2007年10月28日05:49
不味い酒≫
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「♪ひとり酒場で飲む酒は~」なんて歌を昭和の大歌手が歌っておりました。「♪ひとり酒 手酌酒 演歌を聴きながら~」は私の世代にとってはまだまだ記憶に新しいところです。
私も、飲むときはたいていひとりです。家でパソコンやテレビを見ながら飲むときもそうですが、外でもひとりで飲みます。
時間と気の合う友達が周囲にあまりいないこともあるのですが、周囲に余計な気遣いをしなくても済むのです。入るのはほとんど安いところで、蕎麦屋、ラーメン屋、串カツ屋、立ち呑み屋なんかが主です。もちろん奇麗な女性はいません。千円札2枚くらいあればいいので、飲み足りなかったら二軒目へも気軽に行けます。それから昼間から飲めるところばかりです。
飲み方も静かなものです。本や週刊誌を読むこともあれば、店に置いてある新聞をながめながら「亀田親子のこと、まだやってるのか。次のスケープゴートが出るまでやるつもりなのかなあ」なんて思いながらジョッキをあおったりします。これが大阪ならば隣の席の見知らぬオジサンなんかと話が弾んだりもします。もちろん他のお客さんや店の人にも迷惑はかけません。
さびしいといえばさびしいのですが、そのさびしさを愉しむ域にまで達すれば、立派な「おひとりさま」です。そろそろ河島英五が似合う年頃になったかな、なんて書くとファンの人からぶっとばされそうですが。
どうしてこんなことを思ったかといいますと・・・。
(以下、本当にどうしようもなくつまらない話が続きます。無駄な時間を過ごし嫌な気分を抱えることになると思いますので読まないほうが賢明かと思います)
私も、飲むときはたいていひとりです。家でパソコンやテレビを見ながら飲むときもそうですが、外でもひとりで飲みます。
時間と気の合う友達が周囲にあまりいないこともあるのですが、周囲に余計な気遣いをしなくても済むのです。入るのはほとんど安いところで、蕎麦屋、ラーメン屋、串カツ屋、立ち呑み屋なんかが主です。もちろん奇麗な女性はいません。千円札2枚くらいあればいいので、飲み足りなかったら二軒目へも気軽に行けます。それから昼間から飲めるところばかりです。
飲み方も静かなものです。本や週刊誌を読むこともあれば、店に置いてある新聞をながめながら「亀田親子のこと、まだやってるのか。次のスケープゴートが出るまでやるつもりなのかなあ」なんて思いながらジョッキをあおったりします。これが大阪ならば隣の席の見知らぬオジサンなんかと話が弾んだりもします。もちろん他のお客さんや店の人にも迷惑はかけません。
さびしいといえばさびしいのですが、そのさびしさを愉しむ域にまで達すれば、立派な「おひとりさま」です。そろそろ河島英五が似合う年頃になったかな、なんて書くとファンの人からぶっとばされそうですが。
どうしてこんなことを思ったかといいますと・・・。
(以下、本当にどうしようもなくつまらない話が続きます。無駄な時間を過ごし嫌な気分を抱えることになると思いますので読まないほうが賢明かと思います)
私は心の病を抱えています。病院へ通い続けてもうすぐ足掛け10年です。
とはいっても普段は何にも他の人と変わりありません。仕事も趣味もこなせています。
ただ、ごくまれに訪れる変調の波があったり、大きな心理的負荷がかかったりすると、心は暴走します。まるでエヴァンゲリオンのように。
そしてこれが困ったことに、外見からはおかしなことなんてわからないのです。知っているのは本人と主治医だけです。
周囲は私のことを「普通の人」だと思い込むのです。
そして厄介ごとを持ってくるのです。
私もこの年になって、社会的役割や責任から逃れられないことはわかってきつつあります。しかし徐々に慣らし運転をしながら社会になじみ、適応力をつけていこうと思っています。
この方法はれっきとした精神治療法です。「○○療法」と立派な名前がついていますが、医師でもない私がいい加減なことを書くのは好ましくないのでやめておきます。詳しくは専門家が書いた本などを読んでください。
私が酒に親しむようになったのも、実は医師のアドバイスからです。仕事と勉強しかやらなかった頃、酒は思考を鈍らせ時間を無駄にすると敬遠していました。それが、ストレスから飲酒をするようになったと罪悪感いっぱいで主治医に報告すると、「それはいいことですね」とおっしゃってくださり、そこからある程度の心の余裕ができてきました。なお、この医師のアドバイスは、私のみに限定されたもので、一般論では決してありません。
ところが、慣らし運転なしでいきなり重荷を背負わされると、オーバーフローとなってしまいます。これまでも何度もありました。
イヤだイヤだと言う私への決まり文句が、
「大丈夫だって」「簡単だよ」「気にし過ぎだよ」「誰でもできるから」
だいたい酒の席で言われます。
本人の内面はどうかというと、這い上がることが不可能な真っ暗闇の谷底に一気に突き落とされたような気分になるのです。
一見楽しそうに杯を傾けているような人でも、中にはそんな人もいるのです。
だから集団で酒を飲むのはイヤなのです。そういったことに限らず、変に周りに気を遣ったり、話題を探しながらだったり、空気を読みながら飲んだりと。
こんなのが続くと、わたしゃ一人でカウンターに腰掛け、本のページをめくったり、想を練ったりしながら静かに飲むほうがずっといいと思えてくるのです。
また近く、大阪行こうかな。よく通った安くて汚い店とか、ふらりと入って気に入った、誰にも教えたくない店とかにまた訪れてみようかな、不味い酒の口直しに。
とはいっても普段は何にも他の人と変わりありません。仕事も趣味もこなせています。
ただ、ごくまれに訪れる変調の波があったり、大きな心理的負荷がかかったりすると、心は暴走します。まるでエヴァンゲリオンのように。
そしてこれが困ったことに、外見からはおかしなことなんてわからないのです。知っているのは本人と主治医だけです。
周囲は私のことを「普通の人」だと思い込むのです。
そして厄介ごとを持ってくるのです。
私もこの年になって、社会的役割や責任から逃れられないことはわかってきつつあります。しかし徐々に慣らし運転をしながら社会になじみ、適応力をつけていこうと思っています。
この方法はれっきとした精神治療法です。「○○療法」と立派な名前がついていますが、医師でもない私がいい加減なことを書くのは好ましくないのでやめておきます。詳しくは専門家が書いた本などを読んでください。
私が酒に親しむようになったのも、実は医師のアドバイスからです。仕事と勉強しかやらなかった頃、酒は思考を鈍らせ時間を無駄にすると敬遠していました。それが、ストレスから飲酒をするようになったと罪悪感いっぱいで主治医に報告すると、「それはいいことですね」とおっしゃってくださり、そこからある程度の心の余裕ができてきました。なお、この医師のアドバイスは、私のみに限定されたもので、一般論では決してありません。
ところが、慣らし運転なしでいきなり重荷を背負わされると、オーバーフローとなってしまいます。これまでも何度もありました。
イヤだイヤだと言う私への決まり文句が、
「大丈夫だって」「簡単だよ」「気にし過ぎだよ」「誰でもできるから」
だいたい酒の席で言われます。
本人の内面はどうかというと、這い上がることが不可能な真っ暗闇の谷底に一気に突き落とされたような気分になるのです。
一見楽しそうに杯を傾けているような人でも、中にはそんな人もいるのです。
だから集団で酒を飲むのはイヤなのです。そういったことに限らず、変に周りに気を遣ったり、話題を探しながらだったり、空気を読みながら飲んだりと。
こんなのが続くと、わたしゃ一人でカウンターに腰掛け、本のページをめくったり、想を練ったりしながら静かに飲むほうがずっといいと思えてくるのです。
また近く、大阪行こうかな。よく通った安くて汚い店とか、ふらりと入って気に入った、誰にも教えたくない店とかにまた訪れてみようかな、不味い酒の口直しに。