業者でも、報道こそされないまでも、内実はどうしようもなく従業員が定着しないところもあります。
 現在の介護制度は、行政では不十分で、営利企業ではあまりに心もとない、谷間のような領域です。

 というわけで、PL教団でも、真如苑でも、創価学会でも、立正佼成会でも、天理教でも、どこでもいいから、金がダブついている教団は、ぜひとも介護業界へ。宗教ネタはおちゃらけが多い私にしては、今回は珍しくマジメです。




 

命短し、恋せよ乙女

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 ずーっと更新してなくて申し訳ないです。
 新しいネタを上げてないので、「在特会」が検索キーワードの上位に食い込んでいるという、実に嫌な状態です。
 年度末に予定をぶち込みすぎると辛いですね。
 いろいろやることが多いので、もう少し待っててくださいね。

 で、小ネタを。
 学校が春休みになって、平日に街中で小中学生を見る機会が増えました。
 今日は中学生の女子3人組がバスの前の席に座っていました。

 「告白したんでしょ、バレンタインに」
 「してないよー」
 「なんでー?」
 「(チョコを)あげたんだけど、○○くんから『これからも同じ態度で接してくれ』って言われて。
 できるわけないじゃん、そんなの。いつもと変わらないなんてさあ……」

 ああ、俺もこんな時期があったなあ、と遠い目。
 もう、彼女たちの3倍くらい生きてるんだな、俺って・・・。



 まさかこれがネットにあるとは思わなかった。
 これからは私のことを平成の志村喬と呼んでください。


 

ステージはこんな感じ

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撮影禁止って言ってたけど、遠鉄の職員もケータイのカメラで撮ってたからな。
静岡は甘いよ。



 

NTV羽鳥アナがいた

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たまたま遠鉄百貨店に行ったらズームインのイベントやってた。第一テレビの伊藤アナと一緒に。
平日の昼にこの人手はテレビの力は健在といったところか。これを営業面にどう生かすかだな。



 

続・「在特会」のみなさまへ

カテゴリー │社会

 朝日新聞の名古屋版にあったものらしいのですが、

 「ルポ 新「保守」(上)」(「asahi.com」3月15日)
 「ルポ 新「保守」(中)」(「asahi.com」3月16日)

 この「在日特権を許さない市民の会」なる団体については何度かウチでも記しましたし、今週号の「週刊金曜日」でも取り上げられていました。
 存在はネットの知人に教えてもらったのですが、ネット右翼みたいなものだと思って「ほっとけ」と書いたら怒られました。
 だからちょっと興味を持って見ていたのですが、ちょっと違うみたい。

 一番の違いは、実際に行動する人が多いんですね。
 ネット右翼は匿名の陰に隠れて差別的な言辞を振り回すのですが、この人たちはそうではないみたい。
 あと、「市民」という言葉を積極的に用いていること。「市民」といえば、どちらかといえば左よりの人が使う言葉と思っていたのですが。
 それから、東アジア諸国だけではなく、いろんな国に抗議しているそうです。朝日の記事でもオーストラリア大使館に抗議したとありました。

 『マンガ嫌韓流』なんかがそうですが、冗談半分でやってるところがあるんですが、どうもそうではない人たちみたいです。
 実はこれ、アイドルマニアにいるんです。
 ハロプロやAKB48のファンは、けっこう冷めているところがあって、すべての仕掛けやカラクリを知っていて、それでもなお熱いファンになる人がほとんどなんですね。「こんな齢になって追っかけなんて、普通の人じゃやらないよな、ハハハ」みたいなノリで10万円もかけてチケットをヤフオクでゲットしたり、何十万円のファンクラブツアーに申し込んだりする人もいます。
 でも、中にはそうでなく、本気でハマって、メンバーの自宅から郵便物を盗んで逮捕されたなんてニュースもありました。
 そういうのはプロレスファンでもあって、ベテランのプロレスマニアはウラの仕組みなどを周知の上で(メタとして)盛り上がるのですが、そのままで(ベタで)燃える人もいるらしいのです。二つのタイプが会場に居合わせるのが興味深かったとある社会学者が書いたプロレス観戦記を読んだ記憶があります。
 それを敷衍すると、ネット右翼は韓国や中国の悪口を「ネタ」としてネットで書いていますが、そうではない、マジで(「ベタで」)外国人を嫌悪している人たちが実社会に乗り出したということでしょうか。

 そういう人たちへの対処法は、議論が分かれます。
 ネオナチ運動がそうですが、「そんなの放っとけ。誰も相手にしない」という立場。すなわち私。
 もう一つが、「芽が小さいうちからつぶすべき。ナチスだって、最初は弱小政党だった」という反論。すなわち私の知人の立場です。
 どちらがいいかは世界各国の極右勢力への対応を見ても、まだわからないというのが正直なところです。
 まあ、私もよく現状すらわかっていないのですが。

 ということで、ここで募集します!

 在特会のメンバーの方、連絡ください!

 そして、静岡県にお住まいの方(できれば西部、それ以外も方ももちろん歓迎)、お会いしてください!

 会って何しようというわけではありません。ただ、何を考えて運動に参加しているのか、日本内外の問題をどう思っているのか、そんないろんなことを聞きたいだけです。
 私はマスメディアとは無関係ですし、どこに発表するわけでもありません。取材でも何でもなく、ただ個人的興味のみです。
 もちろん、プライバシーは厳守しますし、個人情報は守ります。
 そして、ここが一番大事なところですが、

 ギャラは出ません!

 そのかわり、お茶代やお茶菓子代くらいはこちらで持ちます(常識の範囲内でですが)。

 仕事がいろいろ忙しいので日程を合わすのが大変ですが、できる限り努力します。
 右の「オーナーへメッセージ」欄をクリックするか、直接eri-teru☆cameo.plala.or.jp(☆を@に変えてください)までメールください。


 

ホワイトデー粉砕闘争期成同盟決起文草案

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 諸君!

 製菓業界に代表される利益追求至上主義経済が、誇り高き日本國の文化と日本人の精神を堕落させている現状は、誠に直視するに堪えないものである。

 六十余年以上前ならば、若き血潮をたぎらせながら志願して敵機に特攻し天皇陛下に命を捧げた者たちが、今や畜生と同等の「草食男子」なる扱いを受け悠々としている情け無さである。

 また、國家と企業をを背負って立つはずである壮年男性は、職場では中間管理職として女性社員たちの顔色を伺いつつ、家庭では給与カットやボーナスカットでネチネチと嫌味を言われ、子供の誕生日に買ってあげると約束してしまったニンテンドーDSのソフトの資金の捻出方法を日々是苦悩する弱々しさを曝け出している次第である。

 我が日本國男子諸君よ。神武天皇降誕爾来二千年に亘り祖先から受け継いできた民族の誇りは、今や絶滅に瀕していると言っても過言ではない。

 過日もバレンタインデーの義理チョコを返すため、人気菓子店の行列に並んだ次第である。

 バレンタインデーと聞いて「バン・アレン帯の誕生日ですか」とボケても何の反応もない若輩者からもらったチョコレートの返礼を購入するために、職場の若い学生女子アルバイトに恥を忍んで情報を募り、早朝から30分以上も待たされる屈辱たるや、いかなるものか。己の姿を思いだすたびに不憫であった。

 我が同志諸君に呼びかけよう。

 もうバレンタインだのホワイトデーなどという虚飾に塗れたイヴェントはやめようではないか。

 腐敗した資本家や経済界、製菓業界や百貨店、コンビニエンスストア等をこれ以上肥え太らすことは、日本人の精神の劣化につながる。百歩譲って、日本人ならば、せめてお彼岸と一緒にしておはぎを贈答するなどはいかがであろうか。お茶受けにも最適である。

 同志諸君よ、欧米列強に奪われ侵食された我らが偉大なる日本國の誇りと日本民族の精神を再び取り戻すために、バレンタインデー及びホワイトデー粉砕闘争期成同盟をここに立ち上げる。

 志ある國民たちよ、我々とともに立ち上がろうではないか!諸君らの決起を期待するものである。

 ホワイトデー反対!天皇陛下万歳!



 なお、ついでに購入した家族向けのロールケーキは誠に美味であり、長蛇の列が出来るのも宜なるかなとの思いである。

 (注・誤解する人もいるかもしれませんので一応言っておきますと、これ、冗談ですからね。中にはこういう本格的な方とか本格的な方とかもいますけど、私は関与してませんので、念のため)


 

ああ蛇足本

カテゴリー │書籍・雑誌

 中央公論新社が作っている「新書大賞」という賞があるそうです。座興のようなものですが、他の文学賞と同じく、読みたい本を探す指針のひとつにはなりそうです。
 その第2位、元自民党幹事長の野中広務氏と人材育成コンサルタントの辛淑玉氏による『差別と日本人』(角川Oneテーマ新書)を買ってみました(ちなみに第1位は内田樹『日本辺境論』新潮新書)。
 ……ああ、惹句にだまされた。

 この本そのものは悪い本ではないんですよね。でも、脚注を辛氏が担当していて、それが長くてひどい。ポストイットを貼ったらポストイットだらけになって本文がまともに読めないという。
 一例をあげると、狭山事件や八鹿高校事件のくだりです。

 「そして、過激な糾弾闘争というイメージがマスコミと敵対勢力によって作り上げられていった。」(p.91)

 この一文だけでも相当に突っ込みどころがあります。
 「敵対勢力」がなにかはっきりしませんが、「マスコミ」によって作り上げられた?バカな!マスコミは「臭いものにふたをする」とばかりに差別問題に及び腰で、「言葉狩り」をしていると批判されていることを辛氏は知らないのか?ましてや「“マス”メディア」が糾弾闘争を報じたことなど私が知る限り、ごくわずかです(団体機関紙は「マス(大衆)」に向けて発行されてはいないので「マスメディア」とは呼べないだろう)。糾弾行為の当事者側である解放出版社から出版された小林よしのりの『ゴーマニズム宣言 差別論』でも、部外者(小林氏)が入場することをめぐってもめたとこが書かれています。解放同盟の関連会社ですらこうなのですから、一般紙やテレビなどが報じることなどできるのでしょうか。そもそもマスメディアの影響力などたかが知れています。まあ、これを言ってしまうと身も蓋もないのですが。
 八鹿高校事件とは、高校内で起こった差別事件が加熱し、ついには女性を含む教職員を長時間監禁し、暴行や傷害を加えたという事件です。これは「イメージ」でなく、「事実」です。実際にあった、れっきとした事件です。これを過激といわずして、何を過激というのか?差別は許されないけど、被差別者が犯罪を犯すことは正当化され許されるというのか?
 そう。辛氏はそう書いているのです。

 「多くの糾弾闘争は、部落民が、差別者とのやりとりを肌で体験しながら、差別とはなにか、差別に対してどのように反撃していくのかを身をもって学ぶ場でもあった。」(同)

 糾弾といえばまだ聞こえはいいが、八鹿高校事件はれっきとした犯罪です。辛氏は、差別という人権問題を解決するために、暴力という人権侵害を認めています。それを「学ぶ場」とさえ言う。ならば糾弾される差別者はモルモットなのか?「人の世に熱あれ 人間(じんかん)に光あれ」ではないのか?差別者というだけで「人」ですらないというのか?

 まあ、ここまでならいろいろな人が口にする普通の批判です。


 

聖地巡礼

カテゴリー │いろいろ

長澤まさみさんが初めて映画を見て、EXILEのAKIRAさんが毎晩ダンスの練習をしていた磐田市民文化会館。

ここで先ほど確定申告してきました。

(追記)AKIRAとATSUSHIを間違えてました。訂正しました。すんません。
 てか、オヤジは若者文化には付いていけんよ・・・。


 

エリカ様、SLAPPを仕掛ける

カテゴリー │社会

 東スポが情報源で、J-CASTが追いかけたというところが、なんとも平和ボケした日本らしくていいのですが、ヒマネタ扱いのこんなニュースがありました。

 「エリカ様「不都合なこと書くな」 受け入れて署名するマスコミあるのか」(「J-CASTニュース」3月5日配信)

 内容は、リンク先にある通りです。沢尻エリカの情報が欲しければ、こちらの出した条件にサインしろ、守れなければ法的措置に出る、というものです。
 なんだか、ガラガラの記者会見場が予見できます。報道各社がカルテルを結んで特定の芸能人の情報を表に出さないなんて、ジャニーズのライバル潰しの常套手段です。自分でその穴に落ちてどうするんでしょ。

 で、問題はそのあと。
 「SLAPP訴訟」ってご存知ですか?

 「SLAPP(スラップ)=Strategic Lawsuit Against Public Participation」とは、マスメディアなどの発言や行動にたいして、名誉回復ではなく脅しや恫喝目的で高額の損害賠償請求を突き付ける訴訟のことです。アメリカでは多くあり、問題となっていますが、日本ではまだ事例も少なく、社会問題とはなっていません。
 メディアによる個人への人権侵害は昔から問題になっていました。例えばロス疑惑の三浦和義元被告は、拘置所の中から出版社や夕刊紙、スポーツ新聞を次々に訴えて、かなりの高率で勝訴しました。でも、それで得た賠償金はせいぜい100万円で、出版社からしたら経費で落ちるはした金、はっきり言うと「書き得」の状態が放置されていました。
 それが近年、高額の損害賠償判決が続いています。芸能人やスポーツ選手への報道に、500万円とか1000万円の判決が出ています。中には全くのデマで、こりゃ訴えられて当たり前だと思うものも多々あります。
 その一方で、政治家や経営者、企業や公益団体の疑惑を報じた雑誌に1000万円近い損害賠償支払判決が出ると、報道の委縮につながる恐れがあります。

 日本での最たるものが、オリコンvs音楽ライターの訴訟です。音楽ライターがある雑誌からコメントを求められ、オリコンランキングが操作されている可能性に言及したところ、オリコン社が、出版社ではなくライター個人に対して5000万円の賠償を請求してきました。
 ライターは、資本が脆弱なフリーライターに高額訴訟を吹っ掛けてくるのは口封じの恫喝だとネットで抗議し、多くの賛同の声が集まりました。裁判は一審がライター側敗訴(100万円の賠償命令)、控訴の後、オリコン側が提訴を取り止める形で和解となりました。
 これが日本での典型的なSLAPP訴訟と言われています。

 この場合は、賠償額がはるかに高額だったこと、ライターがネットを利用して公に訴えたことでよく知られるようになりましたが、似たような事例は多数あるようです。報道に対してだけではなく、マンション反対運動をしている人にも行われるようです。
 詳しくは、「週刊東洋経済」ネット版が「スラップ訴訟をどう抑止していくか 「反社会的な行為」という認識を広めることが重要」という記事で詳しく報道しています。
 重要なのは、多額の賠償金を請求するということもありますが、企業対企業(新聞社や出版社)ではなく、記事にもあるように、企業対サラリーマン記者やフリーランス記者というように、「比較強者」対「比較弱者」という点です。これにより、当事者以外にも、これから行動を起こそうとする人にも委縮させる効果があります。
 また、訴えられた個人は、訴訟費用や手間なども相対的に莫大なものになります。日本では「裁判沙汰」という言葉があったり、お笑い芸人が「訴えてやる!」とギャグにしていることからわかるように、ネガティブな印象も付きます。

 さて、沢尻エリカです。
 ネットのニュースでしかわからないのですが、現地スペインでの裁判所に訴えるということは、おそらく高額の賠償請求訴訟ということでしょう。
 これがSLAPPに当たるかどうかは不明ですが、報道への牽制であることは間違いありません。
 知恵を付けたのは、間違いなく夫で「ハイパーメディアクリエーター」の高城剛氏。私はこの「ハイパーメディアクリエーター」という職業がどういうものかは皆目見当もつかないのですが(映像作家としての高城氏の仕事ならば私も知ってる)、仮にも「クリエーター」を名乗っている人が、表現の自由を委縮させてどうするのよ、まったく。

 この件はたぶん大きな記事にならず、何かあったとしても、かつてのデヴィ夫人のように失笑を買うだけで忘れられるでしょう。
 ただ、その奥にはかなりの危険性をはらんでいます。当の本人たちはまったく気付いていないでしょうが。ああ、平和ボケ日本。


 

国民に死ねと命じた国会議員

カテゴリー │政治

 地震や津波のニュースそっちのけで、昨日はネットのニュースサイトを凝視していた。スピードスケートの女子団体パシュート(追い抜き)。0・02秒差といえば、まばたきするのとどちらが早いだろうか。それだけで金メダルを逃した女子選手3人組。そろって表彰台にピョンと飛び乗り、まだあどけない控えの高木選手の首ににまばゆく光る銀メダルを掛ける。選手の胸中は複雑だろうが、テレビやパソコンモニターに映る彼女たちの笑顔を見て、愛国心のかけらもない私も、心の底からうれしく思っていた。
 その喜びにあふれた気分が、今朝のスポーツ新聞を読んで、一気にしぼんだ。
 決勝前、4人の選手に、橋本聖子団長がゲキを飛ばしたという。

 「死んでこい」

 サイトで改めて確認すると、サンケイスポーツ日刊スポーツが報じていた。一般紙では朝日新聞が「「滑り終わった時は死んでこい」と言われたんで」と、選手の談話を掲載している。
 他方、スポーツニッポンとスポーツ報知は「死ぬ気で行って来い」「死ぬ気で戦え」になっている。一般紙では読売、毎日、中日(東京)がほぼ同じ記述だ。通信社の記事では確認できなかった。
 「死んでこい」と「死ぬ気で行って来い」。この違いは、極めて大きい。

 個人的な話になる。
 昨年から特に、死について深く考えるようになった。それには身内の事情が大きい。いろいろなことを考えた。死ぬとは何か。生きるとは何か。何を持って死というのか。私の手で生を奪うことすら覚悟した。自分が刑務所に入ればそれでいいとも思った。死について懊悩すること此れ即ち生を考えることだと悟った。
 伏線があった。同級生がすでに5人旅立っていた。一人は命を奪われた。ワイドショーでも大きく扱われた。二人はバイクの事故。どちらも仲のいい奴らでよく遊んだ。一人は病気。あまり接点はなかったが、友人たちが安酒を飲みながら偲んでいたからいい奴だったのだろう。もう一人は電車に飛び込んだ。抜群に頭がよくて一流国立大学に進学した。数学が得意で、絶対に数学教師になると思っていた。私の運命を大きく変えた奴でもあり、同窓会ではネチネチ絡んでやろうと楽しみにしていた。みんな10代から30前に往ってしまいやがった。
 だから、私は「死ね」という言葉に敏感になる。若手お笑いコンビが相方に「死ね!」と突っ込んだり、人気マンガで吹き出しに「死ねよ」とあるのを見たりすると、ギャグだとわかっていても、非常に嫌な気分になる。テレビでその漫才師が出てるとスイッチを切るし、マンガもそのページだけ飛ばす。

 「死ぬ気で行って来い」「死ぬ気で頑張れ」ならば、私もよく使う。己を鼓舞するときとか、受験や仕事などの正念場のときには自分に言い聞かせたり。人生、時にはそのくらい気力を振り絞るときがあってもいい。
 人にも言うだろう。「死んだつもりになってやってみなよ」「一度死んだと思ってさ」「生きてるだけで丸儲け。生まれることすらできない人もいるんだから」。絶望の底にいる人には何の慰めにもならないことはわかっている。それでも、手垢の付いた言葉をかけることが必要なときもある。
 でも、「死んでこい」は違う。明かに命令だ。事実、戦争中には軍のその言葉で無駄に数多くの命が失われた。
 「例え話だ」「言葉のあやだ」そんな言い訳は通用しない。なにせ、発したのは、言葉の重みを最も知らなくてはならない現役の国会議員でもある人物だからだ。
 選挙で選ばれた国民の代表者が、国民に向かって「死んでこい」と命令した――しかもそのうちの一人は15歳の中学生に――。この重大さに気付いている人は、日本で何人いるだろうか。

 橋本団長が実際に何と話したのか。それは、控室にいた4人の選手しか知らない。おそらく今後は、話題にも上らないままに藪の中に消えていくだろう。
 でも、本当に「死んでこい」と話したのならば、国会議員の数々の失言とは比べ物にならない暴言だ。死ぬことを肯定した議員なんて、「中小企業の経営者が自殺してもやむを得ない」と発言した池田勇人通産相(当時)しか知らない。ましてや、「死んでこい」である。国会議員という絶大な権限を持ち、オリンピック日本選手団団長という組織の頂点にいる人物が、死を命じたのだ。
 政治家をはじめ、社会的地位のある人の言葉がどんどん軽くなっていくと憂慮していたが、ついに「死」という言葉さえ軽々しく用いられるようになってしまったことにはどう反応していいかすらわからなくなってしまった。

 まったく興味も関心もなかったはずの冬季オリンピックをこれほど熱く楽しんで観てしまったのは、自分自身、意外な発見だった。それだけに、極めて後味の悪い終わり方になってしまった。