『運命の人』感想・イントロダクション

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 新聞記者になりたい、と思ったことがあります。正気の沙汰ではありません。まだ静岡県知事になると言ったほうがマシでしょう(少なくとも今の候補者よりは私のほうがいいと客観的に思う)。私がインテリの記者なんて、お笑いです。それでも全国紙M新聞や経済紙N新聞では入社試験の成績は悪くはなかったんですよ。でもその後は音沙汰なし。さすが新聞社、人を見る目が肥えています。私なんか記者になったらどうなってたことか。

 それでも、マジメに考えていたので、報道倫理についてはちょっと思い至ることはありました。「報道の自由」「知る権利」と、一般的な基本的人権がぶつかったらどうなるかについては、実例を使ってよく考えてたものです。
 写真週刊誌やワイドショーなんかは論外ですが、国や大企業が隠していたことをすっぱ抜く場合、法や道徳を侵さなくてはならない場合があります。が、私が当時考えていたことは、もう少し簡単なことです。

 例えば、豊田商事の詐欺事件で、新聞記者やカメラマンが会長宅を取り囲んでいたときに、詐欺被害者が会長宅に押し入り、会長を刺殺したことがありました。血まみれで出てきた犯人の映像はインパクトがあるものでした。一方で、どうして大勢いた報道マンは犯人を止めなかったのかとの批判もありました。
 似たようなことで、ピュリッツアー賞を受賞した報道写真「ハゲワシと少女」がありました。内戦で飢餓が続く国で、動けなくなった少女をハゲワシが狙うという写真で、最近ではNHKのドラマ「風に舞い上がるビニールシート」でも取り上げられたそうです。やはり、撮影する前になぜ少女を助けなかったのかと批判が多くあり、カメラマンは後に自殺しています。

 ワイドショー的な報道でも、後になって、あれは重要だったと思うことがあります。ひとつには、事件記者モノの小説などでおなじみの、デスクが新人記者に「ガン(顔写真)取ってこい!」というものです。被害者にとっても加害者にとっても、顔写真など必要ないのではないかとの声は多くあります。加害者やその家族にとっては人権侵害、被害者側にとってはそれに加えて報道による二次被害があります。女子高生コンクリート詰め殺人事件では、被害者だけ名前と顔写真が掲載されて、いまなお議論があります。
 私も同じ思いなのですが、ちょっと留保を付けたいのは、高校生の時、幼女連続誘拐殺害事件、いわゆる宮崎事件がありました。警察から提供され新聞に載った犯人の顔写真はこんなもので、今の言葉で言う「キモメン」で、公開された彼の部屋のアニメコレクションと並んで、悪いイメージを植え付けました(今に至る「オタクバッシング」もこのとき生まれた)。
 ところが実況見分のときに宮崎の姿を各社が報道しましたが、こういう姿で、それほどブサイクではなく、逆に意外といい男だと思った記憶があります。警察発表をそのまま用いたために、印象操作に利用された面があります。

 もうひとつ、皇室報道を思い浮かべます。皇族の写真は代表取材か、宮内庁からの「お貸し下げ」(レンタル)です。やはり高校生の時に、秋篠宮殿下と川嶋紀子さんの結婚式がありました。宮内庁から厳しい報道規制が敷かれていたのですが、紀子さん(さま?)が秋篠宮殿下の前髪の乱れを気にして直す瞬間をとらえ、各社カメラマンが一斉にシャッターを押しました。宮内庁が猛抗議をして、「菊のカーテン」の分厚さを改めて印象付けましたが、宮内庁の指示通りの写真だと、本当の気遣いができる紀子さんの姿は国民に伝わらなかったでしょう。当時「極左」だった私(今はやや右傾化)の天皇制への見方を、ほんの少し変えた写真でした。

 他にもジャーナリストが法律や一般的道徳や倫理、マナーを破って特ダネを得た例は山のようにあります。これはジャーナリズムの宿命かもしれません。個人も組織も、隠し事はあり、大きくなればなるほど数も質も大きくなります。社会的な意義も違ってきます。タレントの不倫と大臣の不倫とはやはり性質が全く異なります。公人(ここでは大雑把に「権力を持つ人」くらい)については、やはり規範と対立しても報じなくてはなりません。
 ただ、今はその理屈が通用しなくなっています。役所の方針や法に反した取材をしたら、たちまちマスコミへの批判が起こります。「ネタ(冗談、ノリなど)」でやってるとの意見もありますが、それは置いとくとして、私見として、解決できるケースとできないケースがあります。
 解決できないケースとしては、やはり、ジャーナリズムとは権力と対立する宿命にあると割り切ることです。これはもう仕方がないでしょう。権力と添い寝したら、人民日報や労働新聞と同じ、政府の幇間持ち新聞になってしまいます。
 もう一つ、解決できるケースは、読者や視聴者に、これは法律などに反しても仕方がないと納得させるだけの記事や番組を提供することです。これは雑誌やフリージャーナリストががんばっています。一方、新聞やテレビは正直ひどいです。新聞は読まれてなく、テレビも見られてないとの調査がありますが、アメリカの対日外交をもじって「新聞・テレビバッシング」から「新聞・テレビパッシング」「新聞・テレビナッシング」なんてことになっているのは当たり前だとも思います。

 で、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」の格言通り、マスメディアは、歴史に学ばなければなりません。戦後メディア史の大事件、国家の背信と報道倫理が真正面からぶつかった、「外務省機密漏洩事件」、いわゆる「西山事件」です。
 山崎豊子が実在する人物や組織をモデルに書いた大著『運命の人』全4巻(文藝春秋)が順次刊行され、そのたびごとに一気読みしました。モデル小説といっても小説ですから実際と違う点はありますが、それでも、いや、だからこそ、圧巻でした。
 陳腐な感想しか出てきませんが、読後感は、感動の一言です。(つづく


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