天皇制近代国家と靖国神社

カテゴリー │政治

 今日の朝刊で各紙が報じていました。

 「麻生外相:首相靖国参拝 喫煙心理に例え中韓の対応批判」(毎日新聞サイトより)

 注目すべきなのは、麻生氏のこの発言です。
 英霊の方は天皇陛下のために万歳と言った。首相万歳と言った人はゼロだ。だったら天皇陛下が参拝なさるのが一番だ
 実はここが靖国参拝問題を考える上で、最もキモの部分です。

 靖国神社という「場」を考察した坪内祐三氏の『靖国』(新潮文庫)には、日本初の近代的戦争である西南戦争を経て、近代国家が形成され、それを印象付けるために、靖国神社という「場所の力」が必要だったとあります。靖国の前身、招魂社には西南戦争の戦死者が合祀されましたが、それまでよりも桁違いに多い数でした。その中には、西郷側についた戦没者は含まれていません。
 最大の朝敵たる西郷隆盛を倒してのち、日本は、各地方それぞれの持つ固有のもの、地方色を犠牲にしながら、中央集権国家としての道をまっしぐらに歩んで行く。統一のためのシンボルを創出して行きながら。
 そのシンボルの一つが靖国神社だった。(p.97)
 その近代国家とは、言うまでもなく、天皇を頂点とした国家です。靖国神社についてはいろいろな意見が交わされていますが、その成り立ちからして、どこまでいっても天皇から逃れることはできません。靖国神社をめぐる問題は、A級戦犯の合祀や政治家の参拝が公人か私人かに注目が集まりますが、それらは問題の周縁部でしかありません。本質である天皇を回避しながらの議論は、ピントがぼやけたものです。
 ですから、麻生氏の発言は、賛否は当然あろうとも、問題の本質を突いた重要なものです。

 その意味で残念だったのは、昨年話題になりながらもイマイチ説得力を感じさせなかった、高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)です。高橋氏は靖国信仰を「天皇その人にほかならないとされた国家を神とする宗教」(p.30)であったと、わざわざ太字で書いているにもかかわらず、その部分を深く掘り下げることなく、靖国信仰は戦死の悲しみを喜びへと変える「感情の錬金術」であったと論を進めます。高橋氏にとって、天皇を頂点とする近代国家成立と靖国神社の関係はもはや大前提で、今さら述べる必要はなかったのかもしれませんが、その部分を抜きにしては、靖国神社をめぐる本質的議論は深まりません。

 ともあれ、外務大臣が、しかも次の総理を狙う人物が、ここまで本質に踏み込んだ発言をしたのは注目に値します。ついに小泉内閣も「天皇の踏み絵」を踏んだということです。当然、安倍晋三氏はじめポスト小泉の面々も、民主党の前原代表も、この踏み絵を迫られるでしょう。「天皇抜きのナショナリズム」(私の言葉で言う「萌国心」)を声高に標榜していた人たちも同様です。今後、注視していきたい動きです。
 (せっかく天皇制は去年まででやめようと思っていたのに……)

 最後に、大事なところなので、坪内氏の著書よりもう一箇所、引用します。
 もちろんここには、一つの切断、いわば「歴史の創出」がある。だが立ち遅れた近代化の中で、国を一つにまとめ上げて、欧米の列強諸国に向って行くには、その種の「創出」は必然でもあった。日本の近代化とは、その種の「創出」の繰り返しの過程であり、その非合理を笑い飛ばすことは、たやすい。しかし私は、その非合理を、単純に否定することは出来ない。(p.108)


同じカテゴリー(政治)の記事
初めに名前があった
初めに名前があった(2020-03-20 19:34)


 
この記事へのコメント
 A級戦犯の合祀がまず問題です。靖国は戦死した人だけです。ですから、空襲で死んだ人も祭られていません。戦死したら馬や鳩まで祭りますが。
 しかし、A級戦犯は刑死した人々です。靖国に祭るのは靖国の本来のルール違反です。
 さらに、首相が参拝するのはサンフランシスコ講和条約第11条違反です。極東軍事裁判の判決を受け入れたから戦後体制が始まり、維持されているのです。
 この点、故後藤田はすごかった。彼の法に対する姿勢は私はリスペクトしています。
 だから、A級戦犯を喫煙習慣にしてしまう、麻生の感覚を疑います。これは両方から非難されるでしょう。
Posted by 小笠原です。 at 2006年01月30日 00:27
靖国に天皇が参るべきであると麻生はいうが、昭和天皇がなぜ参らなかったかということを彼は忘れているのである。
Posted by 小笠原です。 at 2006年01月30日 00:30
 そういうの、ぜひ先生のブログでも書いてください。法学者で宗教者でもある先生ならば、かなり鋭いものになると期待します(学会誌の専門論文でももちろんいいのですが、読める機会はまずないでしょうし、第一私には専門書は手が出ませんから)。

 私見としては、A級戦犯を分祀することで問題がすっきり片付くとは思えません。「英霊」は「お国」のために死んで祀られたのであり、「お国」とは天皇に他ならないからです。その天皇の戦争責任を曖昧にしたままでの議論は本質から外れ、空転するばかりです。
 小泉首相の参拝がそうです。私の知る限り、首相が靖国と天皇について語ったことはありません。ですから、彼がなぜ靖国参拝に固執するかがまったく理解できません。批判する人もまた同じです。賛成する人も反対する人も、法律論や外交面についての議論ばかりで、誰も「天皇の踏み絵」を踏んでないのですから。
Posted by 大橋輝久 at 2006年01月30日 12:02
天皇制の踏絵ですか。私は、天皇制にすべてが集約するとは考えていません。たしかに、そこに由来するわけですが、問題解決のためには集約させないでもできると考えています。あえていえば、天皇制を無視してでも片付けるべき問題でしょう。象徴としての天皇の地位は主権者たる国民の総意に由来するのですから。
Posted by 小笠原 at 2006年01月30日 14:44
とりあえず、書き始めました。
Posted by 小笠原です。 at 2006年01月30日 23:24
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
天皇制近代国家と靖国神社
    コメント(5)