「傾聴ボランティア」という言葉は、熊本地震あたりから一般的になったと記憶しています。不勉強な身には、被災した人に、内に溜め込んだ気持ちや悩みをただ聴いて、吐き出してもらう程度の理解しかありませんが。
図書室で8年前のベストセラー、阿川佐和子『聞く力』(文春新書)を読みました。著者は前書きで、糸井重里氏の話を紹介しています。
東日本大震災で被災した人と知り合い、東北行きを相談したら、避難所に行ってほしいと言われました。
そこには大切なものを失った人たちがいる。でももっと辛い人が大勢いて、自分の気持ちを言えない。だから耳を傾けてほしい。そんな内容でした。それが、執筆のきっかけのひとつです。
私の知る方に、傾聴の達人がいます。父の他界後間もなく、母のカラオケ友達が2人、相次いで亡くなりました。母を誘ってくれる人がいなくなり、家でテレビを観るばかりになりました。
認知症の心配もあり、包括支援センターにお年寄りの生き甲斐づくりのグループを紹介してもらいました。「何やらされるんだろうね」といぶかる母をなだめて見学に行きました。
「やぁ、来なぁ(来なさいよ)」
張りのある声が迎えてくれました。母より年上の人ばかりです。体操やゲームなどレクリエーション、午後は踊りやカラオケです。終わったら80歳を超えたお年寄りがスタッフと一緒に片付けます。
世話役の女性ボランティアYさんは、私より一回り年上です。かがんで、母と同じ目の高さになって、明るく、相槌を打ちながら、話を聴いてくれました。
「お好きなことは?」
「あんまりなくて。カラオケくらいで」
「まぁ! 歌うことって素晴らしいことなんですよ!」
すぐにわかりました。「この人はプロだ」
傾聴は他人の心に手を突っ込むことです。聴き方にはトレーニングが必要です。精神科医や臨床心理師の他にも、看護師や教師、保育士などはカウンセリングマインドを教育や研修でしっかり身に付けています。
逆に言えば、誰にもできそうで、危険な行為です。
Yさん本人に聞いたのではありませんが、以前は傾聴が必要な職業に就いていたようです。
ボランティアリーダーYさんの手腕は抜群でした。みんなが輪に入れるように、ぽつんとしている人もさりげなく仲間入りさせて盛り上げます。
スタッフの中にはやる気のあり過ぎる人もいます。そんな時にはそっと「お年寄りにさせてあげて」と、アドバイスします。
天性の気配りや思いやりではありません。ボランティア技術を勉強した成果です。
母も、毎週弁当を詰めて出掛けるようになりました。友達や、願わくば彼氏が出来ればいいと思っていましたが、母の本音は違っていました。
母が体に障害を持ってからもご厚意で、私が介助することで参加させてもらえました。月1回に減りましたが、母は唄うように言います。
「Yさんに会える」
実は、私がYさんのすごさを思い知らされたのは、初対面のときでした。母の生活の様子を尋ねた後、
「ごめんなさい、辛いことを思い出させちゃって」
申し訳なさそうに言うYさんに、母は静かに頷きました。
そう、母はずっと辛かったのです。父の葬式で喪主の私が関係者に振り回されていた間も、毎日仏壇に線香を供える時も、世界で一番辛かったのです。
息子にすらそんな素振りすら見せたことのない戦中派の母の心に、そっと手を添えるYさん。絶対にかなわないと首を垂れました。
こんな人がひっそりと野にいるから、この国は、もうちょっとは大丈夫だと思えるのです。
…………
写真は少し前に中庭。華やかなチューリップの手前の花がYさんっぽい感じです。