世界遺産にふさわしい富士山の「文化」とは?

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 昨日、富士山が「世界文化遺産」に登録が決まりました。

 一度は国内暫定リストから外されたものの、環境等の問題をクリヤーして見事決定まで漕ぎ着けた静岡・山梨の関係者の方々、おめでとうございます。また、応援して下さった方々に、勝手に静岡県民を代表してお礼を申し上げます。

 さて、富士山は最初、「自然遺産」として登録を目指していたのですが、先述のように、ゴミ投棄やトイレなど環境面でひどい状態でした。行政やボランティアの方の熱心な取り組みで改善され、「文化遺産」として再度立候補し、今回の選定(しかも当初外された三保の松原まで!)と相成りました。

 「文化遺産」とは、「Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration (富士山-信仰の対象と芸術の源泉)」の名称からもわかるように、信仰(原初的な山岳信仰から新興宗教まで)と多くの芸術の題材になったことから由来します。紆余曲折あったとはいえ、ただ美しいというだけでなく、文化的側面が強く出ています。結果として、そちらの方がよかったかと思います。

 ここでいう「文化」とは何か?文学、絵画、詩歌、唱歌など多々浮かびますが、一言でいえば、「人間の営み」であろうと考えます。

世界遺産にふさわしい富士山の「文化」とは?

 有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」のうち、最も有名な一枚です。富士山のほかに迫力ある波濤が目立ちますが、荒れ狂う波に翻弄されながらも船にしがみつく漕ぎ手や乗客の姿も見えます(Wikipediaの拡大図はこちら)。

 「富嶽三十六景」は、この図と同じように、富士山と同時に、人間も構図に入れた作品がほとんどです。しかも、大名や僧侶など特権階級でない、例えば大工、樽職人、旅人、人足、馬方、駕籠かきなど、現代ならばあまり絵画のモデルにならないような(失礼!)、肉体労働者が多く描かれています。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と歌われた大井川を、旅人や荷物をかついで渡る馬子の姿も描かれています

 これが自然と文化の最大の違いです。文化の生成には人が絶対に必要です。それも、支配層やインテリ層だけでなく、竹取の翁が発見したかぐや姫から、カルト教団の本部まで、名もなき民衆が支えています。それを考えると、北斎は恐るべき洞察力だと慄然とします。

 今回の富士山の世界遺産登録も、自治体の職員から土産物屋さんまで、普通の人たちが尽力して成し遂げたわけです。それを私たちが受け継いで次の世代に渡さなくてはならないのです。日本一高く世界一美しい富士山を守っていかないと、と、名もなき庶民である私は思うのです。


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