2015年02月11日18:24
ドキュメント「催眠商法(SF商法)」≫
祝日の遅い朝、食卓の上には我が家でめったに見ない食べ物が置いてある。後期高齢者の仲間入りをした母がにこやかな顔で説明する。
「さっき来た人にもらったの。健康にいい食品だって」
聞けば、××駅前に自然食品の店をオープンするにあたって、近くで説明会があると勧誘されたらしい。セールスマンにもらった試供品で、近所の知り合いにも声を掛けているとのこと。その中には私も知っている人もいる。
「××駅なんて、めったに行かないし、タダだからいいよね」
パソコンを起動させて、××駅近くの自然食品の店を検索する。それらしき店のサイトは見つかるものの、どうもうまく検索できない。
詳しく聞くと、これから正式に店舗を出すところで、もうすぐ新聞の折り込み広告が入るらしい。その前に周知してもらうために事前説明会を開くとのことだ。母が手にした商品チラシには、扱い店の名もない。
他にも靴下や腹巻きなども無料でもらったらしい。私は、健康にはいいかもしれないが決して美味いとは言えないレトルト赤飯を食べながら、学のない母親になるべく易しい言葉で説明した。何の効果もない機能をさも科学的に謳う商品があること。大勢の人がひと所に押し込められると群集心理で高額の商品も買ってしまうこと。店舗販売でなくとも会員になれば購入させられることもあり、それは生協などのちゃんとした組織ではない場合もあること、など。
※ ※ ※
説明会の時刻の少し前に、調子のいい男性の声が聞こえた。ご親切にも高齢の母を迎えに来たらしい。母が連れて行かれると、いくつかの言葉をパソコンの検索サイトに入力していく。催眠商法、SF商法……。出るわ出るわ、母の勧誘手口と同じ事例が山ほどあった。
こういうときにネットは便利だ。相手は次々に新手の手口を考えてくる。国民生活センターや警察なども、具体的な被害状況や相談内容をどんどんアップしていく。書籍や行政のパンフレットだとどうしても古い情報になりがちだ。私も冷やかしで絵画商法や宝石のアポイントメント商法を覗いたことがあるのでわかるが、詐欺の手口は日進月歩で巧妙になっていく。最新の情報が必要だ。
早速、国民生活センターなどが設けているサイトでクーリングオフのやり方を読む。他にも地元の消費生活センター、警察署、行政書士会、市役所などのサイトで対策を考える。私は行政手続きが大の得意で、父が他界した時はほぼ一人で手続きを完了し、本気で行政書士への転職も考えたほどだ。
それでも知らないことも多かった。クーリングオフは意外と簡単で、ハガキ一枚だけでできることも知った。3000円以上の商品が対象だから、かなり範囲が広い。食品や化粧品など消耗品は使用すると対象にならない。業者はそれを逆手に取り、最初に渡した健康食品などを食べた(使った)のだから買った商品は返品できないと消費者心理に付けこむ。もちろんウソだ。
必要な知識も、専門家の連絡先も確保した。知人には弁護士もいる。業者との臨戦態勢を整え、羽毛布団を抱えて帰宅するであろう老母を待った。
※ ※ ※
やがて母親が帰ってきた。話を聞くと思った通りだった。近所と聞いていたが、やや離れた隣の地区に車で連れて行かれ、そこには20人ほどが集められていた。最初は安いものを無料で渡され、段々と高額になっていった。最高額品は布団ではなくベッドだった。親しくしていた知り合いのSさんが、異様な雰囲気に気付き、母も一緒に連れ出してくれた。
母は結局、500円でお釣りが来る食品保存用のタッパー2個と、近所のドラッグストアでよく見かける発熱靴下だけを手にしていた。やれやれ、と胸をなで下ろしたが、残された老人たちのことを考えると消化できない嫌なものが胸に残った。
※ ※ ※
国民生活センターの「SF商法」のサイトによると、被害防止のためには、
・チラシや引換券を受け取らない
・誘われても行かない
・本当に必要かを冷静に考える
・空き店舗などを利用した期間限定や臨時の販売会には注意する
とあるが、母が被害に遭わなかったのは、他にも幸運が重なった。ひとつには、私の住む地域は、近所付き合いが多い。自治会活動や自主防災会、祭典、葬祭などで隣近所と顔を合わせる機会がよくある。
人間関係やしがらみがわずらわしいという人もいるが、世帯同士のつながりがセーフティネットになったということだ。母もよく近所と人とカラオケに行ったり、社会福祉協議会の高齢者支援活動のボランティアをしている。
今回も、顔見知りのSさんがうながしてくれたから抜け出すことができたが、ひとりで参加していたらどうなっていたことか。また、会場に集まったのは10人少々だったらしい。警視庁のサイトではおよそ30人が集められるとある(その多くはサクラ)。他の注意喚起のサイトでも同じような記述があるので、参加を見合わせた人もいたのだろう。幸い群集心理が十分機能せず、母は逃げ帰ることができた。
また、場所を提供してほしいとの申し出があった。もちろん断った。近所の人たちも、ほとんどの人が断ったらしい。だから離れた場所で販売会があったのだが、もし家の庭や一室を貸していたら、被害者だけでなく加害者にもなるところだった。これも田舎ならではの「寄り合い」で築かれたネットワークの賜物だ。
顔が見える関係性の強みは、裏を返せば顔が見えない都市部や孤立した高齢者の保護が重要になるということだ。ご近所コミュニケーションだけでなく、人為的にコミュニケーションをしていく必要性を強く感じた。
※ ※ ※
ともあれ、テレビや新聞の啓発を人ごとのように考えていた私にとって、気を引き締めなくてはと思わされた休日であった。
「さっき来た人にもらったの。健康にいい食品だって」
聞けば、××駅前に自然食品の店をオープンするにあたって、近くで説明会があると勧誘されたらしい。セールスマンにもらった試供品で、近所の知り合いにも声を掛けているとのこと。その中には私も知っている人もいる。
「××駅なんて、めったに行かないし、タダだからいいよね」
パソコンを起動させて、××駅近くの自然食品の店を検索する。それらしき店のサイトは見つかるものの、どうもうまく検索できない。
詳しく聞くと、これから正式に店舗を出すところで、もうすぐ新聞の折り込み広告が入るらしい。その前に周知してもらうために事前説明会を開くとのことだ。母が手にした商品チラシには、扱い店の名もない。
他にも靴下や腹巻きなども無料でもらったらしい。私は、健康にはいいかもしれないが決して美味いとは言えないレトルト赤飯を食べながら、学のない母親になるべく易しい言葉で説明した。何の効果もない機能をさも科学的に謳う商品があること。大勢の人がひと所に押し込められると群集心理で高額の商品も買ってしまうこと。店舗販売でなくとも会員になれば購入させられることもあり、それは生協などのちゃんとした組織ではない場合もあること、など。
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説明会の時刻の少し前に、調子のいい男性の声が聞こえた。ご親切にも高齢の母を迎えに来たらしい。母が連れて行かれると、いくつかの言葉をパソコンの検索サイトに入力していく。催眠商法、SF商法……。出るわ出るわ、母の勧誘手口と同じ事例が山ほどあった。
こういうときにネットは便利だ。相手は次々に新手の手口を考えてくる。国民生活センターや警察なども、具体的な被害状況や相談内容をどんどんアップしていく。書籍や行政のパンフレットだとどうしても古い情報になりがちだ。私も冷やかしで絵画商法や宝石のアポイントメント商法を覗いたことがあるのでわかるが、詐欺の手口は日進月歩で巧妙になっていく。最新の情報が必要だ。
早速、国民生活センターなどが設けているサイトでクーリングオフのやり方を読む。他にも地元の消費生活センター、警察署、行政書士会、市役所などのサイトで対策を考える。私は行政手続きが大の得意で、父が他界した時はほぼ一人で手続きを完了し、本気で行政書士への転職も考えたほどだ。
それでも知らないことも多かった。クーリングオフは意外と簡単で、ハガキ一枚だけでできることも知った。3000円以上の商品が対象だから、かなり範囲が広い。食品や化粧品など消耗品は使用すると対象にならない。業者はそれを逆手に取り、最初に渡した健康食品などを食べた(使った)のだから買った商品は返品できないと消費者心理に付けこむ。もちろんウソだ。
必要な知識も、専門家の連絡先も確保した。知人には弁護士もいる。業者との臨戦態勢を整え、羽毛布団を抱えて帰宅するであろう老母を待った。
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やがて母親が帰ってきた。話を聞くと思った通りだった。近所と聞いていたが、やや離れた隣の地区に車で連れて行かれ、そこには20人ほどが集められていた。最初は安いものを無料で渡され、段々と高額になっていった。最高額品は布団ではなくベッドだった。親しくしていた知り合いのSさんが、異様な雰囲気に気付き、母も一緒に連れ出してくれた。
母は結局、500円でお釣りが来る食品保存用のタッパー2個と、近所のドラッグストアでよく見かける発熱靴下だけを手にしていた。やれやれ、と胸をなで下ろしたが、残された老人たちのことを考えると消化できない嫌なものが胸に残った。
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国民生活センターの「SF商法」のサイトによると、被害防止のためには、
・チラシや引換券を受け取らない
・誘われても行かない
・本当に必要かを冷静に考える
・空き店舗などを利用した期間限定や臨時の販売会には注意する
とあるが、母が被害に遭わなかったのは、他にも幸運が重なった。ひとつには、私の住む地域は、近所付き合いが多い。自治会活動や自主防災会、祭典、葬祭などで隣近所と顔を合わせる機会がよくある。
人間関係やしがらみがわずらわしいという人もいるが、世帯同士のつながりがセーフティネットになったということだ。母もよく近所と人とカラオケに行ったり、社会福祉協議会の高齢者支援活動のボランティアをしている。
今回も、顔見知りのSさんがうながしてくれたから抜け出すことができたが、ひとりで参加していたらどうなっていたことか。また、会場に集まったのは10人少々だったらしい。警視庁のサイトではおよそ30人が集められるとある(その多くはサクラ)。他の注意喚起のサイトでも同じような記述があるので、参加を見合わせた人もいたのだろう。幸い群集心理が十分機能せず、母は逃げ帰ることができた。
また、場所を提供してほしいとの申し出があった。もちろん断った。近所の人たちも、ほとんどの人が断ったらしい。だから離れた場所で販売会があったのだが、もし家の庭や一室を貸していたら、被害者だけでなく加害者にもなるところだった。これも田舎ならではの「寄り合い」で築かれたネットワークの賜物だ。
顔が見える関係性の強みは、裏を返せば顔が見えない都市部や孤立した高齢者の保護が重要になるということだ。ご近所コミュニケーションだけでなく、人為的にコミュニケーションをしていく必要性を強く感じた。
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ともあれ、テレビや新聞の啓発を人ごとのように考えていた私にとって、気を引き締めなくてはと思わされた休日であった。