田中義剛は正直者だ

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 気になっていた本をようやく読了しました。タレント・ミュージシャンで牧場経営者の田中義剛『田中義剛の足し算経営革命』(ソニー・マガジンズ新書)です。経済誌でこの本が紹介されていたので知ったのですが、かなり前にニュースステーションで日本の農政について熱く語っていた姿を見ていただけに、経営者としての考えを知りたかったのです(昨日もテレビに出ていたらしいがそっちは観てない)。
 で、期待はずれでした。

 書名の「足し算経営」とは彼の持論で、確保したい利益(正しくは利益率)を最初に決めて、そこに原材料費や人件費やその他もろもろを加えていって売値を決定すると言う方法です。それだと高額になってしまいますが、それでも売れるものをしかるべき場所で作って展開すれば黒字になるし、万一のときのリスクヘッジともなる、というものです。
 メーカー(この場合、農産品)は、これまで「引き算」で考えられていました。売れるであろう適正な値段を付けて、そこから利益を出すために、人件費をどう圧縮しようか、とか、原材料を使いまわそうか、などという「悪魔のささやき」があったりして、辛うじてわずかな利益を確保できます。それでも巨大流通チェーンは値下げ圧力を強めてきますし、特売の目玉商品にと不当に安い仕入れ値での取引を要求され、そのうち商品価値がなくなれば扱ってもらえなくなります。著者の言う「足し算経営革命」は、そのような小売りが価格決定権を握る現在から、メーカー側に主導権を奪おうと言う意味で、「革命」(かつて中内功氏が「流通革命」を起こしたような)とも言えます。
 それができれば苦労はないんだけどなー、という中小零細食品メーカーの社長の声が、読み進めていくうちに聞こえてきそうな本です。ヒット商品として「生キャラメル」「チーズ」と「里田まい」を同列に並べて論じるのは何だかなーと思いますし、それを言うのなら「カントリー娘。」の他のメンバーはどうなんだという突っ込みは必要です。また、ブランド構築のために「田中義剛の名を表に出さない」と書いてある本のタイトルが『田中義剛の~』というのは、彼なりの冗談なのだろうかとも思いました。

 その中でも、見過ごせない記述がありました。
 キャラメルを作る従業員についてです。彼の牧場「花畑牧場」には、250人のパート労働者が働いています。増産に対応するために、人海戦術でキャラメルを作っているのですが、問題は次の一文。

 「万が一、キャラメルの人気が落ちてきたら人手を減らすだけでいい」(p.97)

 うわー、ここまで書くか!彼には企業経営者として、従業員の雇用を意地でも守るという発想が決定的に欠如しているのです。なにせ「人手を減らすだけでいい」ですからね。従業員の首なんて簡単に切ればいいって思っているんです。
 牧場のヒット商品「生キャラメル」は、「手作り感」(この「感」というところも怪しいが、そこはあえてスルー)を大事にしていて機械化はできないし、機械化しても設備投資に金がかかって無理に稼動させたら大量にキャラメルが製造され、それを在庫にさせないために少々不利な売値でもスーパーなどで置いてもらって、それで値崩れが起こる。それを防ぐためには、人手を増やすのがいい、という文脈においてです。そして、「設備」が過剰になったら「人手を減らすだけでいい」のです。

 この考えは、田中義剛氏のオリジナルではなく、かなり前、第一次オイルショック以降の低成長期で日本に導入された考え方です。フルオートメーションの機械を導入しても、増産・減産には咄嗟に対応できないから、人でまかなえば、過剰在庫や欠品はなくなりますし、厳しい納期にも間に合います。
 ただし、人を簡単に増やしたり減らしたりはできません。ですから企業にとって基幹となる人たちを正社員として雇用し、あとは期間工や日雇い労働者でまかないます。好景気の時には採用を増やし、減産期には少なく雇います。そのほうが結果としてコストが安くなります。トヨタをはじめコストダウンに躍起になっている製造業がこぞってこのシステムを導入したのがよくわかります。なおサービス業ではむしろパート・アルバイトが多くなっており、スーパーマーケットでは8割がパートタイマーです。
 現在問題になっている派遣会社を通じての雇用に似てるなあと思われたかもしれませんが、源流はここにあります。ですから、小林多喜二の『蟹工船』よりも、むしろ期間工として潜入ルポを書いた鎌田慧氏の『自動車絶望工場』が読まれるべきでしょう。もちろん、人を機械として使うのですから、余計なことを考えずに働いてもらうのが経営者にとって一番です。
 ですから国の教育システムもそれに適したものになりました。一部のエリートと大多数の「機械」に分け、エリート候補が通う学校は比較的規則を緩やかにし、それ以外の学校は規則でガチガチに締め付けてロボットのようにさせます。これまた鎌田慧氏が優れた仕事をされています(『教育工場の子どもたち』他)。鎌田氏の教育問題の提起は古くなったかのように見えましたが、安倍前内閣での「教育再生会議」の報告を読むと、かつての亡霊が甦ってきたのかなとも思えてきます。

 もちろん、人を機械として扱うなんて、大企業の社長は絶対に口にしません。人権問題ですから。やってることはひどいですが、「人は機械と同じ」だなんて口にしては、たちまち非難の的となります。日本では消費者がおとなしいですが、海外市場では不買運動や政治運動に発展しかねません(実際、消費者団体などによって途上国で安い労働力を使って作る商品が問題とされたり、「フェアトレード」が推奨されたりしています。日本の消費者は甘すぎます)。
 ところが田中義剛さんは平気で書いちゃうんですね。
 「万が一、キャラメルの人気が落ちてきたら人手を減らすだけでいい」
 この一文がどれだけ重みを持つものなのか、何もわかっていません。「従業員なんていつでも首にできる」「従業員の雇用よりもキャラメルが大事」そう宣言してるのと同じだと、花畑牧場代表取締役は気付いていないのです。
 そういえば、こんな言葉もありました。

 「オフシーズンの冬になったとたん、製造する数量が少なくなれば彼、彼女ら(引用者注・従業員のこと)を解雇しなければならない羽目に陥る。」(p.136)

 ここはいいんです。問題はこの続きです。

 「せっかく育てた人材を、だ。」(同)

 「せっかく」だって!?企業が従業員に職業訓練をするのは当たり前だ。それを「せっかく」だと?なんだ、この恩着せがましい4文字は!?この花畑牧場代表取締役様は、良質の製品製造・販売に不可欠な従業員教育を、なにか施しを与えてやってるようにとらえているのでしょう。
 たった一行、たった4文字から、経営者が従業員をどう見ているかがわかるのですから、文章って、恐ろしいですね。

 ただ、読後の感想として、経営者の田中義剛さんについて、さほど悪い印象を持ちませんでした。たぶん、義剛さんは、ものすごく正直な人なのではないか、と思います。
 この本には、他にもドキッとするようなことが多く出ています。ここまで書いちゃっていいの?ということがかなり出てきます。私が政治記者だったら、この本から新聞ネタを拾えます。そんな爆弾発言があります(読まれた人、気付きました?)。また、日本の旧態依然とした農業政策についてはもっと多く読みたいと思いました。農協頼みの農家、新規参入を受け入れないムラ社会、的外れの農協の指導など。たぶんこれでも一部だけでしょう。農作物の値上がりや食品安全が問われる事件で食料自給率の問題が注目されていますが、この本から広くヒントが拾えるはずです。
 読み方によってはいい本です。ただ、素直に言いすぎちゃってるんです。私が編集者やゴーストライターだったら削るところまで書いてしまっているのです。
 田中義剛さんは、北海道から大きな夢とギターを抱えて東京に出てきて「オールナイトニッポン」のDJをしていた頃の純朴な青年から何も変わっていないのでしょう。もし牧場経営でトラブルを起こしてテレビカメラに囲まれても、同じ芸能人実業家のたむけんのように殊勝にふるまうことはできない人なのでしょう。

 それゆえの魅力(タレントとしても、牧場も)があるのでしょう。今度、近くのデパートで北海道物産展があったら彼の牧場のキャラメルを買ってみようかな、と思わせてしまうのは、やはり義剛さんが私より一枚上手だからでしょうか。


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