「○○難民」の解消に向けて

カテゴリー │社会

 この「はまぞうブログ」のトップページやブログ脇に、当地のスーパーマーケット、遠鉄ストアのネットスーパーのバナー広告が載っています。
 わが家は一家そろって車に乗れない人ばかり。今日も母が寒風のなか、自転車を走らせて買いに行きます。
 そんな母に、ネットスーパーのことを教えると、大乗り気。5000円以上は送料無料と聞くと、もっと喜んでいました。
 「それじゃ、パソコンもう一台買わなくちゃな」
 と言うと、とたんに顔をしかめて、
 「そんな難しいのはできないよ」
 と。ITアレルギーはわが家の遺伝のようです。

 いろんな新聞で「買い物難民」という言葉を目にするようになりました。
 経済産業省が旗振り役になり、企業が乗っかる形で、これからいろいろなモデルが出るようです。
 新聞では広大な北海道で生協が移動販売車を走らせていると読みました。コンビニは山間部など小商圏でも利益が出る店舗を開発するようです。ファーストフード店でも宅配するところもあるとのことです。
 もちろん、冒頭のネットスーパーも代表格です。
 こういう役所の取り組みは、大きく評価されるべきです。さんざん悪く言われている民主党政権も、やればできる子です。

 いいことなのですが、手放しで喜べることばかりではありません。
 私は「交通弱者」という言葉を多く使ってきました。高齢者だけでなく、子ども、障害者、貧困層など、車が持てない・運転できない人は、規制緩和によりモータリゼーションが発達しすぎた郊外では生活できない、と。
 消費行動がその代表で、それが「買い物難民」なのです。
 ですが、「買い物難民」という言葉で、買い物だけに問題が矮小化され、他の分野は議論が置き去りにされてしまうおそれがあります。

 特に高齢者ですが、最も必要なのは、医療です。病院まで何時間に1本しか走らないバスやローカル線で行く人は非常に多いです。都会で生活している人や車を運転している人は、そんなこと知らないでしょう。インビジブル(不可視化)な存在になっているのです。
 それから、福祉。公的介護保険だけではとてもじゃないが足らないという声はよく耳にします。
 さらには、学習。学校教育を終えた人には必要ないのではありません。「生涯学習」の時代です。カルチャーセンターで学ぶのも、博物館や美術館で観賞するのも、生涯学習です。
 もちろん、学校教育も必要です。高校の定時制や大学の二部(夜間部)や通信制には、社会人学生が熱心に聴講しています。「二部のほうが圧倒的に面白い」とは、大学の先生が口をそろえて言うことです。

 そして、娯楽です。
 遊びになんて行政が乗り出す必要はない、という声はあるでしょう。
 実は、この稿を書くきっかけが、それなのです。
 ツイッターで、落語会の開き方を行政が教えて、ある程度の補助金を出したらどうかという提案がありました。
 それに対してレスした人の言い分がふるっています。

 「落語会開き方講座を行政が企画したらどうか、っちゅう意見を耳にしたのだが、そんな悪夢のような催しものが行われないことを切に祈るばかりだ。知ったかぶりの公務員が提案しかねない。」

 「オカミに頼るくらいなら開かなければよろしいと思料。」

 「行政が市民に興行行為を勧めることが公費を使って実際に行われているケースがあるかどうかは知らないけれど、そうした公費の使途は適正なのだろうか。地域振興という名目の補助金でさえ、いい加減に支出されていることが少なくないのに。ひとりごとです。」

 私はこの筆者がどういう人かはよく知らないのですが、おそらく大都会に住んでいて、寄席や落語会に労なく行ける、青年から壮年の比較的裕福な健常者なのでしょう。
 わが静岡県だけ考えても、最寄りの駅から車でさらに2時間走ってようやくたどり着く「限界集落」にも、落語ファンがいて、でもその人たちは地上波テレビの「笑点」か「笑いがいちばん」くらいしか落語に接することができないなんてことを想像すらできないのでしょう。
 離島に暮らす人もいて、そこにはTSUTAYAもなく、当然落語のCDやDVDなんて視聴できる機会が著しく限られているなんてこと、思ったこともないのでしょう。
 新聞で読んだのですが、浜松市に合併される前の山間部の村では、行政が高齢者を対象にバスツアーを組んで、演歌歌手のコンサート(たぶん名古屋の御園座あたりの座長公演でしょう)に行くなんてことがあったそうです。年に一度の行事を住民は楽しみにしていたそうですが、合併でその事業が切り捨てられました。筆者はこの事業も「悪夢」と吐き捨てるのでしょう。

 話がそれました。
 「買い物難民」という言葉で事態が少しでも改善されるのはいいことです。旗振り役の行政や粘り強く報道してくれたマスメディアを高く評価します。
 それと同時に、買い物「だけ」解消されればよい、という風潮にならないように気を付けなければなりません。
 縦割り行政を避け、官庁横断的に取り組んでもらえたらと、政治家の方に強く願いたいことです。


同じカテゴリー(社会)の記事
語られない言葉
語られない言葉(2021-03-11 08:00)

「人間」らしく……
「人間」らしく……(2020-04-01 06:48)

外に出よう
外に出よう(2020-03-19 12:44)


 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「○○難民」の解消に向けて
    コメント(0)