遠富士を眺む日々

大橋輝久

2020年04月07日 06:22

病院の東窓です。

天気のいい日には稜線に富士山が望めます。


〈富士〉=〈不死〉! なんと縁起がいい病院でしょう。千年以上前の文学「竹取物語」にも出てくる、めでたい掛詞です。

私の数少ない自慢は、日本一の山、富士山に登ったことです。小学校4年の夏に家族旅行で、地元バスツアーに参加しました。

父、母、2年生の弟の4人で、まず5合目までバスで登りました。山梨県側の登山口だったので、良心が痛みました。冬に通学するジャージに運動靴という、今では絶対に制止される軽装でした。

6合目。7合目。足取りは軽快に。買ってもらった木製の杖に記念の焼き印を押してもらうたびに、何かを成し遂げたような気になりました。

天候が急変し、風雨が強まり、持参した雨合羽(登山用でなく通学用)を着用しました。だんだん勾配がきつくなり、日も暮れてきました。

「頂上に着いたら御来光が拝めるぞ」

父は兄弟を励ましてくれました。私は御来光の意味がわからないまま、足を前と上に踏み出しました。

ようやく到着した8合目の山小屋で、弟が頭痛を発しました。高山病です。添乗員の判断で登山はストップ、両親も付き添うために断念しました。

添乗員のお兄さんと見ず知らずの登山客、そしてひ弱な私だけです。気分は冒険家です。

御来光は9合目で拝みました。そして頂上へ。山頂ではなく、当時はまだあった、白く光る富士山測候所前まででした。

目の前には何もない。見上げると青空しかない。

気泡の穴が空いた溶岩石をひとつだけジャージのポケットに入れ、何も考えずに体育座りで眼下の富士五湖を眺めていました。

ところで。

「竹取物語」では、かぐや姫が月に帰ってしまい気力を失った帝がこのように歌います。

「逢ふ事も涙に浮かぶ我が身には
死なぬ薬も何にかはせん」

(かぐや姫に逢うこともできず、涙の中に浮かんでいる私にとっては、不死の薬など何の役に立つものか)

かぐや姫が、自分がいなくなった後の帝を心配して差し上げた不老不死の薬を、大軍をもって運び、月に最も近い駿河国の山で燃やしてしまいました。

それが、ふじ山(不死/富士=大勢の侍)の語源と言われています。

千年も前から、生きたいと願う人がいて、かたや生に執着しない人もいる。

病気とは、医療とは、生きるとは何だろうか。

……難しいことはよしましょう。また富士山を眺望する日を想像します。次は静岡県側登山口からね。

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