2011年07月10日10:05
扇風機と日本人≫
カテゴリー │社会
扇風機を買いました。
何も節電に目覚めたわけではありません。それ以前からエアコンなしの生活をしていましたから。
昨年の酷暑では何人もの人から「大丈夫か?」「今からでも付けたら?」「死ぬぞ」といった温かい励ましの声をいただきましたが、アイスノンと熱さまシート、それから水分と塩の大量摂取で乗り切りました。
ですので、今年の夏もほとんど何も対策を立ててません。
そんな私がなぜこの時期に扇風機を購入したかというと、致命的に壊れたからです。羽根の一枚が大破して、そうなると扇風機全体のバランスが悪くなって、修理もできずに使い物にならないのです。
猛暑・節電といった世間の風潮に乗るようで嫌だったのですが、家電量販店に行きました。
びっくりしたのは、ほとんどの扇風機が売り切れで、入荷が7月末か8月とのこと。ただひとつ残っていたのが昨夜に入荷したばかりで、それだって当日に売り切れてしまうと店員に言われました。
そうなったら買うしかないでしょう。だって、扇風機だけが命綱なのですから。
結局購入したのは、聞いたことのないメーカーの商品です。経験上、そういう無名のメーカーの品物って壊れやすいんですよね。
勉強になったのは、家電量販店の店員は、商品がたくさんあるときには下にも置かない態度で接するくせに品薄だといかにも売ってやるとばかりに虫けら以下の態度に出るということ、そのときの口調「今買わないと次にはないですよ」はキャッチセールスで絵や宝石を売りつけるセールストークと同じだということ。勉強になりました。
それにしても、どうして日本人は家庭の節電に協力するのでしょう。
何も節電に目覚めたわけではありません。それ以前からエアコンなしの生活をしていましたから。
昨年の酷暑では何人もの人から「大丈夫か?」「今からでも付けたら?」「死ぬぞ」といった温かい励ましの声をいただきましたが、アイスノンと熱さまシート、それから水分と塩の大量摂取で乗り切りました。
ですので、今年の夏もほとんど何も対策を立ててません。
そんな私がなぜこの時期に扇風機を購入したかというと、致命的に壊れたからです。羽根の一枚が大破して、そうなると扇風機全体のバランスが悪くなって、修理もできずに使い物にならないのです。
猛暑・節電といった世間の風潮に乗るようで嫌だったのですが、家電量販店に行きました。
びっくりしたのは、ほとんどの扇風機が売り切れで、入荷が7月末か8月とのこと。ただひとつ残っていたのが昨夜に入荷したばかりで、それだって当日に売り切れてしまうと店員に言われました。
そうなったら買うしかないでしょう。だって、扇風機だけが命綱なのですから。
結局購入したのは、聞いたことのないメーカーの商品です。経験上、そういう無名のメーカーの品物って壊れやすいんですよね。
勉強になったのは、家電量販店の店員は、商品がたくさんあるときには下にも置かない態度で接するくせに品薄だといかにも売ってやるとばかりに虫けら以下の態度に出るということ、そのときの口調「今買わないと次にはないですよ」はキャッチセールスで絵や宝石を売りつけるセールストークと同じだということ。勉強になりました。
それにしても、どうして日本人は家庭の節電に協力するのでしょう。
大規模事業所には罰則付きの節電令(電力制限令)が施行され、製造業の大企業が多い静岡県内でも休日をずらすなどの対策を取る企業が報道されています。役所ではサマータイムを導入するところもあります。
でも、家庭は対象外です。あくまでも「協力を求め」(経産相)ているだけです。
政府やマスコミがさかんにキャンペーンをしていますが、法的根拠も罰則もない家庭への節電協力に応じ、家電量販店の扇風機コーナーやLED電球コーナーに足を運び、店員に無礼な対応や見下された発言をされても、どうしてここまで協力するのでしょう。
つくづく、日本は「空気」が支配する国だと妙に感心します。
「進め一億火の玉だ」「欲しがりません勝つまでは」の時代と何も変わってないのだと思います。もっとも、今も「戦時下」であり、そういったスローガンで国民をまとめ支えることも必要なのでしょう。作家の村上龍氏は「B29に竹槍で向かっていくようだ」と言っていますが。
良い方に考えると、そういう国民性が、近代日本の繁栄を支えてきたとも言えます。
明治以来、「坂の下」の庶民に、維新の志士たちが普通教育を施しました。「富国強兵」「殖産興業」の土台作り、または「銃後の母」の育成のためでした。批判する点は多いですが、アジアの小国が当時の帝国と対等に渡り合えるだけの国となった大本が、一部のエリート官僚だけでなく、一般庶民であったことは否定はできません(そして自分たちも植民地政策に乗り出して泥沼の戦争に突入していったのですが)。
戦後、いち早く復興を成し遂げたのも、優良な普通教育を受けられた層が工業の下支えをしてきました。東アジアや東南アジアの国々が、日本の経済復興を見習い「ルック・イースト」政策を行いましたが、他国が注目したのが、日本の初等・中等教育でした(ただ、その弊害として、日本で出現した教育病理、いじめや児童の自殺や不登校といった問題もあると雑誌で読んだことがあります)。
当然、批判的な見方もしなければなりません。
大衆を率いたのは選別された官僚です。それが誤った選民思想を培養させたことは否めません。
集約された産業ではいまなお、劣悪な労働環境に従事せざるを得ない労働者がいます。長時間の低賃金労働を強いられ、不要になったら簡単に首を切られる(そして現在は大きなストレスがのしかかる)のも、エリートではない庶民です。
地域の特性を崩壊させたこともあります。原子力発電所が典型です。原発の多い地域はもともと豊かな第一次産業の地域でした。問題になっている福島がそうですし、他の東北や日本海側の地域も、農作物や魚介類が豊富に獲れました。それを国がアメとムチで強引に第二次産業に転換させ、農業・漁業従事者を雇用し、地元と原発を「共依存」の関係とさせました。
それでもなお、国や省庁やメディアが「節電だ!」と言ったら扇風機を買いに走るこの国の国民性と人的リソースを信じてみようと思います。
それは、先に述べた、ネガティブな面もありますし、無謀無為無策な戦争に突き進んだ要因ともいえます。官僚や大企業の言うなりになる「社畜」化でもあります。
「日本人は災害時でもパニックや略奪を起こさない」との海外メディアからの絶賛も(現地で無人となった店舗がどれだけ被害に遭っているか、何となくわかっているでしょう)、お笑い芸人のサンドウィッチマンが掲げる「東北魂」などのスローガンも、あえて“フィクション”として受け入れていいかと思っています。
今日は震災から4カ月。3分の1年が過ぎました。
もう忘れてしまっている人もいるでしょう。
忘れないために、募金をしてきます。貧者の一灯にもほどがあるくらい少額ですが。誰のためでもない、自分のためです。
でも、家庭は対象外です。あくまでも「協力を求め」(経産相)ているだけです。
政府やマスコミがさかんにキャンペーンをしていますが、法的根拠も罰則もない家庭への節電協力に応じ、家電量販店の扇風機コーナーやLED電球コーナーに足を運び、店員に無礼な対応や見下された発言をされても、どうしてここまで協力するのでしょう。
つくづく、日本は「空気」が支配する国だと妙に感心します。
「進め一億火の玉だ」「欲しがりません勝つまでは」の時代と何も変わってないのだと思います。もっとも、今も「戦時下」であり、そういったスローガンで国民をまとめ支えることも必要なのでしょう。作家の村上龍氏は「B29に竹槍で向かっていくようだ」と言っていますが。
良い方に考えると、そういう国民性が、近代日本の繁栄を支えてきたとも言えます。
明治以来、「坂の下」の庶民に、維新の志士たちが普通教育を施しました。「富国強兵」「殖産興業」の土台作り、または「銃後の母」の育成のためでした。批判する点は多いですが、アジアの小国が当時の帝国と対等に渡り合えるだけの国となった大本が、一部のエリート官僚だけでなく、一般庶民であったことは否定はできません(そして自分たちも植民地政策に乗り出して泥沼の戦争に突入していったのですが)。
戦後、いち早く復興を成し遂げたのも、優良な普通教育を受けられた層が工業の下支えをしてきました。東アジアや東南アジアの国々が、日本の経済復興を見習い「ルック・イースト」政策を行いましたが、他国が注目したのが、日本の初等・中等教育でした(ただ、その弊害として、日本で出現した教育病理、いじめや児童の自殺や不登校といった問題もあると雑誌で読んだことがあります)。
当然、批判的な見方もしなければなりません。
大衆を率いたのは選別された官僚です。それが誤った選民思想を培養させたことは否めません。
集約された産業ではいまなお、劣悪な労働環境に従事せざるを得ない労働者がいます。長時間の低賃金労働を強いられ、不要になったら簡単に首を切られる(そして現在は大きなストレスがのしかかる)のも、エリートではない庶民です。
地域の特性を崩壊させたこともあります。原子力発電所が典型です。原発の多い地域はもともと豊かな第一次産業の地域でした。問題になっている福島がそうですし、他の東北や日本海側の地域も、農作物や魚介類が豊富に獲れました。それを国がアメとムチで強引に第二次産業に転換させ、農業・漁業従事者を雇用し、地元と原発を「共依存」の関係とさせました。
それでもなお、国や省庁やメディアが「節電だ!」と言ったら扇風機を買いに走るこの国の国民性と人的リソースを信じてみようと思います。
それは、先に述べた、ネガティブな面もありますし、無謀無為無策な戦争に突き進んだ要因ともいえます。官僚や大企業の言うなりになる「社畜」化でもあります。
「日本人は災害時でもパニックや略奪を起こさない」との海外メディアからの絶賛も(現地で無人となった店舗がどれだけ被害に遭っているか、何となくわかっているでしょう)、お笑い芸人のサンドウィッチマンが掲げる「東北魂」などのスローガンも、あえて“フィクション”として受け入れていいかと思っています。
今日は震災から4カ月。3分の1年が過ぎました。
もう忘れてしまっている人もいるでしょう。
忘れないために、募金をしてきます。貧者の一灯にもほどがあるくらい少額ですが。誰のためでもない、自分のためです。