『ラジオ記者、走る』

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 なかなか面白い本を読みました。清水克彦氏の『ラジオ記者、走る』(新潮新書)です。著者は文化放送で報道畑を歩いたプロデューサーです。新聞やテレビの記者が書いた本はたくさんありますが、ラジオ局の記者の手によるものはあまり見たことがありません。
 というか、ラジオに報道専門セクションがあること自体、ほとんど知りませんでした。特に地方局の場合は自前の報道セクションは持っておらず、「○○新聞ニュースです」というように、新聞社や通信社から送られた記事をアナウンサーが読み上げることがほとんどですから。
 その中で、人も金もテレビ局の10分の1以下という陣容でニュースを送り続けてきた体験談が主に記されています。

 著者が扱った題材は、「タマちゃん」から永田町、湾岸戦争やボスニア紛争までさまざまです。
 国会取材では自民党総裁選をたった一人でカバーします。新聞やテレビが物量作戦にモノを言わせているとき、雑誌記者を頼りにしながら、候補者や陣営の議員にインタビューし、肉声を送ります。記者クラブに入れないので懇談会や記者会見では聞きたいことも聞けないので、懇意の議員とパイプを作ったり、時には競合他社と協力して議員の声を捉えます。
 戦場に行くのもたった一人でです。イラク国境で銃口を向けられ拘束されそうになったり、ホテルでミサイル誤爆に備えながらクゥエート人避難民の声を拾います。旧ユーゴでは民族や宗教の違う家族や恋人たちの声を聞き、難民センターでは子どもたちの悲しい歌をマイクに収めます。
 テレビのように映像もなく、支局のサポートもなく、徒手空拳で日本にリポートを送り続けます。

 他にも災害報道やアメリカの選挙リポートの話もあります。中には倫理的にいかがなものか、と思う手法もありますが、それでも、ヒト・カネ・モノで圧倒する新聞やテレビに負けない取材をラジオがするために、ゲリラ的なアイデアと行動力、そしてテープレコーダーとマイクだけを持ってひたすら歩く著者の姿を読むと、「やっぱりラジオは面白い!」と、うらやましくなります。

 (ここからは蛇足です。興味のある方だけどうぞ)

 ただ、著者の語る今後のラジオ業界の見通しは、やや楽観的な印象を受けます。愛着がありすぎて科学的とは言えない部分すらあります。
 今年2月のビデオリサーチによる首都圏での聴取率調査(テレビでいう視聴率調査)では、セッツ・イン・ユース(全局合わせてラジオを聴いていた人の割合)は7.1%、10代だけを見ると2.0%との結果が出ました。
 著者は、各局の団塊世代に照準を合わせた番組編成を紹介しています。たしかに団塊世代はラジオに接する人は多く、時間もお金も比較的多くあります。しかし、遠くない将来、団塊世代が亡くなった後(失礼多謝!!!)、ラジオは経営的にジリ貧になるどころか、存在すらしなくなるかもしれません。
 また、著者は終章でラジオ業界の技術革新についても述べています。確かに、iPodで聴く「ポッドキャスティング」は利用者が急激に伸びています。でも、かつて「ヒット商品番付」に名を連ねたAMステレオ放送受信機や「見えるラジオ」を利用している人がいまどれだけいるでしょうか。ましてや著者が力説する地上デジタル放送など、利用者の需要はどれだけあるのでしょう。それを考えると、著者の主張には諸手を挙げて賛同はできません。

 ラジオは、今から抜本的な手を打たないととんでもないことになる!

 と、私が声を大にして叫ばなくとも、ラジオ業界の人は誰もが危機感を抱いているのですけどね。

 すべての走るラジオマンに大きなエールを贈ります。


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