無名の宮城まり子さんたち

カテゴリー │社会

俳優で当地・静岡県の掛川市にある肢体不自由児の施設「ねむの木学園」を設立した宮城まり子さんの訃報を耳にして、学生時代、奈良県の辺鄙な村を訪れたことを、不意に思い出しました。

真夏のことでした。郊外の私鉄駅からバスで50分。「終点の停留所に着いたらお電話ください」とのことで連絡すると、軽自動車で向かえに来てくれました。

そこからまた30分。蝉しぐれ鳴く林道をゆくと、軽度の知的障害を持つ人たちが働く授産所がありました。

「治安が悪くなる、犯罪が増える、水が悪くなる言われて、わしら一体何なんやろなー」

ダンディな風貌の施設長が、からから笑いながら、ねぎらってくれました。

そこは当時としては、画期的な取り組みをしてました。大手アパレルウェアと直接取引し、利益を出しています。簡単な内職仕事を請け負う施設がほとんどで、給料の相場が月5000円のときです。

通所でなく、入居の利用者もいます。ピカピカの床です。コストをかけて定期的に清掃業者に掃除してもらっています。

職員は軽装でなく、男性は夏でもワイシャツにネクタイ、女性はブラウスです。ネガティブなイメージを変えようと、職員たちが提案したことです。

応援する企業もあります。奈良市の高級百貨店そごう(当時)が、利用者の作った絵画や工芸品の展覧会を開催して、地元の奈良新聞が大きく載せてくれました。イメージアップや利用者たちの励みになりました。

今では珍しくないかもしれません。でも、20年以上前は違いました。

施設はカフェも併設してました。ウェイターがぎこちなく運んでくれるハーブティーと、天然の香りが漂うパンを食べながら、福祉の専門学校生や、利用者の親御さんから、ひどい話も聞きました。

徘徊を防ぐとの名目で、夜はすべて施錠して閉鎖するとか、事務室になぜか剣道の竹刀があるとか。

私も他の施設で暴言を吐いたり殴る職員を見ました。社会福祉法人の看板で障害者を食い物にしているような理事も……。福祉に関わる人は尊いとの純朴な偏見は打ち砕かれました。

「他はあかんの。ここやから、○○やからいいの」

障害を抱えて生きていく大事な息子を持つ親御さんは、20代前半の未熟者たちに、心の内を聞かせてくれました。

宮城さんも、ねむの木学園を作ったときには心ない声もあったそうです。自分の中にだけ留めていたこともあるでしょう。

まっとうに取り組む福祉関係者からは、今も辛い声が上がっています。それでもなお、苦闘しつつ先人の遺志を継ぐ人は、多くいるだろう、と、願います。

そういえば、介護が必要な母は宅食サービスを利用しています。そこも障害を持つ人が働く施設が作ってくれています。

やはり山間部にあるのですが、栄養バランスは完璧で、歯が悪いお年寄りには食べやすいように柔らかくしたり、細かく刻んだりしてくれます。毎日夕方に届けてくれて、見守りの役目もしてくれます。おいしいおいしいと母も満足です。

いつもありがとうございます。
…………
病院から見る早朝です。
ネットの比較紹介サイトで、風光明媚だと評判だとか。いいのか、そんなサイト?



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