罪なきペンギンを檻に戻すな

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 その男性の後ろ姿は、まるでピョコピョコと歩く動物園のペンギンだった。

 JR浜松駅近辺の人込みの中ですれ違ったその老人は、私の胸部よりも背が低く、男性としてはかなりの小柄だった。歩行を覚えたての幼児のように小股で歩き、やや足を引きずっている。それでもしっかりとした足取りだ。

 すれ違いざまに、その老人の顔を覗き見た。中折れ帽を小粋にかぶったその人は、他の人と決定的に違うところがある。目だ。戦場の狙撃手のように常に何かを射ようとする眼差しは、どこのデイサービスにもひとりはいる、世間話を好み、孫の成長に目を細める好々爺にはないものだった。

 背中を丸め、よちよち歩きで遠ざかっていくその老人を見て、元ボクサーと思う人は誰もいないだろう。この、最も不幸な形で有名になってしまった男性こそ、冤罪で45年以上も拘置所に収監されていた、袴田巖死刑囚(82)だ。

 私が袴田事件を実感したのは、地元の映画館で公開された「BOX 袴田事件 命とは」(高橋伴明監督、2010)という映画が元だ。元ヤクザの大物組長が製作したことでも話題になったが、映画そのものは興行収益も評判もそれほどではなかったと記憶している。ストーリーも袴田死刑囚が濡れ衣を着せられる過程を追ったものでしかない。反面、事件の概略を知るためには絶好の教材ともいえる。

 むしろ、上映後のトークショーにショックを受けた。壇上には高橋監督と、袴田死刑囚の姉、秀子さん(85)。監督による映画の裏話も面白かったが、何よりも秀子さんの印象が強烈だった。秀子さんによると、袴田死刑囚は長期にわたる拘留で、拘禁症状が悪化しており、異常行動もあり、面会した姉の顔も覚えていないという。

 そして、何よりも、秀子さんの凛としたたたずまいだ。背筋を伸ばして上品に椅子に座り、声を荒らげることも、声高に弟の無実を訴えることもなく、しかし、固い信念に貫かれたその姿からは、弟の無実を信じて50年近くも粘り強く司法の壁にぶつかり続けた人とはとても思えなかった。当時、78歳のご高齢だと後で知って、改めてひっくり返りそうなくらい驚いた。

 「袴田に死刑判決」一審判決を伝える新聞記事の写真にはこうある。「うすら笑いを浮かべて法廷に入る袴田被告」(毎日新聞1966年9月11日付夕刊)。映像監督の森達也氏の『たったひとつの「真実」なんてない』(ちくまプリマ―新書)に転載されている。記事にも今では絶対に活字にできないおぞましい表現で袴田死刑囚の人格まで貶め、反対に警察の捜査を持ちあげる。毎日だけではない。当時の報道は同じようだったと森氏は記す。マスメディアに煽動された大衆が、「袴田憎し」「袴田は死刑だ」「袴田を吊るせ」とヒステリックに叫んだことは容易に想像できる。

 袴田死刑囚と秀子さんは、その渦中に突然放り込まれ、しかし、約50年も無実を信じてきたのだ。誰がそんなこと真似できようか。

 事件さえなければ、袴田きょうだいは平凡でも幸せな人生を送っていたに違いない。時は右肩上がりで経済成長を遂げていた時代。国全体に希望と未来があふれていた。国体に出場してプロボクサーとしてチャンピオンを目指すが挫折して、味噌工場に就職したひとりの青年。ボクシングへの未練は断ち切れないが、それでも味噌作りの仕事が面白くなりつつあったころだろう。三十路を迎え、働き盛りで、身を固める話もあったかもしれない。

 どこにでもありそうな、平凡な青年の話だ。1966年8月18日、強盗殺人の疑いで警察に逮捕されるまでは――。

 この拙稿では、当事者の呼称を一貫して「袴田巖死刑囚」と記している。他の新聞や放送では「袴田巖さん」としている。すでに無罪扱いであるが、実は報道が間違いで、いまだに「死刑囚」である。まだ静岡地裁で再審が認められたというだけで、しかも静岡地検は不服として即時抗告をしていた。そしてきょう、東京高裁は、地裁の決定を取り消して再審を認めなかった。袴田死刑囚は、再び拘置所に収監されることもある。

 以下はすべて私の予想だ。弁護団は高裁の決定を不服として最高裁に特別抗告をするだろう。長い時間がかかる。そして仮に再審開始が決まっても、検察はできるだけ引き延ばそうとするのではないか。

 もっとはっきり言おう。検察庁は、袴田死刑囚が死ぬのを待っているのだ。

 検察を今どき、正義の味方だとか、強きをくじき弱きを助けると信じている国民などいない。国家権力を担う官僚組織として、過ちは許されない。被告人の死亡で控訴棄却(裁判打ち切り)になることが、彼らにとって都合がいいのだ。

 私の身勝手な予想が外れることを祈りたい。そして、法律的にも「袴田死刑囚」が「袴田さん」になることを切望する。

 最近も浜松駅北口近くで袴田死刑囚を見た。浜松市中心部の秀子さんの自宅から、市街地を散歩するのが日課だという。ピョコピョコ。小足で街中を歩く姿は以前と変わらない。地元の新聞によると、拘禁症状はまだ残るものの、かなり和らいできたようだ。

 この事件をうやむやにしてはならない。無実のペンギンを檻に戻すことなど、けっしてあってはならない。

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