「四方を壁に囲まれたら上を見ろ」

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「ある人は言いました。『四方を壁に囲まれたら上を見ろ。見上げればそこには青い空がある』」

高校2年生のとき、卒業式の在校生送辞を読まされる破目になったときに挿入した一節です。

「ある人」とは、ミュージシャンのサンプラザ中野(くん)のことです。本当かはわかりません。雑誌に書いてあった文言を確認せずに記しました。

初稿を国語教師が一瞥し「短い」。どこからか昔の送辞を2通取り出して「これをミックスすればバレないだろう」

怒濤の推敲地獄が始まりました。持っていけば赤ペンで書き足され、書いては赤ペンで削られました。

「いらん」
「余計だ」
「つまらんこと入れるな」

進研ゼミでもここまでやらんぞと、買わされた『岩波文庫名言集』をめくりながら、毎晩涙ながらに机に向かいました。

「中学の教科書に、魯迅の『故郷』ってあっただろう。あれを入れて見ろ」

思い付きで国語教師はアドバイスしました。

「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(竹内好訳)

燃え尽きて灰になっていた私は、ただ汚い字で奉書紙に書き写しました。

卒業式当日の反応は、正反対でした。

卒業生からは、

「嘘八百! 思ってもいないことを!」
「魯迅なんて読んでたなんて、暗い……」

教師からは、

「あの送辞、よかったよ」
「魯迅を入れるなんて、高尚だな」

何だったんだろう、と、30年以上経っても咀嚼できないまま思い出します。

魯迅の『故郷』は、中学3年生の国語教科書すべてに採択されているそうです。数年前に読み返しましたが、まぎれもない名作です。ただ、引用した文言とは全く違い、希望とは正反対の話でした。

絶望。時間が、時代が、己の身勝手な願望が招いた絶望。現実を目の当たりにして打ちひしがれて、故郷に絶望し、それでも一筋の光明を見ようとする。それも幻想だと薄々気付いていながら。

それぞれの道を歩もうとする中学3年生にこれを読ませる意味を、老いた若者は、ページをめくりながら何度も自問しました。

それでも、人生の真実として、教えるべき作品なのでしょうか。

冒頭のサンプラザ中野(くん)の甘ったるい言葉は、出典を伏せて押し込みました。ほんの少しのいたずら心と、教師への反発からです。

反応があったのは、たったひとり、友人でした。

「やっぱり卒業式で『サンプラザ中野』って言うとダメなのかな」

物静かでも、目の奥に情熱と反骨の炎を灯していた好青年はつぶやきました。彼は今、福祉畑の公務員として、市民のために黙々と働いています。

ビリっ尻で合格して、お情けで卒業証書をもらったけど、いい高校でした。知識よりはるかに大事なことを、恩師や学友から多くを学びました。

その中には、唾棄すべき「権威主義」もありました。

回廊の吹き抜けから望む空から、昔話を思い出しました。




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