寅さんは今頃、どこを旅しているのだろう

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 寅さんは今頃、どこを旅しているのだろうと、ふと思うことがあります。

 日本人ならば説明不要の、映画「男はつらいよ」の主人公、フーテンの寅こと車寅次郎のことです。

 渥美清の死去の後、続編は製作されていませんが、寅さんがスクリーンから消えたというだけで、いつもと同じジャケットに中折れ帽、腹巻きに大きなアタッシュケースを持って、今も全国の祭りや縁日を渡り歩いているだろうと想像を巡らしているファンは大勢います。

 あの日、寅さんは三陸地方のどこかの田舎町に滞在して、翌日の小さな神社の祭礼にそなえて露店を出そうとしていたのでしょう。早耳の子どもたちが、学校帰りに興味深々にのぞき込み、中にはちょいとつまみ食いをしようなんて悪ガキもいたかもしれません。

 そこに、大揺れの地震、そして間もなく巨大な津波が襲ってきました。地元の人たちが一目散に高台へ逃げるのを見て、何が起こったのかわからないまま、寅さんも走り出します。しかし自然の力は軽く一人の人間を飲み込みます。何があったか理解できないままにアップアップ……。九死に一生を得て、見知らぬ避難所に運び込まれます。

 着るものも食べるものも商売道具もなくした、失意の寅次郎。どうなるんだ俺……。こんなとき御前様だったら何て言ってくれるだろう……。でも、避難所となっている学校の体育館は、自分よりもはるかに辛い思いをしている人ばかりです。身内も、住居も、わずかな蓄えも何もかも失い、それでも希望を信じて家族を探すためがれきに埋もれた家の跡地をさ迷い歩く人。何もする気力が起きず、ただ寝ているだけの人。

 そんな人たちを黙って見ている寅さんではありません。子どもたちを元気に笑わせ、落ち込む若者には気風のいい啖呵で発破をかけたり。青空の下で独自の人生論を語ったのかもしれません。

 もちろん、お決まりのマドンナも登場します。外見はきついが仕事熱心で根は優しい若い医者か(演・米倉涼子=想像)、自分も大切なものを失いながらも子どもたちの生活や精神的ケアに心を砕く小学校の教師か(演・満島ひかり=想像)、それともボランティアサークルに入っている大学生か(演・堀北真希=想像)。絶望と隣り合わせの避難所で被災者と向き合い一心不乱に仕事をするうちに、吹っ切れたはずの男性への思いが強く残ることに気付き、それを察した寅次郎は、風のように黙って別の被災地に旅立つのでしょう。

 「男はつらいよ」の車寅次郎は、実は古典的物語に多く登場する典型的なキャラクターです。固定化した共同体に突如闖入し、成員をひっかき回します。内部の人たちにとっては迷惑な存在ですが、沈滞した共同体は活性化します。

 そんな存在を、民俗学者の折口信夫は「まれびと」と呼びました。人間の形をして常世(異界)から時々(稀に)訪れる神のことです。他にも「道化」「異人」「トリックスター」など、様々な伝承や呼び名があります。神や霊だけでなく、乞食(こつじき。物乞いでなはく、修行のために各地を渡り歩く宗教者)や非定住民族、旅芸人などもそういう存在でした。精神障害者やハンセン病患者を「神様」として座敷牢に隔離しておくことも、少し前には珍しくありませんでした。

 そして、「まれびと」の宿命として、やがては共同体から出ていかなくてはならない、というのも各地に伝わる神話や伝承に共通するストーリーです。もちろん、寅さんも、です。

 東日本大震災から3年が経ちます。この雑文をしたためるにあたって、自分の震災の記憶が薄れていることにひどく驚きました。

 昨年の今日、「東北を忘れない」との言葉が、テレビでさんざん流されました。岩手県出身の若いタレントが、「忘れないって言うけど、忘れられるわけがない」と、吐き捨てるようにブログに書いていたのを見て、強くうなづいたことを覚えています。それなのに、自分のなかで東北への関心が低くなっていることに気付き、深く深く反省するばかりです。

 だからこそ、一度だけですが、被災地を自分の足で歩いておいてよかったとの思いもまたあります。そうでなければ、「そういえば震災なんてあったよなー」と他人事のように思い、そのくせマスメディアやネットの情報だけで知ったかぶりをして、「震災の風化を防げ」なんて2ちゃんねらーレベルの薄っぺらい言葉を振りかざしていたでしょう(そこから震災遺構の議論になるのですが本稿では略)。

 いまだ東北は復興途上にあります。岩手と宮城の被災がれきのかなりは片付いたようですが、インフラだけでは復興とは言えません。仮設住宅に住んでいる人も多く、「震災関連死」の犠牲者もいます。住民内での意見が割れる案件も報道から聞こえてきます。ましてや福島第一原発の見通しはまだ立っていません。

 報道からうかがうに、被災者や自治体の要望は細分化、高度化しているように思えます。答えがいくつもある問題、最初から答えなど出ない問題、政治判断が伴うものもあります。一介のテキ屋がボランティアでどうにかできる状況を超えています。

 「寅さん、これまでありがとう。でももういいよ。私たちはこれから自分たちで歩いて行くから」

 そろそろ被災地の人たちからそう声を掛けてもらうようにしないといけません。もう3年も経ったのです。

 そして、ふらりと葛飾柴又のダンゴ屋に舞い戻り、当日の状況や、復興過程や、東北人の人情や食べ物の美味さを、さくらや満男やタコ社長らに、自慢げに、でも流れそうになる涙を隠しながら、おなじみのべらんめえ調で語ってほしいのです。

寅さんは今頃、どこを旅しているのだろう


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