2006年12月27日13:07
タクシー随想≫
カテゴリー │いろいろ
一日中雨が降り、夜には大荒れとの天気予報を見て、バス通勤にした。いつもは自転車だが、仕方がない。
職場に水溜りができるようなプチ被害を残して暴風雨が去り、私が帰宅する頃にはすっかり止んでいた。
「この年の瀬でなにかと入り用なときにタクシーで帰宅なんてすごいでしょう。俺もとうとうセレブの仲間入りですよ」と同僚におどけながら職場から電話してタクシーを呼び出す。暇つぶしの週刊誌を開く間もなく到着し、後部座席にドスンと沈み込んで、仕事の疲れとじぶんのこれからの行く末を案じてため息をつく。
「磐田方面へお願いします」
父親くらいの白髪の運転手に短く告げると、何の会話もなく車は発車した。車内にはNHKの「ラジオ深夜便」がかかっていた。
雲の切れ目から星がちらほら見える夜に思う。俺はいつからこんなに偉くなったんだろう。
タクシーといえば、かつては上流階級の乗り物で、病気になったときにしか乗れない特別なものだった。学生時代に終電車を逃した人に、どうやって夜を過ごすのかをインタビューしたことがあったが、かなりの人がタクシーを使うと言っていたのを聞いて、驚いた。貧乏学生にとって、タクシーを使って帰るなんて、想像の埒外にあった。
総理大臣も経験した政治家が遊説に来たときに、ピッカピカの黒塗りの車(たしか日産のプレジデントだった)に乗ってきた。親戚が皇族の来訪と鉢合わせし、車が通るとき全部の信号が青になったと物珍しそうに語っていた。若かった私は、四民平等の現在で、高級車に乗ってくる人間に、満員電車に詰め込まれるサラリーマンの生活がわかるか!とか思ったものだ。いまなら好きなところに行けない皇族の気持ちもよくわかる。当人たちは周りが思うほど幸せではない。
この地に不本意な形で戻ってきたとき、友人がよく飲みに誘ってくれた。タクシーを遠慮なく使っていたのに驚いた。自動車社会の当地では当たり前なのかもしれないが、なにしろこちらは貯金が底をついて、還暦を越えた両親にパラサイトしていたのだから。
やがて周囲のおかげで病気が快方に向かい、仕事が再開できるようになったとき、駅まで20分をずっと徒歩で通勤した。雨のときはバスを使った。タクシーなんて、どうしても体がだるいときや、旅行カバンを抱えたときに限られていた。
私はやや特殊な人生を送ってきたのだが、とりわけ他の同世代の人と違うと思い知らされるのが、何の躊躇もなくタクシーを使うことを聞いたときだ。飲みに行った帰りに、とか、会社からタクシー券が支給されて、とか、そんな会話を聞くたびに、ああ俺はやっぱり普通の同年代(公称・永遠の17歳)とは違うのだと感じる。
それでも。
バスの10倍近い料金を払い終わって車を降り、星空を眺めながら思う。
俺にはタクシーの後部座席は似合わない。
歩きながら路傍の花に目を留めたり、自転車で風を切りながら季節の匂いを感じたりする生活でいい。偉い政治家や皇族にはできない贅沢だ。
人と違ったって別にいいじゃん。
来年の目標――経費節減。
職場に水溜りができるようなプチ被害を残して暴風雨が去り、私が帰宅する頃にはすっかり止んでいた。
「この年の瀬でなにかと入り用なときにタクシーで帰宅なんてすごいでしょう。俺もとうとうセレブの仲間入りですよ」と同僚におどけながら職場から電話してタクシーを呼び出す。暇つぶしの週刊誌を開く間もなく到着し、後部座席にドスンと沈み込んで、仕事の疲れとじぶんのこれからの行く末を案じてため息をつく。
「磐田方面へお願いします」
父親くらいの白髪の運転手に短く告げると、何の会話もなく車は発車した。車内にはNHKの「ラジオ深夜便」がかかっていた。
雲の切れ目から星がちらほら見える夜に思う。俺はいつからこんなに偉くなったんだろう。
タクシーといえば、かつては上流階級の乗り物で、病気になったときにしか乗れない特別なものだった。学生時代に終電車を逃した人に、どうやって夜を過ごすのかをインタビューしたことがあったが、かなりの人がタクシーを使うと言っていたのを聞いて、驚いた。貧乏学生にとって、タクシーを使って帰るなんて、想像の埒外にあった。
総理大臣も経験した政治家が遊説に来たときに、ピッカピカの黒塗りの車(たしか日産のプレジデントだった)に乗ってきた。親戚が皇族の来訪と鉢合わせし、車が通るとき全部の信号が青になったと物珍しそうに語っていた。若かった私は、四民平等の現在で、高級車に乗ってくる人間に、満員電車に詰め込まれるサラリーマンの生活がわかるか!とか思ったものだ。いまなら好きなところに行けない皇族の気持ちもよくわかる。当人たちは周りが思うほど幸せではない。
この地に不本意な形で戻ってきたとき、友人がよく飲みに誘ってくれた。タクシーを遠慮なく使っていたのに驚いた。自動車社会の当地では当たり前なのかもしれないが、なにしろこちらは貯金が底をついて、還暦を越えた両親にパラサイトしていたのだから。
やがて周囲のおかげで病気が快方に向かい、仕事が再開できるようになったとき、駅まで20分をずっと徒歩で通勤した。雨のときはバスを使った。タクシーなんて、どうしても体がだるいときや、旅行カバンを抱えたときに限られていた。
私はやや特殊な人生を送ってきたのだが、とりわけ他の同世代の人と違うと思い知らされるのが、何の躊躇もなくタクシーを使うことを聞いたときだ。飲みに行った帰りに、とか、会社からタクシー券が支給されて、とか、そんな会話を聞くたびに、ああ俺はやっぱり普通の同年代(公称・永遠の17歳)とは違うのだと感じる。
それでも。
バスの10倍近い料金を払い終わって車を降り、星空を眺めながら思う。
俺にはタクシーの後部座席は似合わない。
歩きながら路傍の花に目を留めたり、自転車で風を切りながら季節の匂いを感じたりする生活でいい。偉い政治家や皇族にはできない贅沢だ。
人と違ったって別にいいじゃん。
来年の目標――経費節減。