「3・11」からクリエイターは逃げることができない

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 あまりの暑さで寝られない上、ヒマつぶしでパソコンで動画サイトでも見ようものなら激しい放熱に見舞われて、いつダウンしてもおかしくないという(ハードディスクも、私も)状況で、やることもないので昨日見た映画の感想でも書きます。
 スタジオジブリ製作のアニメ映画「コクリコ坂から」です。
 ジブリ映画の歴史に墨痕鮮やかに汚点を残した「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督によるもので、大きな不安がありましたが、個人的好みだけで言うと、好きな映画でした。

 舞台は日本の高度成長期の港町。坂本九の「上を向いて歩こう」がヒットし、巨人の長嶋茂雄選手が活躍している頃です。
 高校生の少女が、同じく高校生の少年との交流を通じ、お互いの気持ちが通い合うといった、一見「耳をすませば」を連想させるウェルメイドな物語です。
 ただし、戦争の色濃く残る時代です。船乗りだった少女の父親は朝鮮戦争で亡くなり、少年も自分の出自に気付き、父に詰め寄ります。
 一方で60年代は政治の季節です。坂の多い田舎町でも、学生のクラブハウス(カルチェ・ラタンと自称)が取り壊されそうになり、反対集会が頻繁に起こり、垂れ幕やガリ版刷りのビラもまかれています。
 そのなかで、少女は恋をし、少年は出生の秘密に悩み、それでも青春を送ります。
 正直言って、「甘い」映画です。そして私は、実はこんな「甘い」映画が好きでもあります。

 ジブリ映画は何を作っても悪く言われるのは宿命です。それだけ特別な高い地位にあるという証拠です。
 ですから、私も、好きだけども、大きな引っかかりを覚えます。
 最大の問題は、「3・11」以後が描かれてないということです。
 あの大震災から日本は変わってしまいました。サラリーマン漫画では社長が原発事業からの撤退を宣言、被災した東北出身の漫画家がありのままをエッセイマンガでリポート、カルチャー専門誌ではライトノベル『涼宮ハルヒ』シリーズと作者の阪神大震災被災との関係を指摘、震災後に放映が延期されていたアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」では自己犠牲の精神や正義とは、悪とは、仲間とは、などの問いを次々に視聴者に突き付けます(「日経MJ」6月17日付の石鍋仁美編集委員による記事を参照)。

 「コクリコ坂」ですが、「3・11」以降をまったく見出すことはできませんでした。
 こじつけはできます。東日本大震災で親を亡くして生きる子どもたちは多く、その過程で複雑な家庭環境にならざるを得ないこともあります。
 現在は第2の戦後だ、とも読みとれないことはありません。
 それでも、震災直後の洋酒メーカーがCMに用いた「上を向いて歩こう」をキャッチコピーにしていることで、監督の、痛烈で明確な、「今」のメッセージがあるはずだと期待しました。

 まったくの期待外れでした。

 何でもいいんです。クリエイターだけではなく、学者も、文筆家も。震災と原発から逃げることは許されません。
 直截のメッセージ、たとえば「がんばろう東北」とか「脱原発」などでなくてもいいんです。
 「今後こうあるべきだ」
 その意思を、作品として高らかと掲げることが、表現者としての責務です。

 ジブリの宮崎吾朗監督も、父で脚本担当の宮崎駿氏も、自社のビルの屋上に反原発の横断幕を掲げることで責任を果たしたことにはなりません。
 あくまでも、監督ならば、作品で視聴者に訴えるべきです。それが宮崎駿氏にはできたはずですし、吾朗監督だって、出来はともかく、やるべきでした。
 それが作品内にはまったくなかった。これが一番の不満です。

 これからのクリエイターは、有名・無名問わず、腹を固めて、覚悟を決めなくてはなりません。日本の普通の市民に最も知られるアニメ制作会社が真っ先に旗幟を鮮明するべきでした。
 声優も、マニアが悪しざまに罵るほどひどくはなかったので(いい俳優を述べると、ガンコオヤジ役の大森南朋なんかよかった。長澤まさみも悪くはなかった)、アニメマニアにも満足できるでしょう。

 だからこそ、「3・11」から逃げては欲しくなかったのです。

(追記 7月18日)
 文章がおかしいところを直しました。
 暑さで頭がいかれたまま書くとやっぱりだめですね。


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