2007年07月11日11:57
未成年者の飲酒・喫煙はそんなに悪いことなのか?≫
カテゴリー │社会
以下は小耳に挟んだだけの未確認情報です。
ある県で補導された少年の所持品にタバコが含まれていました。警察は購入したコンビニエンスストアを突き止めました。販売した店員は刑事罰(罰金刑)に処せられました。当然、経営者も何らかの処罰を受けたでしょう。
それだけでなく、その県で営業する同じチェーンのコンビニ全店からタバコ販売免許を引き上げようとしました。チェーン本部は苦慮し、その県の旗艦店一店のみ販売免許を返上するということで警察と手を打ったとか。
重ねて書きますが、確認は取れていません。また、一部、主旨を変えない程度で細部を変更しました。
なんでお上がそこまで乗り出してくるかな~。
以前、このブログで未成年者への酒類販売が厳しくなったことを書きました(こちらとかこちら)。同じ事を繰り返すのはバカの一つ覚えみたいなので嫌なのですが、仕方ないので要点だけ言います。酒類販売があるときを境に急に厳しくなったのは、酒販組合が青少年の犯罪増加を口実に政治家に金を渡してロビー活動を展開し、チェーンストア協会が揚げ足を取られないために酒類販売を制限したというのが実態です。タバコはわかりませんが、似たようなものでしょう。警察の取締りが厳しくなったのも、裏で何かが動いたからだと睨んでいます。
要は、政治と金がすべてで、未成年者はそのダシに使われただけです。
ホント、バッカじゃないのー?チェーンも、店員も、警察も、みんな自分の頭で考えられないの?
私は中学生のときから酒を飲んでいました。田舎だったからでもありますが、大人も黙認でした(今だから言うが、高校生のときに某教師に飲みに連れて行ってもらったこともある)。買うのも、地域に根付いた酒屋が目をつぶってくれていました。
そのときは、みんながよく見ていてくれていました。私も自分の酒量はわかっていましたし、やっていいことと悪いことも知っていました。大人たちは「しょうがないなあ」という顔をしていましたが、祭のときなど問題になりそうなときには断固として飲ませてくれず、無理矢理追い払われました。もちろん、酒屋も、本当にまずいときには販売を断ったでしょう。
みんな、自分たちの経験と知識による判断で是非を決めていました。そこには「タテマエ」の法と、「ホンネ」の慣習がうまく同居できていました。
今、私は大人の立場です。子どもこそいませんが、地域社会の子どもたちが飲酒をしたらどう行動するでしょうか。「ほどほどにな」と言い残して見て見ぬ振りをして、でもダメなものはダメときっぱり言うでしょう。私にはそれができます。
タバコをくれといったらキッパリと断りますし、吸っているところを見たら、やめろと言うでしょう。でも、まあ仕方ないなとあきらめるでしょう。肺がんで死にたい人は死ねばいいのです。かくいう私も18から吸っていたのですから。
それが、本来の大人の姿です。法による「他律」ではなく、自身の判断による「自律」で行動できる者を、大人と呼びます。「他律」でしか行動できない子どもを「自律」できるようにするのが教育の機能(のひとつ≒socialization:社会化)です。
それを、なんで警察が出てくるの?しかも、ただのコンビニや居酒屋のアルバイト店員にまで網をかけるなんて。
冒頭の話は未確認情報だと言いましたが、そこまで露骨でなくとも、同じような話はあるんです。ただお小遣い稼ぎのために働いているだけの非正規雇用の店員という一番弱いところを見せしめのために摘発して、業界全体を萎縮させます。 その結果、業界はどうなるか?決まっています。警察の下請けとなるのです。警察がちょっと厳罰をほのめかすだけで、業界全体をお上のおっしゃる通りと「自主規制」の形をとって自粛させる、昔からの官憲の手口です。
もはや古語となった「官憲横暴」という言葉はこういうときに使うんですね。いやあ、勉強になりました。
酒もタバコも20歳になる前からやっていたことは先に書きましたが、それでもなんとかまだ生きてます。大病もしたことはありません。心の病にはかかりましたが、それと飲酒・喫煙はたぶん関係ないでしょう(少しはあるかもしれない)。
私と同じように一緒に酒を飲んでいた人も、ほとんどが立派な社会人になっています。業界団体はいろいろとキャンペーンをしていますが、私の経験や周囲の人を見ると、あまり酒・タバコと社会的成長との因果関係はなさそうです。
それでも、なお、警察権力によって抑え付けなければならないのならば、それは我が国の社会的未成熟さの証明でもあります。「他律」によってでしか統治できないのですから。
この稿、続きます。
ある県で補導された少年の所持品にタバコが含まれていました。警察は購入したコンビニエンスストアを突き止めました。販売した店員は刑事罰(罰金刑)に処せられました。当然、経営者も何らかの処罰を受けたでしょう。
それだけでなく、その県で営業する同じチェーンのコンビニ全店からタバコ販売免許を引き上げようとしました。チェーン本部は苦慮し、その県の旗艦店一店のみ販売免許を返上するということで警察と手を打ったとか。
重ねて書きますが、確認は取れていません。また、一部、主旨を変えない程度で細部を変更しました。
なんでお上がそこまで乗り出してくるかな~。
以前、このブログで未成年者への酒類販売が厳しくなったことを書きました(こちらとかこちら)。同じ事を繰り返すのはバカの一つ覚えみたいなので嫌なのですが、仕方ないので要点だけ言います。酒類販売があるときを境に急に厳しくなったのは、酒販組合が青少年の犯罪増加を口実に政治家に金を渡してロビー活動を展開し、チェーンストア協会が揚げ足を取られないために酒類販売を制限したというのが実態です。タバコはわかりませんが、似たようなものでしょう。警察の取締りが厳しくなったのも、裏で何かが動いたからだと睨んでいます。
要は、政治と金がすべてで、未成年者はそのダシに使われただけです。
ホント、バッカじゃないのー?チェーンも、店員も、警察も、みんな自分の頭で考えられないの?
私は中学生のときから酒を飲んでいました。田舎だったからでもありますが、大人も黙認でした(今だから言うが、高校生のときに某教師に飲みに連れて行ってもらったこともある)。買うのも、地域に根付いた酒屋が目をつぶってくれていました。
そのときは、みんながよく見ていてくれていました。私も自分の酒量はわかっていましたし、やっていいことと悪いことも知っていました。大人たちは「しょうがないなあ」という顔をしていましたが、祭のときなど問題になりそうなときには断固として飲ませてくれず、無理矢理追い払われました。もちろん、酒屋も、本当にまずいときには販売を断ったでしょう。
みんな、自分たちの経験と知識による判断で是非を決めていました。そこには「タテマエ」の法と、「ホンネ」の慣習がうまく同居できていました。
今、私は大人の立場です。子どもこそいませんが、地域社会の子どもたちが飲酒をしたらどう行動するでしょうか。「ほどほどにな」と言い残して見て見ぬ振りをして、でもダメなものはダメときっぱり言うでしょう。私にはそれができます。
タバコをくれといったらキッパリと断りますし、吸っているところを見たら、やめろと言うでしょう。でも、まあ仕方ないなとあきらめるでしょう。肺がんで死にたい人は死ねばいいのです。かくいう私も18から吸っていたのですから。
それが、本来の大人の姿です。法による「他律」ではなく、自身の判断による「自律」で行動できる者を、大人と呼びます。「他律」でしか行動できない子どもを「自律」できるようにするのが教育の機能(のひとつ≒socialization:社会化)です。
それを、なんで警察が出てくるの?しかも、ただのコンビニや居酒屋のアルバイト店員にまで網をかけるなんて。
冒頭の話は未確認情報だと言いましたが、そこまで露骨でなくとも、同じような話はあるんです。ただお小遣い稼ぎのために働いているだけの非正規雇用の店員という一番弱いところを見せしめのために摘発して、業界全体を萎縮させます。 その結果、業界はどうなるか?決まっています。警察の下請けとなるのです。警察がちょっと厳罰をほのめかすだけで、業界全体をお上のおっしゃる通りと「自主規制」の形をとって自粛させる、昔からの官憲の手口です。
もはや古語となった「官憲横暴」という言葉はこういうときに使うんですね。いやあ、勉強になりました。
酒もタバコも20歳になる前からやっていたことは先に書きましたが、それでもなんとかまだ生きてます。大病もしたことはありません。心の病にはかかりましたが、それと飲酒・喫煙はたぶん関係ないでしょう(少しはあるかもしれない)。
私と同じように一緒に酒を飲んでいた人も、ほとんどが立派な社会人になっています。業界団体はいろいろとキャンペーンをしていますが、私の経験や周囲の人を見ると、あまり酒・タバコと社会的成長との因果関係はなさそうです。
それでも、なお、警察権力によって抑え付けなければならないのならば、それは我が国の社会的未成熟さの証明でもあります。「他律」によってでしか統治できないのですから。
この稿、続きます。