2012年01月21日18:09
東京オリンピックを作ったのは誰だ?≫
カテゴリー │映画・演劇・その他
「金閣寺を作った人は誰でしょう?」
「うーん、足利義満」
「ブー。大工さんでしたー」
という、他愛もないなぞなぞがあるのですが、では東京オリンピックを作ったのは誰でしょう?
その東京オリンピックが開催された1964年を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」を観てきました。映画シリーズそのものは昨日テレビでやっていましたのでご存じの方も多いでしょう。日本の高度成長期の東京下町を舞台にした、VFXを駆使した映画です。
私はこの映画シリーズは、良いけど嫌いという複雑な感想を持っていますが(理由はコチラ)、今回もまた似たような感想を持ちました。
東京五輪に湧く東京の下町は、地味に発展を遂げています。主役の堤真一が経営する町工場も、外壁などがきれいになっており、なかなか細かな描写があります。
前々作、前作の「アイコン」は東京タワーでした。今作は東京オリンピックというイベントそのものです。
が、当然、施設がなくては競技はできません。
丹下健三氏の設計による代々木競技場や、武道だけでなく格闘技や音楽の殿堂ともなっている日本武道館などが建設されました。
また、大規模輸送機能も必要でした。オリンピックに間に合うように急ピッチで作られた東海道新幹線が開通しました。陸路も、首都高速道路が着々と建設されていました(東名高速開通はもう少し後)。
「ここは一面焼け野原だった。それがいまやオリンピックだ」と、映画の中で堤真一が感慨深げに叫ぶシーンがあります。
さて、冒頭のなぞなぞです。オリンピック、つまり、それのハード(入れ物)を実際に作ったのは誰か?
(以下、ネタばれあり)
「うーん、足利義満」
「ブー。大工さんでしたー」
という、他愛もないなぞなぞがあるのですが、では東京オリンピックを作ったのは誰でしょう?
その東京オリンピックが開催された1964年を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」を観てきました。映画シリーズそのものは昨日テレビでやっていましたのでご存じの方も多いでしょう。日本の高度成長期の東京下町を舞台にした、VFXを駆使した映画です。
私はこの映画シリーズは、良いけど嫌いという複雑な感想を持っていますが(理由はコチラ)、今回もまた似たような感想を持ちました。
東京五輪に湧く東京の下町は、地味に発展を遂げています。主役の堤真一が経営する町工場も、外壁などがきれいになっており、なかなか細かな描写があります。
前々作、前作の「アイコン」は東京タワーでした。今作は東京オリンピックというイベントそのものです。
が、当然、施設がなくては競技はできません。
丹下健三氏の設計による代々木競技場や、武道だけでなく格闘技や音楽の殿堂ともなっている日本武道館などが建設されました。
また、大規模輸送機能も必要でした。オリンピックに間に合うように急ピッチで作られた東海道新幹線が開通しました。陸路も、首都高速道路が着々と建設されていました(東名高速開通はもう少し後)。
「ここは一面焼け野原だった。それがいまやオリンピックだ」と、映画の中で堤真一が感慨深げに叫ぶシーンがあります。
さて、冒頭のなぞなぞです。オリンピック、つまり、それのハード(入れ物)を実際に作ったのは誰か?
(以下、ネタばれあり)
答えを先に言いましょう。山谷や寿町などの底辺で働く労働者です。
彼らはヤクザの息がかかった手配師に集められ、労災など社会保障も満足にない劣悪な環境で、タコ部屋同然の飯場で寝起きさせられ、安い賃金をさらにピンハネされて、それでも文句が言えない使い捨て労働者です。
予想はしていましたが、やはり映画では、そういう肉体労働者の姿は排除されていました。
これは今でも同様で、たとえば原発での労働でも実際に危険な領域で作業するのは電力会社の社員でなく、下請け、孫請け、さらにその下の労働者です。これは他のどの業界でも似たり寄ったりです。
しょせんは綺麗ごとの映画です。
もうひとつ。実際の東京オリンピックの映像がいくつか用いられています。
それは、男子レスリング金メダリストで「アニマル」と呼ばれた渡辺長武であり、「東洋の魔女」の異名をとる女子バレーボールチームでした。
ところが、リアルタイムでオリンピックを知っている人ならば、強烈に記憶に残っているはずの人物が、映画には全く登場しませんでした。
男子マラソン銅メダルの円谷幸吉です。
オリンピックの日本勢の活躍と、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の地位を掛け登っていく1964年を重ね合わせるこの映画では、スクリーンに向かって「2位じゃダメなんですか?」と問う余地すらないようです。
実は、高度成長期の負の側面も描かれています。競争社会の到来です。
吉岡秀隆演じる児童向け通俗小説家が、仕事の場を失いつつあります。少年雑誌が読み物から漫画主体に変わっていった頃です。現実社会ではそれを受けて手塚治虫やその弟子筋に当たるトキワ荘のメンバーが活躍していくのですが、雑誌のページには限りがあるので、当然、時代遅れの読み物は押し出されます。
そして、同居している子どもに、東大受験を執拗に勧めます。
この一連のシーンはあちこちの席から洟をすする音が聞こえてきて、私自身も胸に詰まるものがありましたが、それはさておき、ここから言えることは、小説家という特殊な職業の息子だけでなく、誰でも、特に農家の子どもが教育や技術を身に付けなければ食べていけないという時代に入ったということです。
教育社会学者の苅谷剛彦氏の言う「大衆教育社会」の到来です。この頃から「受験戦争」や「四当五落」という言葉が一般化し、もう少しすると「受験生ブルース」などという歌が流行ります。
のどかな農村共同体で地域の人たちと農作業をしながらのんきに過ごすという「幻想」が終焉を迎えます。
この映画が嫌いだと書きましたが、今後、作品世界がどうなっていくのか、実はやや期待しています。
少なくとも、安倍晋三ほか能天気な人たちが激賞するような、貧しいけれど人情があるという「ファンタジー」はもう描けないはずです。
高度成長期のシンボルを「東京タワー」「東京オリンピック」とするのならば、次は当然「大阪万博」です。
もし次回作があるのならば、そのときはぜひともアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」と併せて観てもらいたいと思います。
「あの時代はよかった」なんて単純な感想は持てなくなるでしょう。
彼らはヤクザの息がかかった手配師に集められ、労災など社会保障も満足にない劣悪な環境で、タコ部屋同然の飯場で寝起きさせられ、安い賃金をさらにピンハネされて、それでも文句が言えない使い捨て労働者です。
予想はしていましたが、やはり映画では、そういう肉体労働者の姿は排除されていました。
これは今でも同様で、たとえば原発での労働でも実際に危険な領域で作業するのは電力会社の社員でなく、下請け、孫請け、さらにその下の労働者です。これは他のどの業界でも似たり寄ったりです。
しょせんは綺麗ごとの映画です。
もうひとつ。実際の東京オリンピックの映像がいくつか用いられています。
それは、男子レスリング金メダリストで「アニマル」と呼ばれた渡辺長武であり、「東洋の魔女」の異名をとる女子バレーボールチームでした。
ところが、リアルタイムでオリンピックを知っている人ならば、強烈に記憶に残っているはずの人物が、映画には全く登場しませんでした。
男子マラソン銅メダルの円谷幸吉です。
オリンピックの日本勢の活躍と、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の地位を掛け登っていく1964年を重ね合わせるこの映画では、スクリーンに向かって「2位じゃダメなんですか?」と問う余地すらないようです。
実は、高度成長期の負の側面も描かれています。競争社会の到来です。
吉岡秀隆演じる児童向け通俗小説家が、仕事の場を失いつつあります。少年雑誌が読み物から漫画主体に変わっていった頃です。現実社会ではそれを受けて手塚治虫やその弟子筋に当たるトキワ荘のメンバーが活躍していくのですが、雑誌のページには限りがあるので、当然、時代遅れの読み物は押し出されます。
そして、同居している子どもに、東大受験を執拗に勧めます。
この一連のシーンはあちこちの席から洟をすする音が聞こえてきて、私自身も胸に詰まるものがありましたが、それはさておき、ここから言えることは、小説家という特殊な職業の息子だけでなく、誰でも、特に農家の子どもが教育や技術を身に付けなければ食べていけないという時代に入ったということです。
教育社会学者の苅谷剛彦氏の言う「大衆教育社会」の到来です。この頃から「受験戦争」や「四当五落」という言葉が一般化し、もう少しすると「受験生ブルース」などという歌が流行ります。
のどかな農村共同体で地域の人たちと農作業をしながらのんきに過ごすという「幻想」が終焉を迎えます。
この映画が嫌いだと書きましたが、今後、作品世界がどうなっていくのか、実はやや期待しています。
少なくとも、安倍晋三ほか能天気な人たちが激賞するような、貧しいけれど人情があるという「ファンタジー」はもう描けないはずです。
高度成長期のシンボルを「東京タワー」「東京オリンピック」とするのならば、次は当然「大阪万博」です。
もし次回作があるのならば、そのときはぜひともアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」と併せて観てもらいたいと思います。
「あの時代はよかった」なんて単純な感想は持てなくなるでしょう。