「力道山」にみる日韓の感情

カテゴリー │プロレス

 本館で紹介しようと思って、ついつい先延ばしになってしまった映画に、日韓合作映画「力道山」があります。いろいろな人が好評を寄せています。私もプロレスファンとして、大きな興味を持って観ました。
 見所は、本物のプロレスラーが相手のプロレスシーンです。力道山役の俳優、ソル・ギョングが悲しみと栄光を背負いながらのバトルは必見です。本人も相当な役作りをしており、おそらく大変な量のトレーニングをしたのでしょう。そして、対戦レスラーは、いずれも現役のプロレスラーです。彼らの「受け」が主役を引き立たせています。プロレスは、一人ではできず、相手がいて、そして、相手の「受け方」でヒーローが輝くという本質を見事にスクリーンに描いた秀作です。

 しかしながら、私は、非常に複雑な気持ちで映画を観ました。
 映画は史実をもとにしたものとはいえ、エピソードは大きく変えられています。
 力道山が在日朝鮮人であったことは今ではよく知られています。そして、苛烈な差別を受けてきたことも、わかっています。大相撲で関脇まで登りつめながら、髷を自ら落とした理由を、力道山本人は語りませんでした。親方や相撲協会との確執からと言われていますが、朝鮮人ゆえに横綱になれなかったことが遠因にあったのではと憶測を巡らせる人もいます(李スンイル『もう一人の力道山』小学館)。

 映画「力道山」には、朝鮮民族の、屈折したアイデンティティが、これでもかとばかりあふれています。
 プロレスファンならば、日本プロレス初期に力道山が柔道日本一の木村雅彦とタッグを組み、やがて一騎打ちを演じたことはご存知でしょう。その木村をモデルとした「井村」は、映画では「“天覧試合”5連覇」と、何度も何度も紹介されます。天皇の御前試合で頂点を極めたレスラーを、映画の力道山はメッタ打ちにします。
 また、大相撲の横綱からプロレス入りした「東浪」(モデルは東富士)に、民族差別から大相撲の頂点を諦めた力道山は強烈な敵愾心を燃やします。東浪にも、そして自分があれほど渇望しながらなれなかった「横綱」をプロレス界に送り込んだ者を憎みます。
 「天覧試合(天皇)」「横綱(日本の国技での最高位)」という、日本の最大の権威を、映画では負け役、あるいは噛ませ犬として描き、同胞の英雄がなぎ倒していきます。

 また、力道山の妻を、中谷美紀が演じています。元芸子の妻はどこまでも貞淑です。豪放磊落な夫に尽くし、寄り添い、ついて行こうとします。この、勇敢で力強い朝鮮の男―夫に従順で物静かな日本の女との関係性の描かれ方は、野平俊水氏らが『韓国の中のトンデモ日本人』(双葉社)で指摘する、韓国の男性が日本女性に描くイメージ通りであり、それ以外の関係性、例えば同じ中谷美紀でも「電車男」のような、オタクでオクテの男―時に男性をリードする女といった描かれ方はありえないし、許されないのです。

 日本人はあまりにものんきです。敗戦の記憶が生々しく残る時代に、街頭テレビで憎き白人を空手チョップでバッタバッタと倒していく「日本人」にわが身を重ね合わせ、拍手喝采を送ったのですから。実際は、そこにいるのは日本から差別され排斥された民族であったという「倒錯」に気付かないのですから。
 その時代と、今とは、なにも変わっていません。

 これを書いている4月20日午前現在、竹島をめぐって日韓両国が非常に緊迫した状況になっています。
 韓国の新聞のサイトを読むと、相当に感情的な言葉を用いて、日本政府を非難しています。国会も全会一致で日本への調査中止声明を採択しました。
 一方、日本では、マスメディアは韓国ほど深刻さがないように見受けられます。

 先日も、ある政府中枢にある国会議員の本を読んでいて、靖国参拝に反発する韓国は、日本と戦争状態になったことがなく歴史認識の違いからから来るもので、誠実に説明していけばいずれ納得してもらえるだろうと書いてあり、呆れたものです。
 日韓に横たわる溝は、われわれ日本人が思うよりもずっと深いものです。なぜ韓国がこれほど日本の政治や教育に口を挟むのか、どうしてWBCのイチローの発言にあれほど怒るのか、理解できない人は、この映画「力道山」を観ることをお勧めします(さらにプロレスとナショナル・アイデンティティに関心がある人は、森達也『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷』〈岩波新書〉もぜひ読んでください)。
 そして、過去から逃げずに現実を直視すること。そこからしか相互理解は生まれません。


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この記事へのコメント
いやあ、まっすぐですね。
それも大切ですね。
でも、まだまだ路線はありますよ。
完全な平等主義者がいないのと同じように
完全な差別者もいません。
ブログという性質上、表現に一定のレベルが必要ですが、
まずは、差別意識であろうと、屈折してようと、まっすぐぶつかることだと思いますね。
そうすると溝の意外と浅かったことを知ったりする場合もあります。
ということもあるということですね。
Posted by 小笠原 at 2006年04月20日 22:07
もちろん私もそうありたいと心から願うひとりなのですが。
金大中政権の頃から文化交流がさかんになり、両国民の感情は近づきましたが、自称・芸能研究者の目からすると、そこには微妙な温度差が見られました。
韓国が好きな日本人は、過去の歴史を軽やかに飛び越えて韓国文化に親しんでいました。でも、韓国人は、日帝支配の恨みをいまだ忘れず、しかし日本文化は好きだという、愛憎相半ばする複雑な感情を抱いていたように思われました。
ここに見られるような、加害者と被害者の非対称的な感情の違いを日本人からまず理解しないと、相互の不理解はますます広がるばかりでしょう。今でもまだたびたび見られる政治家の「失言」も、そこに起因しているように思います。
Posted by 大橋輝久 at 2006年04月21日 20:27
温度差は仕方ないと思います。だからこそ、正面から向かい合わなければならないのです。
僕自身はこれは、決して理解できないものがあると思っています。
理解できないからこそそれは、より理解しあえることができるんだと思います。
絶対に分かり合えないものがあるのです。
それは、日本人同士でもです。
でも、対話をうしなってしまったら終わりです。
対話を失うというのは、わかろうとしない場合と、分かり合えたと思う場合の2種類だと思うのです。
ですから、わからないから、対話するというのが僕のスタンスです。
何をしてもらいたいか、どうしてほしいのか、どうすればいいのか、まずは話し合いからです。
もちろん、できることとできないことがあります。
それをやってこなかったというのは確かな事実ですね。
Posted by 小笠原 at 2006年04月21日 23:10
私も同意見です。最初の勤め先では在日の人が多くいて(社長からしてそうでした)、そういう人と生身で接していたからこそ、「マンガ嫌韓流」なんていう森林資源の浪費以上の価値など皆無の本にハマらずにいられたと思っています。
私が期待するのは、上に書いた、互いの国の文化に好意を持つ若い人たちです。時に衝突しても、音楽や映画や食文化などを媒介にして、隣国に行き来し、握手し合えるだけの素地は十分にあります(私の知人にも好きが高じてソウルに短期留学してしまった人もいますし)。
誰もが外交官や政治家になれるわけではありませんが、岩井俊二監督や韓流スターが互いの国のイメージを大きく変えたように、民間の「文化大使」や「文化・アジア大洋州局長」が両国の若い世代からどんどん出てきてくれたら、民間レベルから良好な方向に進むのではと願望を込めて思っています。
Posted by 大橋輝久 at 2006年04月22日 00:53
そうですね。
本当に、この国はいつからこのようになったのかなあと思います。
鎌倉時代の古文書には、明らかに当時の中国人や韓国人との婚姻の事実が残されています。
相続のことを書いているんですから。
江戸時代は、朝鮮通信使をたいへんもてなしています。
結局は近代ということになるのですが、
民主主義や人権をもたらしたはずの開国が差別主義とその対象を拡大したのはつらい話です。
もっとわれわれの歴史をやるべきでしょうね。
Posted by 小笠原 at 2006年04月22日 16:52
コメントいただきありがとうございます。
もっとわれわれの歴史もやるべきです。彼等の歴史も知るべきです。お互いをしり、なぜこういう関係になっているのかよく考えるべきです。
嫌韓流とそれに似た反日への対応本が書いている歴史に事実はあります。でも事実だからといって心情をどうこうできないこともあります。それにもまして一方の事実を振りかざして、見下した言い方をする人たちが増えているのが怖いです。また韓国系の何紙かの新聞を見て感じたことは、韓国側にも日本に対する溝があることは確かで、そこを誇張した報道があることも確かです。でもそうでもないところもあるんです。日本を見習えという記事だってある。しかし日本に伝えられている韓国の反日の情報は極端な部分を抜き出して伝えているように思えるのです。それは大衆受けするから。そしてその情報にのせられてさらに見下すことになる。
中央日報には記事への読者の書き込み欄があります。日本に関する記事の書き込みをみると2chかと思ってしまうほどです。
韓国初代大統領李承晩は抗日し韓国亡命政府を作って戦争中は中国にいた人です。無視されながらも日本に宣戦布告もしているんです。その人から戦後韓国が始まっているわけですから、韓国と日本は戦争状態にあったという認識を持ってもおかしくないんです。不当に占領されたと考えても。韓国の戦前に関する教育は反日です。暗黒時代です。その教育は今でも引きずっています。それに対し日本側は自分たちの戦前をとにかく暗黒にして、よく見てこなかった。そこに暗黒じゃないんだという機運が出るとともに行き過ぎてしまっている。事実、心情、教育いろいろ絡みあってますから一筋縄では行かないでしょうけれども、ひとつひとつ解きほぐしていかないとならないと思います。
極端なこというと、韓国とは、竹島放棄してでも解きほぐすことを優先すべきじゃないかと思うんです。
Posted by ヒロ at 2006年05月14日 15:11
ヒロさん、お読みくださってありがとうございます(結果として宣伝になってしまいすいません)。
 まさにおっしゃるとおりなのです。まずお互いが抱えた歴史や文化をよく知らなければ何も始まりませんし、不幸な感情のこじれ方が続くだけです。これでは絶対に両国にとってよくなりません。
 上にも書きましたが、私は在日韓国・朝鮮人の人を何人も知っています。一世、二世、三世の人もいました。その中には心底尊敬できる人もいますし、軽蔑しか感じない人もいました。また、中国からの勤勉でアグレッシブな留学生も何人も知っています。もちろん深刻な組織犯罪も「事実」ですが、「事実」の一面だけをあげつらって非難する「嫌○○厨」とか、平気で「三国人」なんて発言をする政治家よりは彼ら彼女らをよく理解しているつもりです。ですから書店に山と詰まれた嫌韓・嫌中本には絶対にハマらないという自信があります。その根拠は、生身の彼ら彼女らと直に接しているから。ただその一点です。
 その一方、知らなかったこともあります。ヒロさんの記事に触発されて韓国の新聞社のサイトを読み返してみたのですが、上の映画「力道山」は、韓国国内では評判も興行成績もあまりよくなかったそうです。たしかに「日帝」を悪く描いてある「反日」の映画などは韓国内に多いですが(これは本当です)、そうだからといって韓国国民に受けるというのは、これもまた我々の無知からくる一種の偏見です。
 自省も込めて、我々はまだまだ隣国を知らない。そして自国の歴史もまだ十分に知らない。目を背けたくなるような自国の蛮行に対峙するのは「自虐」でもなんでもない。もし我が国に真の「国家の品格」というのがあるのなら、自らの歩んできた歴史を直視し、その上で隣国の友人と向き合う勇気を持つことだと思っています。改めて、コメントありがとうございました。
Posted by 大橋輝久 at 2006年05月15日 09:55
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